無題 二
『あなたへ』
これを読んでいる頃には私は亡くなっているでしょう……。なんてこと書いてみたかったの。どう?ちょっと泣いた?なんてね。私が本当に死ねているか心配です。
あなたの姿を想像すると、やっぱり似ているように感じるね。私がいなくなってからの生活はどう?楽しい?
まあ、そんなことはどうでもいいか。あなたが幸せならどうでもいい。
でも気になることはあるかな。好きな人出来た?恋人いる?好きな人はいてほしいな。そっちのほうが、私がいなくても大丈夫って安心できるから。
まず、あなたを愛し切れなくてなくてごめんなさい。もう、会えないことが辛くて、私は死ぬことに決めたの。私はずるくて、弱くて、臆病だった。あなたを守ることはできない程に。
でも言わせてください。
私が傍にいなくても、あなたは愛も優しさもちゃんと持ってる。だから、嫌なことから目を逸らしても、自分の気持ちから、目を逸らさないで。ちゃんと、苦しんで、悲しんで、絶望してから、死になさい。
あなたはちゃんと愛せる。私はもういらない。
藤崎 露
自室のベットに寝転がり、特徴のない整った字で書かれた手紙を読んでいた。――自殺だったんだ。
原稿用紙に挟まれていた手紙を読んだ。壱露君が書いたのなら、この手紙は彼のお母さんが書いたのだろう。なら、彼が住んでいる事故部屋で亡くなった人は彼の母親、露さんだ。――知って、どうするんだ。こんなものあっても、壱露君は許さない。もう戻れない……。
涙は出なかった。それよりも怠さが、心臓の痛みが、やる気を削いでいた。
「何しに来たの!」
意識が薄れてきたところで、遠くから女性の怒鳴り声が聞こえてきた。
身体がビクリと反応し、自然と体が起きた。そして玄関へ向かうと、夢上さんと聡霧さんが不思議そうに木門の方を眺めていた。その方向には清子さんが壱露君を守るように背中を見せ、さらにその先には一人の男性がこちらに対面していた。
一体どういう状況だろうか。夢上さんと聡霧さんを見ても、私と同じように呆然と光景を見ていた。
「壱露。久しぶりだな。元気にしてたか?」
その男性は口角を上げると、壱露君に向かって手を振った。
「何しにきたの!今すぐに出ていきなさい!」
清子さんが怒鳴り、先ほどの怒号が彼女のものだと分かった。ただ、清子さんが怒鳴るところなんて見たことがない。奥にいる男性が原因なのか。
「待って!」
清子さんが彼の腕を掴んだが、彼は立ち止まらず無理やり振りほどいた。まるで何かに希望を見出しているように、目を丸くさせ、男性に近づいていく。
「あのな。二人には関係ないだろ。俺は親として壱露に会いに来たんだ」
――親?何を言っているんだ。両親は……違う。それは私の勘違いだったはずだ。彼の母親は自殺で、じゃあ父親は……。
「日崎壱楼だよ。壱露の父親だ」
後ろから声が聞こえ、振り向くと織部さんが来ていた。――壱楼?彼が日崎壱楼なの?でも亡くなっているって
壱露君はじっと壱楼という男性を見つめたまま動かない。そして清子さんが、再度、彼の腕を掴み制止する。
「壱露君、駄目。行っちゃ」
壱露君は清子さんに振り返る。清子さんの背中から僅かに彼の表情が伺えた。さらに髪で見えづらくなっているというのに、彼がどんな表情をしているかはっきりと見える。初めてあったときと同じように、氷のように冷たくて、アイスピックのような繊細な、無表情。
「離してください」
「駄目。離せない」
彼と清子さんはそのまま硬直している。そして、ふっと、彼は溜め息を吐いた。
「あなたに何が出来るんだ。離してください」
清子さん、いや、私たちにも針が含まれているように感じた。本当に力がなくて、変わらず冷たくて、やっと初めて会ったとき彼がどんな感情だったのか分かった。その表情には失望、諦観、そして拒絶が込められていた。
清子さんはそのショックで握っている力が弱まった。そして、今度こそ彼は彼女を引き離して、日崎壱楼の目の前に立つ。
「父さん、だよね?」
「元気そうだな」
「うん……!」
今までの彼とは想像できない程に明るく、純粋な声色で日崎壱楼に接している。私たちとは対照的に、日崎壱楼には希望と敬愛が込められていた。
私たちは呆然と異様な光景を見ていた。すると織部さんが玄関から出て、清子さんを追い越す。
「何しに来たんだ?」
「君には関係ないだろう」
「お前がどれだけここに来ることが危険なのかわかるか?」
何が起きているのかは分からない。それでも、今この状況が異常だということは分かる。日崎壱楼は織部さんを睨んでいたが、一つ息を吐き、朗らかに頬を上げた。
「赤の他人にそんなことを言われたくないな」
織部さんの表情は見えなかったが、日崎壱楼のその態度に眉を顰め、睨んでいたことぐらいは容易に想像できる。
「露さんを殺したくせに、何を調子のいいこと言ってんの!」
今度は清子さんとは別の誰かが荒げていた。日崎壱楼の隣には翠さんがいた。彼女は酷く表情を歪め、彼に敵対していた。
「翠か、元気にしているか?その様子だと、ところ構わず感情をむき出しにしているようだな。それに俺が露を殺したなんて人聞きが悪いぜ。あいつは勝手に……勝手に死んだんだぞ。ていうか、お前こそ壱露を連れ出しておいて、そんな言い分はないだろ。誘拐だぞ」
「はあ?誘拐?あんな酷い仕打ちしておいて何が……」
翠さんはそこで押し黙る。日崎壱楼は彼女を鼻で笑うと、壱露に視線を合わせるように膝を曲げた。
「父さん?」
壱露君が問うと、日崎壱楼は優しく微笑みを浮かべる。そして一言。
「お父さんと一緒に暮らさないか」
気づけば彼に駆け寄り、腕を掴んでいた。
「駄目……壱露君……」
自分がしたことは間違えている。でも、今の方が間違いだ。――だから、止めなくちゃ。
「離してくれ」
壱露君は私を睨みつけてきたが、それでも離すことが出来ない。今の壱露君を説得しても無駄だ。
「壱楼さん!あ、あの、なんで、こんなことになっているか、わからないんですけども、でも、今のあなたが……今の、あなたが……やろうとしていることは、正しくないと思います!だから、だから……」
日崎壱楼は不思議そうに首を傾げ、そして微笑みを私に見せた。
「名前は?」
「青咲、美晴です……」
「そっか、美晴ちゃんっていうのか。壱露と仲良くしてくれてありがとう。もちろん、僕は壱露を皆から奪おうなんて考えていないよ」
「じゃあ……」
「で、君に何の権利があるのかな?」
日崎壱楼は曲げていた膝を戻し、私を見下ろす。
「君は今わからないと言ったよね。分からないのに、君は良くないことだって、間違っているって言えるのかい?それに、それを知ってどうするんだい?」
――どうするって……。
同じ言葉が脳内を駆け巡る。
「壱露君……」
思わず彼を見てしまった。僅かでも期待していた。信じたかった。
彼は笑顔で私を見る。
――離して。
夜、雪解け 朝、露伝う 紫 陽花 @kokoooooo
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