第26話 彼女の選ぶ道

 「え……」


 内海さんはベンチに座った瞬間にそう言葉を漏らした。彼女の目線はただまっすぐと目の前の景色を見ていた。

 そうして俺も彼女の目線の先にへと顔を向き直した。

 そこに映っていたのは高いとは言い難いものの、その絶妙な高さから見える綺麗な並びの住宅街との先に見える駅前の様子と山の自然な並びと落ちていく夕焼けも合わさり、まさに幻想的という言葉が相応しいであろう景色だった。

 まるでここは異世界なのではないかと錯覚できるほどに見える程の美しさがそこにはあった。


 「…………」


 そして肝心の内海さんの反応はただその景色を呆然と見つめていた。それでもどこか違う世界の町を見ている様な目をしており、この景色を脳に叩き込んでいるかのようにただ見つめていた。

 そんな様子の内海さんを見て俺は何か声をかけた方がいいのか少し迷っていたが、この景色を見ているうちにそんなことは徐々に忘れていき、気づけば俺もこの幻想的な世界の虜になっていった。

 そうして俺達はただ何も喋らずにその景色を見つめていた。

 だが、その時間というのはあっという間に過ぎ去っていくものであり、気が付けばその世界は無くなっており、そこに映っていたのは建物から放たれる人工的な光と空からさしてくる星の自然な光へと少しずつ変わってゆく。 

 そして夕日が落ちるその瞬間に隣に座っていた内海さんはこちらを向いた。

 

 「ねえ、これがアンタの言ってた”景色”?」

 

 辺りが少し暗いせいで彼女がどんな様子で、どんな顔で聞いてきたのかは分からなかったが、その声色はどこか落ち着いていた。


 「ああ。あれが、この場所とこの時間でしか見れない景色だ……」


 そうだ。これこそが俺が内海さんに見せたかった景色だ。でもこれだけだとまだ足りない。

 いくら俺の中で理解できようとも、この場合は内海さんからしてみれば思い出もないしそこにある感情も分からない。

 俺の思いを伝えるにはまだ何かが不足していた。


 「そう…………」


 返事を返した内海さんは結局開けなかった缶コーヒーを片手にその場から立ち上がり、前を見ていた。

 そしてしばらくの沈黙の後に内海さんは再びこちらを向いた。


 「アンタってすごいよね………」


 何だ急に?

 だがそんな突っ込みを入れる隙もなく彼女は言葉を続ける。


 「普通はさ、お互いの未来について衝突とかすればさ、そのまま関係って自然消滅するものだと思っていたのよ。でもアンタは、アンタと千葉君はそうじゃなかった……少なくともアタシが聞いた話の中ではね……」


 俺はただ黙って彼女の言葉を聞いていた。


 「でも、アタシは千葉君みたいに、上手くアンタと和解できなかった。それどころか謝る事すら出来ずにあんなことまで言って……こうなってしまったのはどう考えても全てアタシのせいなのに……」


 そうか、あの時俺の元へ来たのはそのためだったのか。

 でもどうしたらあんな言い方に変化してしまうのだろうか?


 「でも、アタシはあの時のアンタの顔は忘れられないから。千葉君と和解して、過去を払拭して、その過去に別れを込めた涙を流して……それでも翌日にアタシに見せたあの顔、まだ何かを思いつめたような顔の意味をアタシはただそれが知りたかっただけなのよ……」

 

 彼女の声は少し涙ぐんでいた。

 それにしても思いつめた顔か……俺はあの時一体どんな顔をしていたんだ?

 でもあの時の考えていたことなんて一つしかなかった。


 「そしてあの時アンタのその顔を見て、アタシがアンタをあんな目に合わせたんだって思いこんで、それで自分に対しての怒りが沸きあがって……」


 それであの言葉に繋がったのか。

 彼女はつくづく不完全な人間なんだと思い知らされた。いや違うな。完璧な人間なんていないって俺が前に言ってたじゃないか。

 

 「……俺は」


 人の思いを伝えるのはこんなにも難しい事なんだと思った。

 それと同時に俺は自分にあった見せかけの鎧を取ることにした。


 「俺は、これでよかったって思うんだ……」

 「なんで……?」


 彼女は困惑していた。

 でも俺はそんな彼女の様子に構うことなく続けた。自分の心が直接喋るかのように……


 「あの頃はまだ終わったことに、もう戻れない日常にまだ未練があって、その癖に周囲には”もういい”なんて言って諦めを見せていた。だから俺はその存在しない希望を当てにしてここ3年間生きていた……でもそんな物を抱えても何も解決しないし、むしろ心の負担が増えるだけだ。そして実際にそうだった……」


 体育祭の時だって歩とは衝突はしたし、そのあとだってこうして内海さんともこうなってしまっている。

 俺はお世辞にもメンタルが強いわけではない。だからすぐに他人の言葉で傷つくし、自分の言葉でさえも傷をつける。そしてそれを全て抱えてきた。

 でもあの時は、あの選択だけはそう言い切れる自信があった。


 「だから俺はこの選択を後悔なんてしていないし、一生あの痛みを抱えるぐらいならばあの一瞬だけで済んだんだから今にとってはむしろ感謝しているぐらいだ……」


 そう、感謝しているんだ。でもそれは感謝と言ってもダメージがデカかったのは事実だ。

 ……これじゃあ何が言いたいのかが分からないなあ。もう少し分かりやすい言い方は無いのかよ……

 あったわ……


 「だからあまり一人で背負うな。これじゃあお前が俺と同じ目に会っちまう。てか、今なってるんだ……」

 「え……」


 俺の発言を聞いた内海さんは驚き、というか見たくないものを見てしまったかのような表情をしていた。

 もともと分かっていたかのようにも見えた。


 「相手は悪くない、自分だけが悪い。こうなってしまった事の発端は全て自分だと。そして自分とは一切関係のない負の感情すらも受け入れて、全てをあきらめて……」


 俺はここまで言って、これ以上言っていいのか少し迷ってしまった。もしこんなことを言ってしまったら本当にそうなってしまうかもしれない。でもこれ以外の表現が俺にはできなかった。

 そして覚悟を決めてその言葉を発した。


 「心が死んでいく……」


 あまり使いたくない言葉だった。

 そんな簡単に死ぬとか言ってはいけない。でもこれしかなかったんだ……

 自分が放った言葉の重さを考えているときに内海さんは戸惑いながらも声を出した。


 「で、でも、アンタと千葉君は……」

 「はあ……」


 思わずため息が出てしまった。

 彼女はこのことについて本当に理解していないように感じたからだ。


 「俺と歩は5年間友達ってたのに和解するのに3年もかかったんだぞ?それがたかが2ヶ月前に出会ったばっかりの奴がそれを一日二日で解決できると思うか?」


 俺は確認の意味も込めてこう話した。

 そして内海さんは何も言わなかった。言えなかっただけかもしれないが……

 でもこれだけは言える。


 「俺だったら無理だよ。てかどう考えたって無理だ。そんなの……」


 確かに俺の歩との関係と、内海さんとの関係は全く違うものかもしれない。と言うか違う。付き合いの長さも、お互いの理解も、そして抱いている夢も……

 そうだ、違うんだ。お前は歩ではないし、俺は別に凄い人間なんかじゃない。


 「だから……」


 俺はその言葉を頭の中で何度も反芻させた後、意を決して彼女の瞳を見てそう言った。

 

 「もう終わりにしないか?こんなの……」


 そうさ、終わらせたいじゃないかこんな馬鹿馬鹿しい事なんか。

 これ以上過去だどうとか言ってもしょうがないじゃないか。過去にとらわれて未来を生きるなんてそんなのあまりにも悲しすぎるじゃないか……


 「え……」


 でも内海さんの反応は俺とは対照的に絶望に満ちていた。

 何故なんだ……?


 「だって内海さんは嫌じゃないのか?この関係性が」

 「……そうね」


 内海さんは半分肯定したような返事をした。


 「人は皆、同じじゃない。その人にはその人しかない物語がある。それと同時に多くの悩みだとか別れとかある」

 「……」


 俺がこうしている間にも内海さんは何かをぐっとこらえているような表情をしていた。

 それがとても良くない感情だと俺は思った。

 

 「だからさ……」


 そして俺は先程の言葉を言い直すようにして……


 「また新しく始めようぜ。俺とお前の物語を……」


 ものすごくクサいセリフを言った。

 ああ、我ながららしくないことを言ったものだな……


 「え……?」


 しかし、内海さんはとても困惑していた。

 でもその表情には先ほどまであった絶望は無かった。


 「だって今、終わりにするって……」

 「ああ言ったな……」


 どうやらこの様子だと内海さんは何か勘違いをしていたようだった。だからもうちょっとだけ分かりやすく、俺なりの言葉でその”終わり”と”始まり”を表現してみた。


 「それは第一章の事だ。そしてこれからは、今日からは第二章だ」


 そう、今まさに俺達はこの狭間にいる。物語におけるとても大切な場面で、とても重要な局面。

 俺はいたって真面目にそう思ってはいたが、内海さんは何故か……


 「変なの……」


 そう言いながらクスクスと笑い出した。


 「アンタってホント……や、何でもない……」


 一体何なんだ?少し気にはなったが、すぐにどうでもよくなった。


 「それじゃあ、やるしかないわよね。最初の方が面白かったとか言わせないでね?」

 「こっちのセリフだ……」 


 アニメのあるある。二期目が終わった後に、やっぱり一期目の方が良かったってゆうやつか。

 そうだな。そうはさせたくは無いな。

 じゃあそうならないように努力をしよう。今よりもっと楽しいその時を作れる努力をしよう。

 俺はそう心に誓いながら、完全に日が落ちたこの町を見下ろした。

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