霊の言葉を理解するのは難しい

 

「すまんねえ、嬢ちゃん」


「いえいえ」

と明路はおじいさんに向かって笑いかける。


 一人で大丈夫と言って、由佳の付き添いは断ったのだ。


 背負うのはなかなか難しかったので、肩を貸す感じになった。


 ただ誘導するイメージを霊に見せればいいだけだしな、と思っていると、おじいさんに、


「あんた、普段は霊は見えんのかね」

と訊かれた。


「由佳はいつでも見えてるみたいだけど。

 私は、お祖父様にいただいた腕時計をつけてるときだけ見えるんです」


「それをつけることはあるのかね?」


「いや……ないんですけどね」


 斜め上を見上げて言うと、霊はちょっと笑ったようだった。


 そう。

 つけたら見えるとわかっているものを誰がつけるものか。


 つけたことは、一度しかない。


「実は、結構、マヌケなんじゃないかと……」


「誰がじゃ?」

と言うおじいさんの問いには答えずに、明路は、


「でもまあ、役には立ってます」

と言って肩に回った老人の腕を支えている己れの手首を見た。


 そうかね、そうかね、と目を閉じた老人は、赤べこのように何度も首を振る。


「ところで、そのお堂。

 お地蔵様が祀ってあったんですか?」


 由佳には一人で首を突っ込むなと言われたが、どうしても気になり、明路は訊いてみた。


「そうそう。

 可愛らしい女の子がの。


 住んどったんじゃ」


 おじいさんは、そう言いながら、またコクコクと首を振る。


「えーと。

 それは、お地蔵さまが女の子みたいだったってことですかね?」


 ――赤いよだれかけをかけてたとか?


「それとも、そのお堂の側に女の子が住んでたとか?」


「女の子が住んどったんじゃ。

 そのお堂にな」


 そう繰り返されると、はあ、なるほど、としか言えない。


 とりあえず、そのまま、おじいさんの霊の言葉を受け止める。


 明路の頭の中では、風車やお団子が供えられたお堂の中に、お地蔵さまがあって。


 その後ろに赤い絣の着物を着、黄色い帯を締めたおかっぱの女の子が隠れていた。


「それにしても、学校はこんなとこにはなかったはずじゃが」


 ぼそりとおじいさんはそう言った。


「杜の向こうにあったんじゃがのう」


 杜の向こう。

 その言葉に、校舎の後ろにある鬱蒼とした森が頭に浮かんだ。


「此処は新校舎ですから。

 おじいさんがおっしゃってるのは、旧校舎の話じゃないですか?


 私たちが入学する頃には、使われなくなってましたけど」


 昔あった校舎の位置を基準に語っているのなら、彼の言うお堂はどの辺りになるのだろう。


「先生にでも訊いてみようかな」

と呟き、明路は保健室の戸を引き開ける。


「先生ー」

と呼びかけてみたが、案の定、返事はない。


 一日の半分は居ない養護教諭を思い、苦笑した。


「ともかく、此処で少し休まれてください。

 もうすぐ由佳が来ると思うから」


 そう言い、今は誰も居ない廊下を見る。

 

 しんと続く廊下を見ていると、なんだか寂しい。


 誰も居ない場所は怖い。


 だから、いつも音の鳴るものをつけている。


 テレビとか、ラジオとか。


 階下から、家族の立てる物音や笑い声が聞こえてくるだけで、ほっとする。


 静けさが自分に与える切迫感。


 その理由をいつも自分は探していた――。


 そんなことを考えながら、もう一度、保健室に視線を戻したとき、ぞくりとした。


 突然、目の前に大勢の人間が立っていたからだ。


 全員が、かなり着崩した感じの着物を着ており、うつろな目で、一点を見つめている。


 一点。


 ――そう。

 私の顔だけを。


 明路は、そのまま、そこにしゃがみ、強く目を閉じる。


 今は何もはまっていない手首を、祈るように握り締めていた。


 やがて、ゆっくりと目を開けた。


 目の前の床が視界に入る。


 先程まで見えていた、幾人もの男女の着物から覗いた足はもうなかった。


 ほっとしながら顔を上げ、立ち上がる。


 だが、すぐに、あれっ? と思った。


 視界がすっきりし過ぎている。


「あっ、しまった!


 おじいさん?


 おじいさーんっ?」


 明路は見えなくなってしまったおじいさんの姿を求め、声を張り上げた。

 



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