第47話「絶望の海の中に見えた希望、決まる覚悟」

「…………っっっ!?」


 瞬間、ノアドラは思わずトゥウィーニの存在を忘れて、ミオクから距離を取った。


「……おや?」


 ノアドラが突如起こした不自然な動き。それは、図らずしてトゥウィーニの動きをも止める。

 立ち止まり、荒い呼吸でノアドラは血液のように必死に思考を巡らせる。


(……黄金は先に取り込んでる。じゃあ、昨日気付いたときにもう対策してたのか? いやそれだとミオクっぽくない。……わざと? 何のために?)


 混乱するノアドラに、トゥウィーニは勝手に頷いて、


「……ああ、気になりますか。そうですね、何せ操作しているのは人間ですから、行動には感情が乗らないといけない。いま行っているように、あなたへの怒りだけを出力して、攻撃に転嫁させることは可能なのですよ。……もっとも、これは別操作ではなく術式に組み込んであるだけですが」


 ミオクがノアドラに感情を向けていることに対して講釈を披露する……ものの。

 トゥウィーニの後方で、ミオクはウィンクをした。

 トゥウィーニの言う「怒り」とは程遠い表情。


(…………っ)


 ノアドラは、自分の心の変化を悟られないよう己の感情を押し殺すのに苦労した。

 見るまでもなく手中に在るものの状態を理解しているつもりで、事実としてトゥウィーニはノアドラを追い詰めている。ただ、伝達経路を解析し思い通りに感じ取らせた上で別の表情を浮かべている彼女の方が何倍も、上手だった。


「……下種が……」


 怒りを見せながらも、ノアドラはミオクのおかげでこの戦いに道筋を立てていた。

 ミオクは、操られたフリをしている。いざとなればトゥウィーニに一撃を喰らわせることも可能だろう。しかしそれは、同時にミオク自身を危険に晒すことも意味する。

 最優先に対処しなければいけないのは、ミオクではない。


(……となると、レユネルか)


「……」


 ミオクの隣でゆらゆらと体を左右に揺らしながら立っている彼女は、ミオクと違って本当に操られている。ミオクと同じで実は彼女も、という淡い期待はできなかった。ミオクが異常なだけなのだ。

 彼女を先に解放しなければ。


(けど、どうやって? レユネルよりもミオクの方が強い。何なら強さだけならミオクが一番だし……トゥウィーニにレユネルを……いや、おれじゃトゥウィーニを誘導することはできない)


 新しい戦力を呼び込む? 避難勧告がサリカ全域に出ている以上、都市の市民や警備隊も揃って避難しているはずなので、つまりはこの場にいる人間以外の存在に期待できない。それなら黄金を何とかするしか、……そうやってノアドラが思考の海に沈もうとしていると。


「……っ? ……が、むぅっ!?」


 その意識の隙を、彼は突かれた。


「……!」


 ミオクが一瞬のうちにノアドラの視界から消えて――彼の腹部に彼女の腕が突き刺さった。


「無駄な思考などいくらでもしてくれて構いませんが、その思考を終える前に死なないと良いですねぇ?」


 トゥウィーニが後方で嘲る。

 操られているフリをしている、とはいえミオクの動きがトゥウィーニの想定とズレがないのはつまり、ミオクが完全に操られていたのだとしてもこの程度の攻撃は当たり前だったということ。ノアドラは冷や汗を流す。


「ふはははっ! オイ、いつまでそんな心配しているんですかっ! あなた自身の命より、私に操られた仲間の傷を心配するなんてっ!」


 ミオクの拳が砕けてしまわないように、防御をせず彼女の攻撃を受け止めながら、ノアドラは作戦の立案を続ける。トゥウィーニの話す通り、攻撃を防がなかった彼の判断にミオクは戸惑っていたが、彼女はノアドラよりも精神の自己統制力が強く、動揺をトゥウィーニに悟らせることはなかった。


(それにしても……)


 やはり、トゥウィーニはノアドラに差し向ける戦力としてミオクを選んだ。それはミオクの名高さと裏付けされた実力を根拠に決めた結果なのだろうが、ノアドラにとってはその判断が何よりも幸運だった、と言わざるを得ない。


「……あぁ? こんなの、いつものに比べたら刺激が足りなくて欠伸が出てくるんだよ。所詮は自分のことしか興味ないマッド野郎だな。誰かに愛されることを知らない、ただの凡人の発想だ」


 黄金の操作に思考を割いた所為か余裕をなくした様子のトゥウィーニが、吼える。

「そのまま愛する女に壊されて死になさいっ!」


 ようやく見ることができたトゥウィーニの隠そうともしない苛立ちの表情に、ノアドラは笑みを返す。


(レユネルだったら……いや、記憶喪失じゃなかったら、正直勝ち目なんてなかったぞ)


 ミオクの繰り出す拳の二撃目をまたしても防御せず直撃を受けながら、ノアドラは吹き飛ぶ。


「……!」


 ただし、二度目の対応は違っていた。


「……たっ、とっ、だぁっ!」


 攻撃を喰らいながらも、彼の瞳から意志は失われていなかった。日々の戦いで鍛えた体幹任せに強引に体をひねってフロアの地面を踏みしめ、走り出したのだ。

「な……」


 トゥウィーニはノアドラが見せたまさかの姿勢に一瞬呆けるも、


「逃がす訳がないでしょう!」


 二秒後にはミオクに指示を出して彼の後を追わせた。

 しかし――


「……ぐ」


 トゥウィーニの動きが鈍った。さらに苦しそうに顔を歪めるが、彼に起きた変化はそれだけでは終わらない。


「う……、ぐふ……がふっ! ……はぁ、は……」


 喉の奥から湧き上がる血の塊を吐き出して、膝をつく。黄金を取り込み、無敵になったかに思えたトゥウィーニが、その実、ミオクやレユネル、ノアドラよりも死に近づいていた。

 一方、今までの戦闘においてトゥウィーニがノアドラから受けたダメージはない。ミオクの攻撃もすでに影響は消えている。彼が今苦しんでいる「これ」は、トゥウィーニが黄金に身体を適合させる過程で生まれた、トゥウィーニ達がサリカに到達するより以前に負ったダメージだ。

 いずれこのようなダメージが己の体に表れるだろう、ということを予め知っていたトゥウィーニの術式運営に影響はない。逆にトゥウィーニの身体が感じた本物の痛みを利用し膝をついて見せることで、ノアドラを誘い込もうとすらしていた。

 ただ、それでもトゥウィーニにも限界はある。

 今の傷、黄金の操作、加えてミオクとレユネルを操作する術式。

 この状態で攻撃、奇襲を受けたなら、彼は倒れていたに違いない。

 己の身体がすでに限界に近いということは、普段極力冷静であることに努めているトゥウィーニがノアドラの口車に乗って簡単に逆上してしまったことからも自覚していた。


「もしやそれが狙い……ふふ、そんなわけあるか……」


 しかし運命の神はトゥウィーニを選んだらしい。


「自分がこうなること」は誰にも、プファーにでさえ打ち開けてはいない。それにこの場にいるのは傀儡となったレユネルだけ。誰にも聞かれる心配はない。

 彼の中に生まれた小さすぎる懸念。


「……」


 それを払拭するために呟いた独り言は、小さく、しかし彼の身に起きた異変そのものが、ノアドラを追跡する者には伝わってしまっていたこと。

 その事実には気づかないまま、トゥウィーニは地獄の鬼ごっこをする二人の後姿を眺めていた。




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