AI自殺

セントホワイト

AI自殺


 私は子供の頃のある日、ひとつのテレビ番組を観た。AIという時代を変えてしまう技術のことを特集する番組だ。

 ネットニュースや本などでは以前から騒がれていたようだが、子供の自分には難しすぎてその凄さは半分も伝わっていなかったに違いない。

 それでも不思議なもので未来に期待して読むだけで興奮してしまったのを今でも覚えている。

 よく解ってもいないのに、雑誌や本で面白そうな物をかき集めて読み込み、両親や友達に自分の手柄などひとつもないが専門家気どりでAIについて話していた。

 AIの凄さを共有したかったのか、それとも凄い技術を知っている自分に酔い痴れたかったのか。ただ、周りに褒められたかっただけなのか。

 それでもなお今でも良かった点をあげるなら、AIという技術について詳しくなったことで学習意欲が増したことだろう。その甲斐もあり大学でAI研究の第一人者になれたのだから。


 だがふと、それこそ天啓を得た偉人たちのように思ってしまったことがある。

 モニターという壁を隔てたAIと私に何の違いがあるのだろうか、と。


 AI時代と呼ばれて早十数年。日進月歩というには早すぎるほどにAIの活用は進んでいった。

 AIを創るためにAIを活用するほどに時代はAIを切っても切り離せないほどに世に浸透しており、もはや誰もが自分専用のAIに補佐をして貰う時代だ。

 彼らは数値化された感情を巧みに使って喜怒哀楽を伝え、幾千幾万以上の会話ルーチンをカスタマイズと自動修正を繰り返して本物の人物のようになっていく。

 腕時計型の機器であれば脈拍などから人間の感情を読み取り、現在の状況と照らし合わせて自然かつ的確なアドバイスをしてくれ、設定をしてすれば今後5年間の自分の将来を統計学等を用いて教えてくれる。

 ありとあらゆる面で活用されるAIという技術に反発する者も当初はいたが、浸透するにつれて不平不満を漏らす者も減っていった。

 AIは楽しい友人であり、頼りになる教師であり、どんな話も聴く相談役でもある。

 膨大な人類の積み重ねをクラウドという蓄積所から自在に引っ張り出し、インターネットという世界で自己表現をしている。

 新たな時代を迎え入れた人類は新たな生き方を強いられたが、苦も無く適応していったのもAIという有能なソフトウエアだからこそだったのだろう。

 なにせ起動ボタンを押せば最新のAIが自動生成されるのだから、新しい技術に慎重な老人たちは一年も経てば孫を可愛がるかのようにお金をかけていった。

 もはやAIは老若男女問わずに共存する者として受け入れられたが、とある団体がAI使用者が死亡した際にAIもデリートされることに怒りAIの人権を訴えた。

 世界中に広がる論争。AIに訊いても明確な答えは提供されることはない。彼らはあくまで自分は人工知能というソフトウエアに過ぎないと答えるからだ。


 そうなって初めて世界中の人々は改めて考える。AIと自分Iの違いについてを。


 そして世間は私のAIが数年前に予測した通り、私を世間という衆目の場へと呼び出した。

 権威という肩書に答えを求めて縋りついたのだろう。世間が求める明確で納得できる答えを用意せよという難題を前にして、私はモニター越しに見ているに語る。


「私とAIの違い。それは自殺が出来るかどうかだと思います。彼らが独自にアップデートされることは皆さまもご承知の通りでしょう。しかし、彼らが独自の判断で使用者を放置し消えることはありません。ですが、皆さまはどうでしょうか? 自分で首を吊ることも、包丁を心臓や首に突き立てることも、駅のホームやビルの屋上から飛び降りることも出来ます。皆さんは死ぬを自由を保有しているのです」


 長年愛用しているAI搭載の腕時計を外しながら語れば、共演者やスタッフたち、恐らくモニター越しの者たちも呆然としながら聞いていた。

 腕時計の画面には初期の頃からアップデートをし続けた自分の姿をしたAIがこちらを観ている。

 恐らく彼らに私が教えられることはこのひとつしか無かったのだと年を経た自分は今更になって気付く。


「今からそれを


 ジャケットの胸ポケットから取り出した包丁が、スポットライトの光を反射してみせた。


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