追憶10 悖乱(僧侶、JOU)
依然、
炎の巨人もそう何度も同じ手は食わず、四肢の動きを微妙に補正し、槍の刺さる深さが次第に浅く、しばしば空を切るようになってきました。
さしものスクトゥムと彼自身の
もはや槍を刺し返す余裕もなくなり、盾を構え続けるのみ。
反撃されなくなると巨人もさらに剣を激しく叩きつけるもので、悪循環です。
しかし。
それもまた、巨人のAIが持つ学習能力をも利用した、彼の策なのでしょう。
この拙僧めが巨人を刺激するのは、彼の作ろうとなさっている流れを乱すことになる。それは得策ではないでしょう。
残念ながら、初手で放った即死術“虚空無空”は、もう通じません。
ゲームバランスのためか、こうした類のデバフだとか状態異常の術は、一度受けた対象に“耐性”が出来てしまいます。
一時的な耐性とはいえ、少なくとも同戦闘中に次の機会が巡ることはまずないでしょう。
そうなると、選べる手札も限られてきます。
結局のところ、幻惑の術“己が
単純に、思う映像を投写するだけの拙技ではありますが。一応、対象の心身ではなく、視覚的な映像を作り出す術ですから、耐性がつかないというメリットもあるにはあります。
虚像は、やはり
果たして彼を模したそれが、巨人を取り囲み、無秩序に襲いかかります。
当然、巨人は歯牙にもかけません。
所詮、槍の武芸に覚えのない拙僧のイメージした幻影と
このクレプスクルム・モナルカに限らず、現代ゲームのエネミーや敵性NPCのAIは、大きく分けて二通りの方式があります。
効率的に最適解のみを演算するロボット方式と、ある程度の生物的な揺らぎも再現した有機方式。
基本的に運営側が明言することはありませんが、拙僧の見立てでは、このゲームのルーチンはほぼ有機方式で構築されていると考えております。
一見して、単純に戦闘で有利なのはロボット方式に
思えますが、一度対策されると弱いとも言われています。
一方の有機方式は、ニュアンスからおわかりでしょうが、パターンの揺らぎが無秩序であるがゆえに対策が安定せず、同じエネミーと戦っていても、不測の事態が日常茶飯事に起こりえます。
技術的にも有機方式のほうが高度であり、よくも悪くもリアルな駆け引きを要求されます。
何が言いたいかといいますと。
恐らく有機方式であろう炎の巨人が
同時に、拙僧の幻術を受けて無意識下の反射にごくわずかな、しかし確かな“揺らぎ”が生じるのもまた必定。
全く歯牙にもかけない「気が散る」以前の微細な揺らぎであったとしても。
コンマ秒単位の肉弾戦で大きな乱れを起こすのには充分。
わずかずつ、また巨人の剣が遅れはじめ、
再び、長槍が、引き戻される中途の巨人の、二の腕をえぐりました。
もちろん、これだけで
いずれまた、この状況に慣れた巨人に押し潰されるだけです。
……
後方で行われていた、
時間稼ぎは終わりました。
彼女は、何ごとかの詠唱を行っておりました。
大きな隙をさらしての、この行為。
自作スキルのスクリプトとして、大がかりな魔法の行使ではポピュラーな制約です。
――命なき物の具、主なき具足に命ず。
――余人が汝の命を虚偽とするならば、
――其の命脈を虚として
先日、従属させたというリビングアーマーの召喚。
濃密なエーテル光がわだかまり、膨張し、見上げる体躯を製図し、そして実体化させました。
“ご、主……人、命令……ください”
声帯などないでしょうに“身体”のどこかしらを使って、リビングアーマーは確かにそう発音しました。
「あの巨人を殺せ。手段は一任する」
“わか、り、ま……した、命令を、ありが……とう”
たどたどしい返答とは裏腹、リビングアーマーは、大股で巨人めがけ踏み込み、斧槍を大きく旋回させました。
巨人はとっさに剣で受けようとしましたが、剛力の差は歴然でした。
建設重機のアームじみた巨人の腕がいとも簡単に跳ねて、野太くそびえた両足が大きくたたらを踏みます。
巨人は大きく息を吸って、膨大な水流を吐き出しました。
鼻をつく、けれど無機物じみた臭気。
一拍子遅れ、巨人の吐息が溶鉱炉じみた赤熱の奔流になって、辺りを無差別に灼きました。
どうにか巨人の矛先が逸れた
リビングアーマーは、正面からまともに受けましたが。
焔の吐息が、黒煙と燻りを残して晴れました。
リビングアーマーは、表皮こそ無惨に灼け溶けていましたが、どうやら活動に影響はないようです。
これが、命なき無機物が“命”を得た、戦力としての恐ろしさでしょう。
微塵も怯むことなく、リビングアーマーは長大な斧槍で巨人の脚を、胴を貫き、弱ったところへ脳天への一撃を潜り込ませました。
炎の巨人は、みるみる全身を巡る光熱を弱めていき、虚脱して倒れ伏しました。
無名とはいえ、死にゲーのボスエネミーを使役する。
これほど強力な術もないでしょう。
そして。
魂なき鎧兜に、自らが定義した魂を与えた。
VRでの事とはいえ、我々の信仰からいえば、魂への冒涜といえる行為ではあります。
しかし同時に、そうして生まれた、それも架空のものにすぎぬ自我とはいえ……その誕生を否定する資格もまた、拙僧にはございません。
魂とは何であるか、未だその悟りの片鱗もつかめておらず、むしろ日々、答えが遠ざかっていく拙僧には。
それをも含めて、彼女の――彼女自身を突き動かしているらしい“業”は深い。
実のところ、この
魂の、感情の論理的定義。
スクリプトへの言語化。
恐らく、彼女自身は直感的に行っているその行為。
……尋常な感性では、それこそ真髄の片鱗をつかむことすらできない。
言い換えれば、理屈では及ばない、人心掌握術とも。
やはり
このままでは彼女たち自身が……と思うのもまた、拙僧の傲慢にすぎないのでしょうか。
人に偉そうなことを言えないほど、この拙僧にも悩みは尽きません。
ともあれ、目的のドッコロニアンには、もうすぐ会えるでしょう。
あえて、ターゲットの名前と場所以外の情報を、彼らには伏せておきました。
彼らも、訊いてはきませんでした。
最低一度は、負けるでしょう。
死にゲーには、多々あることですが。
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