第一章 杜の学園

 

 鬱蒼とした木々に囲まれた学園。


 雨の中で白い壁が青くくすんで見えるが、校舎は結構、最近建てられたものだ。


 昔は名の知れた学園だったようだが。

 近年、少子化の影響か、生徒数は少なく、各教室、一人につき、二つずつ机が使える。


 自分の机の隣が空き机なので、いろいろ物を置けるのだ。


 便利だが、机を退けた方が広く使えるのでは、とも思う。


 まあ、この人数に合わせた机だとかなり淋しい感じになるか、と明路は教室を見渡した。


 お昼休み、由佳が見当たらなかったので、由佳を捜しに行くと友人たちに言い、教室を出た。


 ――またお弁当なくて、購買かな?


 父親の仕事の都合で、由佳は大きなお屋敷で一人暮らしをしている。


 自分で適当に朝食の残りを詰めたお弁当を持って来ていることもあるが、大抵は、購買でパンを買っている。


 ――あんな繊細な顔立ちなのに、やることは雑なんだよな~。


 いや、興味のないことには雑なのか。


 いつぞや、由佳のお弁当を覗いて驚いた。


 普段とっているノートの几帳面さからは想像もつかない、大雑把な詰め方だったからだ。


 明路は購買に行くため、階段を駆け下りようとして、ふと足を止めた。


 姿勢を正すためにあるという踊り場の大きな鏡が目に入ったからだ。


 だが、チラと見たあと、すぐに歩き出す。


 鏡は嫌いだ――。


 何故だかわからないが、自分の顔を見ていると、切なくなってくるからだ。


 急いで踊り場を曲がって下りようとした明路はビクリとした。


 去り際に左目に見えた鏡の中の自分。


 それが、自分ではなく、他の場所を見ているように見えたからだ。


 だが、振り返ると、『鏡の中の私』はちゃんと『私』を見ていた。


 鏡の中の自分がいつも自分を見ていることを普段は気持ち悪く感じるのだが。


 今日は珍しく、その姿に安堵する。


 ふと思ってしまったからかもしれない。


 いつか、鏡の中に、自分をまったく見ない自分が立っていたら、どうしよう、と。


 なんでそんなこと考えてしまったんだろうと思ったとき、誰かが自分を呼び止めた。


 振り返ると、隣のクラスの橘美緒が立っていた。


 幼稚園のときから仲がいいのだが、高校では一度も同じクラスになったことがなかった。


「明路。

 今朝、あの幽霊階段のところで、髪の長い男の人と会った?」


「えーと。

 会ったっけ?


 なんかそんな気もするけど」

と答えると、階段上にいる美緒は両の腰に手をやり言った。


「もう~。

 相変わらず、ぼんやりしてるんだから。


 いや、ちょうどそれ、見てた子が居てさ。


 明路がその人に挨拶してたから、知り合いなんじゃない? って訊かれて」


 それで自分と親しい美緒がわざわざ訊きにきたようだ。


「いや、あの階段狭いからね。

 すれ違う人ときは、知らない人でも、結構、挨拶するよ」


 なんだそうなの、と何故か残念そうに美緒は言う。


「どうかしたの?」

と明路が訊くと、莫迦ね、と美緒は笑った。


「そんなことわざわざ訊いてくるなんて、その人が格好良かったからに決まってるでしょ。


 私も見たかったのよ。

 あれ? 由佳」

と美緒は明路が居る位置より下を見た。


 購買の茶色い紙袋を持った由佳がこちらを見上げていた。


「幽霊階段がどうかしたの?」

と言いながら、由佳は明路の横を通り、階段を上がって行く。


「いや、あそこで、二組の松村が格好いい人見たって話。

 まあ、でもきっと、由佳の方が格好いいよ」


 冗談めかして言う美緒に、

「それはどうも」

と由佳は笑って返している。


「収穫なしって伝えとくー」

と陽気に行ってしまう美緒を見送ったあとで、明路は由佳に追いつき、訊いた。


「あの階段、そういや、幽霊階段って言うよね。

 なんで?」


 由佳は少し考えたあと、

「あの辺、薄暗いからじゃない?」

と言う。


「塀から伸びた木が揺れてるとことか、遅い時間に見たら、なんか居るように見えるしね」


「由佳でも怖いものとかあるの?」

と笑うと、由佳は、


「幽霊なんかより怖いものは幾らもあるよ。

 お腹減ってんのに、お気に入りのパン、全部、売り切れてたりとかね。


 朝、予約してる奴とか居るからなあ」

と愚痴っていた。


「今日も焼きそばコロッケパン、一個しか残ってなかったよ」

と言いながら、由佳はふざけて、紙袋を明路の頭の上に載せてみせる。


 かなりの重さがあった。


 落ちかけたパンの袋を手で押さえながら、


「何個入ってるの? これ。

 由佳、顔のわりに食べるんだから。


 っていうか、焼きそばとコロッケって。

 挟み過ぎだと思うんだけど」


「お……明路にはわからないよ」


 そう由佳が笑って言ったとき、おーい、と上の廊下から声がした。


 同じクラスの春香たちが顔を覗ける。


「ねえ、もうお昼食べた?」


 その言葉に、由佳はまだ開けてもいない紙袋を差し上げて見せる。


「なんだ。

 さっさと食べなよ。


 今からちょっと特別棟に行かない?」


「なにしに?」

と由佳が訊く。


 特別棟は美術室や音楽室のある棟だ。


「トイレの花子さんが閉じ込められてるトイレがあるんだって」

と文枝が笑う。


 どんなマヌケな花子さんだよ、という顔を由佳はしていた。


 それでも付き合いよく、


「特別棟?

 ちょっと待っててくれるのなら」

と言っていた。


「さすが由佳様。


 よかった。

 私たちだけで行くのはちょっとね」

と笑う春香に、由佳は、じゃあ、行くなよ、と言って苦笑いしていた。






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