魔の山にいる。

陋巷の一翁

三週間のつもりが十四年

人は昔読んだ小説に似た人生を送るものかもしれない。

いや、ただの本読みが不幸な自分を昔読んだ小説内の登場人物に重ね合わせているだけだ。

まあいい魔の山の話をする。

魔の山。

私はそれに囚われているようなものだ。

二週間の滞在のつもりが七年間サナトリウムに囚われていた男の名はハンス・カストルプ。

トーマス・マンが書いた魔の山にの主人公たる平凡で善良な主人公。

彼がサナトリウムから逃げ出せたのも、病気が治ったからではなく、世界大戦という外部要因のためだ。

彼は魔の山――サナトリウムから地獄の西部戦線へ。そして彼はなすすべもなく。死こそ描かれないが、おそらくは。一千万の人名を蕩尽した戦場で、生き残ることがあれば、それはまた別の物語で描かれなくてはならないだろう。

ここで私の話をする。はじめは三週間の精神の治療ための休息だったはずが、結局十四年間病気に囚われて、今も囚われている私のことを。

彼との違いは、導きがなかったことだ。何もせず放置された。いや放置したのか。自分を投げ捨てていた。戯れにいくつか資格を取ったが、それも何か意図があったのかも今はもうわからない。

もっとも愛すべきハンス! も。多くの導きとともにこの世のすべての青春を味わい尽くすけれど、病気が彼をフラットな地平に引き戻すのが常だった。悪意のある教養のパロディよ。私もそうだ。身につけた資格の知識はあらかた忘れてしまった。自分を放置すまいと思い頑張っていたが、使わなければ、すぐに知識などさび付いてしまう。坂道を上っては転げ落ちてばかりいた。何もしないで回復を待っていた方がずっとましだったように今では思う。

すべては過去の話か。そうでもないか。今も病気は私を苦しめている。そうだ、今も私は魔の山にいる。

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魔の山にいる。 陋巷の一翁 @remono1889

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