追憶24 無明(僧侶、JOU)

「失礼」

 そう断ってから、KANONカノンの頬を平手で打ちました。

 存外に重い音を引き連れ、彼女の顔が横向きました。

 一瞬、その表情が長い黒髪に隠れて見えなくなりましたが、すぐにゆるりと、こちらを向き直しました。

 常々、鋭利だった眼差しに、明らかな瞋恚しんにの気が射しています。

「やはり、お前の本性はこれか。説き伏せられないと見るや、暴力を用いる」

「弁明はしません。それで、差し迫った“盲目”を払えるのであれば、肉体の痛みも立派な選択肢だ」

「安いマキャベリズム気取りか。見下げ果てた坊主も居たものだな。そうまでして“あの変異エーテル”を、自分のものにしたいか」

 そう言って、彼女は、その細い腰にゆっくりと手を添えます。

「通常、あんな効果の能力を、誰が望んで欲しがります? 貴女が一番良く理解しているでしょう。

 だからこそ、我々の間にこの不和が起きている。

 とにかく、貴女に“ワズムズドゥン”の変異エーテルは任せられません。いよいよ破滅するだけだ」

「“いよいよ”だと?」

「ええ。先ほども申した通りです。元より貴女は、自ら破滅に向かって歩いて――いえ、逃げています」

「貴様ッ!」

 ついに、腰に備えた護身用の小剣を抜き放ち、彼女が大きく振り上げました。

 哀しいまでに遅い。

 拙僧は、彼女の手首を迎え入れるように掴み、その背後に回って関節を戒めました。

「この行為もまた、そうです。自分の領分ではない事を、無理にするものではない」

「説法は要らない。押し売りをするな。何度殴られても言ってやる、私には、」

 ――私には、人の心が元より無い。

 先ほどの繰り言をするつもりなのでしょう。

 拙僧としても、そんな事をもう言わせたくないので、彼女を拘束する力を強めました。

 彼女は、痛ましい苦鳴を漏らしながらも、しかしあくまでも抗っています。

 彼女の抱く苦悩。

 まだ邪推に過ぎませんが、それは人の心、と言うよりも“愛着”にあるのかもしれません。

 

 そもそも、我々の間にどうしてこのような、不穏な事が起きているのか。

 大元のきっかけは、次に狙う変異エーテルの担当をめぐっての事でした。

 今は論旨から逸れますので簡単な説明に留めますが、この“文殿の野蛮神、ワズムズドゥン”の変異エーテルの性能を引き出すには、文字通り、身を削るような制約を要求されます。

 明らかに、彼女が受け持つべき能力では無い。

 ワズムズドゥン攻略そのものを見送っても構わないのですが、どうもHARUTOハルトは先を急いでいる節もあり、情報を得た端から攻略する方針のようです。

 その意志、それ自体は尊重しなければなりません。

 ならば、荒行を動機として死にゲーをプレイしている拙僧であれば、まだ無理無く扱える。

 彼女がこの変異エーテルに求めるものは“自己犠牲”と言う名の“手段”に過ぎない。

 聡明な彼女だから、本当はわかっておられるでしょうに。

 勝利と言う“実”に繋がらないと、本来、一番言いそうな人でもあるはずです。

 そして何より。

 この話の流れで、エレクトリック・ジャイアントの調律に対する見解も聞く事ができました。

 詳細は、目標T戦にて、彼女自身の言葉で語られたそうですね。

 やはり、と言うのが率直な感想です。

 彼女に召喚士の素養が認められたと知った時、抱いた不安が形になりつつあるのを感じました。

 データの集合体と言えど、それが尊厳ある魂では無いと、誰が言い切れましょう?

 人工知能が成熟したこの時代、少なくとも拙僧には答えを見出せません。

 故に、あのような仕打ちをしてはならないのです。

 彼女は、邪悪には“向いていない”人です。

 心根が真面目すぎるのです。

 それが、自分を何者かに定義しようと足掻き、無理に闇を作り出そうとしている。

 偽善ならぬ、偽悪。

 その終点に、何が起こり得るか、全く見えないままに。

 すでに述べました通り、このままでは、彼女の魂は取り返しのつかない地獄に堕ちてしまう。

 道を正す、と傲慢な事を言えた立場ではありませんが……問題は、自分が選んだ邪道の本質を理解しないまま進む事です。

 僧侶として以前に人として、明らかにそれが予期できているのに放置するわけにはいかない。

 

「あのぅ」

 膠着した場に割り入ったのは、MALIAマリアの穏和で、少し遠慮がちな声でした。

「ワズムズドゥン戦の時に、おふたりの間でルールを決めて、勝ったほうが変異エーテルをもらうっていうのはどうでしょう。うらみっこなしで」

 拙僧は、KANONカノンを戒めていた手を離しました。

 彼女はこの身を突き飛ばすように下がりますが、それ以上、刀傷沙汰を起こすような性格でもないでしょう。

 拙僧も、まだまだ未熟。

 結局、場を収めたのは彼女の一声でした。

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