第3話

 老人と火を吐く5メートルの巨熊の戯れは老人の圧勝で終わった。

 老人は全身を血で染めたが全て返り血。老人にはかすり傷ひとつない。

 距離を取って安全に倒すことも出来ただろうにわざわざ扱いにくい刀で接近戦をするあたり色々と手遅れなのだろう。


 正直じいさまの戦闘スタイルは好きではない。

 安全が確保できるのに危険を冒す意味が分からない。とはいえ、こればっかりは個人の好き嫌い。理解するつもりは無いが否定するつもりも無い。戦闘狂気質で助かっていることは大いにあるので文句を言う筋合いもないのだけれど。



「ふぅ。くまっころもなかなかやりおるわ。久しぶりにまあまあ楽しめたのう」

「取り敢えず血生臭いので洗ってください。それの処理はこっちがやりますんで」

「そうか。毎度すまんの」



 血生臭いじいさまにタオルと水を渡して身体を綺麗にしてもらう。

 血生臭さ程度であれば今更気にしないのだが街に帰るので多少身ぎれいにする必要がある。死臭につられて他の獣が集まって来ても面倒。じいさまとしては嬉しいかもしれないが俺にとっては面倒でしかない。

 残念ながらこの世界には都合良く身体を綺麗に出来る魔法ないので放っておくとこびりついて取れにくくなってしまう。水とタオルでどこまできれいになるかは怪しいのだけれどやらないよりはマシである。


 じいさまが行水している間に討伐した熊の処理に取り掛かる。

 この世界は残念なことにゲーム的な世界ではない。討伐した獣が素材になったり金貨になることはない。そこに残るのは純粋な肉塊。素材を得るためには適切に処理しなければならない。

 大熊で需要が高いのは毛皮。

 大きな毛皮は衣服の材料として勝手が良くて需要がある。じいさまが相手したような凶暴な熊ともなれば皮は分厚く頑丈なので値が付く。しかし今回はじいさまが色々と切り刻んでしまっているのであまり価値はつかないだろう。それでも使い道はあるのでしっかり剥いでおく。

 皮以外にも爪や牙も売れる素材だがこれもボロボロなので諦める。

 皮を剝いだ後は肉を削いでいく。5メートル級の熊ともなればそれなりの量の肉が取れるのだが残念ながら持ち帰ったところで買取をしてもらえない。


 今回駆除した熊は個体識別がつけられている指定害獣。

 指定害獣は甚大な人的被害を出した獣が指定される。今回の熊は既に20名以上に危害を加え少なくとも5名が亡くなっている。そして被害者を食料としたという報告も上がっている。

 セキの街と周辺の町村ではヒトを食べた獣を食料として扱わない。人々の話を聞くとカニバリズムに対する忌避と同じような感覚らしい。確かに胃の中から同種の肉片が出てきたモノを食べるというのには難しいかもしれない。

 真実を告げなければ偽ることも出来そうだが、この世界には魔法という超技術がある。魔法を用いれば肉片から個体識別が出来てしまう。それも前世界のDNA鑑定の様に時間がかかりおよその判別ではなく明確に絶対の判定が。

 なので今回の熊の肉塊は駆除報告以上には持ち帰らない。

 とはいえ折角の肉をそのまま処分するのはもったいないのでこの場で食べる分だけ切り分けていく。カニバリズムの趣味は無いが獣に対する好悪もない。

 駆除した相手に対する敬意などという高尚なものではなく単なる好奇心。指定害獣になるような獣の肉がどんなものなのか。それだけの事。


 肉を切り分けた後は内臓の処理。

 値が付かない肉は燃やすのが手っ取り早いのだがそうもいかないのが指定害獣の駆除。遺品遺体の回収も報酬が出る。

 指定害獣は食肉を忌避するように体内に被害者が残っていることが多い。燃やしてしまえばこれらを失うことになる。

 指定害獣の駆除報酬はそれなりにありのだけれど費用対効果としては遺品遺体回収の方が良い。特に個人が身に着けるような大事なものであれば報酬の増加もある。

 俺のような何となく出害獣駆除に従事している者に遺品遺体回収は道義的というより報酬目的の仕事である感覚が強い。じいさまの様に積極的に駆除が出来ないので細かい報酬は無駄に出来ない。

 体内探索はそこそこ面倒なのだけれど慣れてしまえばどうという事もない。サバイバル生活を経験したこともあって血肉やその他諸々に嫌悪感は既に無い。

 漁ると遺体と遺品らしきものが出てくる。遺品は水で洗い綺麗にして袋に収納。遺体は個別に布に包み腐敗が進まないように工夫した保冷箱に収納。


 遺品遺体の回収が終われば後は学術的研究。

 今回の熊は形は少し大きいくらいで肉体的には突然変異種ではない。

 ただ、この世界の熊は火を吐くような愉快な性能はしていない。火を吐くというのはこの巨熊の特異性質。とはいえ火を吐くという器官が生まれるほど愉快な世界でもない。

 今回の熊は魔法印持ち。

 魔法印とは魔法を生み出す機構を文字にしたもの。魔法印があれば魔法に対する知識が無くとも魔力を込めるだけで超常を引き起こすことが出来る。この魔法印が熊を火を吐く生物へと変えた正体。

 それなりに情報の集まっているセキの街でも魔法印の発生原因は解明されていない。それ以前に魔法自体の解明も住んでいない。そのため自然発生する魔法印は未知のものが多く魔法解明のために重要な資料となる。

 熊の喉元に刻まれていた印を正確に模写していく。

 模写が終わると魔力を込めて魔法発動の観察。生物は活動を停止しても少しの時間は肉体に魔力が滞留していて魔法印も消失するのに少しの猶予がある。死骸の状態でも印が消えていなければ魔法が発動できる。

 本当は遺品回収より先に行いたかったのだが遊びすぎて魔法が暴走して大変だったことがあるので自重している。

 流石にあの時はじいさまに怒られてしまった。


 観察が終われば後始末。

 穴を掘り不要な諸々をまとめて投入し火を放つ。地中に埋めただけでは臭いは隠せず獣たちが集まってしまう。強い獣の肉を喰らうと強くなる、というような都合の良い設定は無いのだが面倒な獣をおびき寄せたり食料となり繁殖させる可能性があるので処理は必要。

 ただでさえ生態系のトップとして暴れていた大熊がいなくなったのでこの辺りは再び騒がしくなる。流石に大熊と同じようなモノが生まれるとは思えないが藪蛇はしたくない。


 大熊が灰になるのを待つ間に昼食の準備。

 切り分けておいた大熊の腹回りの脂身の少ない肉と香草で調理。魔法が使えヒトの肉を喰らった熊と言え所詮は熊。焼いてしまえば普通の熊の香り。

 残念ながら俺には料理の才能が無いのであるもので絶品料理を作れるなんてことは無い。セキの街も調味料が豊富とは言えないので香草を使う位しか工夫が無い。


 じいさまが身体を洗い終えて戻ってきたところで昼食。

 熊の肉は案の定大味で美味いとは言い難い。出来るだけ筋は切ったつもりなのだが堅い。風味も少々独特、というか獣臭い。食べられないことは無いが好き好んで食べたいモノでは無かった。

 それでも香草は使ってあるのでサバイバル生活時代よりはかなり上物。

 じいさまも特に文句なく食べきった。

 70超えの老人にはかなり重めな昼食だが気にした様子はない。寧ろじいさまは濃い味の肉が大好きだったりする。流石に大味な今回の熊肉は残念そうにしていたが。


 昼食を終え灰になった熊も土に返したところで今日の駆除についての感想に移る。



「今日の熊はどうでしたか。じいさまが楽しそうという事はそれなりの害獣だと思うのですが、結局じいさまは無傷なので弱かったのかな」

「そうさな。確かにそれなりに楽しかったし指定害獣になって当然の獣だろうな。だが、どうにも下手な獣じゃったな」

「下手、ですか」

「熊っころは確かに強かった。じゃが、獣としてはどうも未熟に思えたな」

「つまり場数は踏んでないと」

「老獪な熊であればもっと被害が出ていても可笑しくなかっただろうよ」



 既に20名以上の死傷者を出している巨熊だがじいさまによればこれでも幸運だったらしい。


 曰く熊は未熟だった。

 相手を見て戦う事。弱点を狙う事。戦いの押し引き。などなど本来山林の中で培ったであろう術を持っていなかった。それは魔法という恵まれたモノを持っていたが故の傲りなのかもしれない。けれどそれにしたって稚拙。

 はっきり言えば人里に出てくるのが早すぎる。

 何かあるのだろう。

 というのがじいさまの感想。

 俺としては全く共感が出来ないのだがじいさまがそういうのであればそうなのだろう。未熟であり駆除が簡単であったのなら何ら問題ない。そこに何かしらの異変の予兆があるとかは俺が考えるべきことではない。


 例えば、成熟しきっていない獣をヒトがちょっかいを出した結果獣が人里におりてきたという事も考えられる。たまたま出くわしたヒトが食材を持っていてそれに味をしめた幼い獣が人里に出てくるようになることもある。

 なのでこれが決して何かの予兆と限ったわけではない。

 そんな誰に言うでもない言い訳が浮かぶのだが、そうではないのだと心のどこかで納得してしまっている。


 だってじいさまがまだ見ぬ強敵を夢見てワクワクしているのだから。

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じいさまこわい 珠洲気流 @cruelty

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