セイウチとウジムシ
佐々井 サイジ
セイウチとウジムシ
高校の同級生から、理奈ができちゃった婚したと連絡が来た。ようやく忘れられそうだった理奈が脳内に浮き上がった。高校に入学してから二、三日経ったころ、階段で理奈の率いるグループとすれ違いざまに「セイウチみたい」と理奈につぶやかれた。グループはくすくすと小さく笑い合っていた。あの日、私は早退し、自分の部屋で顔を枕に当てて泣き続けた。
デブで出っ歯な私は理奈にセイウチ呼ばわりされるまでは他人に容姿を馬鹿にされたことはなかった。ただデブも出っ歯もずっとコンプレックスだった私はできるだけ目立たないように過ごしてきたから、誰も馬鹿にしなかったのかもしれない。
理奈とは不幸にも同じクラスだったが彼女はカーストの上位、私は下位で関わることはなかった。デブで出っ歯な私は外見だけで身分が決められたんだと思う。理奈の中身なんてウジムシより気持ち悪いのに。人をセイウチ呼ばわりする理奈とそれ取り巻く人たちと仲良くなれるわけがなかった。
いじめられることはなかったが、理奈が視界に入るたびにセイウチが耳に反響することが続いた。顔も体も整っている理奈にはせめて勉強は勝とうと必死に予習復習をこなしたけど、いつも理奈の方がテストの順位は上だった。「神は死んだ」というニーチェの言葉がズブズブ胸を刺し込まれていった。
でも理奈が同じクラスの男子と付き合いだすと、徐々に成績の順位が落ちていった。放課後の教室、端っこで勉強する巨大なセイウチなど見えていないかのように、至近距離で話す二人。私はチャンスと思いさらに勉強に熱を入れた。二学期の中間考査では理奈が私の一つ上の順位となり、セイウチが体重をかけてウジムシをプチプチ潰すまでもうすぐだった。
さすがに焦ったのか、それ以降、理奈は順位を下げなかった。私もそれ以上順位が上がらず伸び悩んでいるうちに理奈が彼氏と別れた。再び理奈は順位を押し上げ、私をぐんぐん突き放した。まるでウジムシが羽化してハエとなり飛び立ったようだった。セイウチに羽はなく、あるのは飛び出した牙と分厚い脂肪だけ。
デブで出っ歯な私にニキビという陰キャ要素が増えた。容姿に強烈なコンプレックスを抱え鏡を避けながら、私は勉強し続けた。勉強するほどニキビは増えた。でも、伸び悩んでいた成績が上がり始めてきた。ブンブン飛び回るハエをヒレで払い落としてやるんだ。てか自分をセイウチで表現するのは止めようって思った。
理奈の成績がまた下がっていった。他校の先輩と付き合った噂は本当のようだった。私はついに理奈を追い抜いた。
「成績だけで測るなんて日本終わってるよね」と理奈が愚痴を言い出したのはこのころだった。「確かに」「人は中身だよね」と取り巻きは口々に言う。言っとくけど中身の方が偏差値低いから自爆だよあんたら。
私は知っていた。理奈が模試で志望校に神大、関関同立を書き続けていたことを。判定がCからEになったことを。セイウチ呼ばわりした私に追い抜かれたことが悔しいんだろうな。外見なんて消費期限があるんだよ。校門に立つ金髪男に理奈は駆け寄った。理奈の中身の偏差値と同じくらいの人だった。
偏差値で理奈を抜けばコンプレックスを気にすることは減るかなと思っていたが、実際は全くそんなことはなった。私はお母さんお父さんに頼み込んで歯列矯正を開始し、同時期からダイエットにも取り組んだ。走りながら世界史の年号や英単語、古文単語を頭に浮かべた。お母さんお父さんには受験期に何やってんだって言われると思ったけど、顔がニキビに覆われるほど勉強に没頭していたのでむしろ安心していた。
受験が終わる頃には、七十七kgから五十二kgに減った。まだワイヤーは取れないけど、出っ歯もかなり引っ込んでいた。自分の体が変化するのが嬉しかったのか、勉強量自体はそんなに変わらなかったのにニキビがほぼなくなっていた。意外と私も努力すればまともな顔立ちをしていた。
関関同立以上に進学した生徒は誰がどの大学に行ったかが張り出されていた。私は自分より先に理奈の名前を探した。しかしどこにも見当たらない。「やったー!」と思わず声を出すといつのまにか隣に担任がいて「自分の努力が実った瞬間だ。思い切り喜んでおけよ」と声を掛けられた。セイウチの呪縛から抜け出せた瞬間だった。
高校のグループラインから理奈を探す。『R.E』という名前が多分理奈だ。アイコンは夕暮れの写真だった。背景も同じような空だ。理奈の心はもっと汚い。ウジムシとかハエの写真がお似合いだ。「ただいま」と陽介の声が玄関から聞こえ、私はスマホをソファーに置いて立ち上がり、彼の元へ駆け寄った。
セイウチとウジムシ 佐々井 サイジ @sasaisaiji
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