第2話
事の始まりはおそらく数年前。
正確な日時を把握することが出来なくなったので詳細は分からない。
あれは前世界でのこと。
大学で教授の実験の手伝いがひと段落した日の事。
ひと段落したといっても数日後には別の教授の手伝いが始まりそれ以前に自分自身の学業の時間もあるので自由な時間などないに等しい。
それでも半日だけは落ち着ける。
そんな日だった。
取りあえず読まずに積み上がっている本を消費しよう。
そんな事を考えていた大学からの帰り道。人通りの少なく車通りの多い見通しの良い道でそれに出くわした。
それは大学でも問題になっていた迷惑系と偽る犯罪者集団。
犯罪者たちはとある老人を見ながら騒いでいた。老人はただ普通に歩道を歩いていただけ。その莫迦騒ぎを分析するに老人を困らせるというのが犯罪者たちの目的だった。
別に俺は正義感や倫理観は強くない。莫迦が莫迦騒ぎしていようと正直なところどうでもいい。自分に迷惑が降りかかってきたとしてそれを対処することが迷惑する以上の労力がかかるのであれば受け流す。
だから、阿呆たちが何をしていようと気にしないつもりだった。
けれど、俺はそれに気づいてしまった。
そして、気づいてしまった以上動かざるを得なかった。
自分たちの中だけで周りを見ずに盛り上がる。そしてその結果としてよたよた歩きの老人をひとりの犯罪者が車道に突き飛ばした。
阿呆集団たちはただの悪ふざけのつもりだったのだろう。車道に突き飛ばして驚かせるつもりだったのだろう。驚き慌てる人物を見て笑うつもりだったのだろう。
阿呆集団のタイミングは実に良かった。
普段は多いはずの車がわずかに減ったタイミング。老人が現状を理解して逃避の行動を直ぐに起こせば何ら問題なく終われるくらいの出来事だった。
しかし、犯罪者たちの行動は本当にタイミングが良かった。
老人が身体に力を入れにくいタイミングで突き飛ばし足腰にダメージを与えた。先の交差点で信号機の切り替わりに焦った車がスピードを上げて曲がって来た。車道に突き飛ばされた老人の衣服は暗く識別するのに少しだけ手間取る状況だった。
そんな絶妙な状況を犯罪者は作り上げていた。
残念なことに、俺には老人が車に轢き殺される未来は見えてしまった。
そして犯罪者たちがそれに気づくころには手遅れで、気づいたところで何も出来ないことは目に見えていた。
別に俺は正義感は強くない。正義感が強ければ始めから行動を起こしていて阿呆集団をどうにかしていた。何も気づかなければ老人に駆け寄ることもしなかっただろう。
動いた理由は単に寝覚めの問題。
ここで見て見ぬふりをしては毎日の寝覚めが悪くなる。ああしていればこうしていれば。そうした無駄な思考に苛まれたくない。それだけのことだ。
我ながらに阿呆だなと思う。
莫迦騒ぎをする阿呆集団を突き飛ばし老人に駆け寄る。言葉をかける余裕もなく無理やり老人を引きずり歩道へ移動させようとする。しかし驚き負傷した老人を移動させるのは簡単なことではない。
更に阿呆集団がやって来てどうしようもなくなる。
そうしてまもなく盛大なクラクションが鳴り響く。
出来る限りのことを尽くしたつもりだったが、全てが無に帰したことを理解する。
迫りくる車は減速するも止まることが出来ずそのまま衝突してきた。
寄り添っていた老人とは引き離されて宙を舞う。幸い痛みは全くなかった。ただ視界に残るのは反対側の歩道を歩いていた学生の言葉にしがたい表情。中学生くらいの子どもに相当なトラウマを残してしまったなと考えているうちに意識が途切れた。
次に気付いた時には芝生の上だった。
後から気付けばこれが異世界転移の瞬間だったのだと思う。
やはり自動車事故と異世界転移は密接な関係にあるのだろう。
今ではそんな与太を考えられるが転移直後は状況を全く呑み込めず苦慮した。
空には2つの太陽があるし周囲の草木や昆虫は見たことのないモノばかり。明晰夢かとも思ったが覚める気配もない。感覚も鋭敏だし夢ではなかなかできないことが出来てしまったので現実としてとらえるしかなかった。
転移後の最大の幸運は同じ境遇のヒトがいた事だろう。
散策と思考に明け暮れていたところで出会ったのがじいさま。
俺が何も出来なかった老人だ。
じいさまと出会った俺は安堵し状況を受け入れてしまった。聞けばじいさまもしっかりと車に撥ねられたらしく共に死んだのだと妙に納得出来てしまった。そして死んだのであればここは死後の世界。あるいは次なる生の場所と共に納得してしまった。
そう納得してしまえば次の行動。
新たな世界がどういうモノかは分からないがヒトのみであるのならば必要とするモノは多い。水に食料、生活拠点。見知らぬ土地、というよりは新たな世界でサバイバルが始まった。
学生だった俺はサバイバルとは無縁だったので楽ではなかった。それでも生きるためには動くしかなく、ひとりではなかったのでそれなりに頑張れた。年の功でじいさまが知恵を持っていたのも幸いした。
これが異性とのトラベルだったらどうだったかは分からない。
少なくともじいさまとだから乗り越えられた。
じいさまとのサバイバル生活はなかなかに長期間になった。
それはなまじ生きるための安全の確保が出来てしまったからでもある。早い段階で沢を見つけ拠点に出来る洞穴を確保出来た。近くの川には魚が生息しており狩猟も比較的簡単に出来た。
最も幸運だったのは俺もじいさまも新たな世界にきて身体が健康になっていたこと。じいさまの背筋は伸び筋肉も戻っていた。俺も少し走っただけでは息が上がらないほどの体力がついていた。
前世界の事を思うと驚きなのだけれどそもそもの状況が驚きなので深く考えなかった。じいさまは久方ぶりに自由に動けるとあってかなり張り切っていた。
今思えばこの時じいさまを野放しにしたのが悪かったのだろう。
後悔はしていないけれど。
サバイバル生活の中で俺とじいさまは色々と体験した。
我ながら無茶をしたと後悔することもある。死にそうな状況は何度もあった。じいさまを救ったこともあるし救われたこともある。けれど俺とじいさまはそれを楽しんでいた。
既に死んだ身。俺とじいさまは真剣に生を楽しんだ。
無茶無謀で死んだとしても後悔しないように。
だから熱中し過ぎた。
人里を目指すことを忘れるほどに。
俺とじいさまが人里を目指すようになったのは周辺に面白そうなものが無くなってからのことだった。あらかた強い生物は食し、寧ろ生態系を壊さないように工夫し始めたころ。
「飽きたな」
じいさまのその一言で次を目指した。
次を目指した旅は始めの生活以上に困難だった。
振り返ればこの集落を探す旅がじいさまを戦闘狂にしたのだと思う。
拠点を構えたころは生活が安定していて大変であったけれど休める場所があった。無理を悟れば立て直すために逃げることも出来ていた。食も大きく困らなかった。
けれど旅の途中はそれが簡単に出来なかった。
そしてその安全を取る事を俺とじいさまは面白いと思えない状態になっていた。
俺とじいさまは自らの命を危険にさらしそれを狙ってくるモノと対峙してその命を奪う。そしてそのモノを自らの血肉にして生きていく。それを楽しんでしまっていた。
前の世界の温く腐った価値観では野蛮というのだろう。けれど俺とじいさまは生きるためにはそれが必要で、それは俺たちに生きる喜びと実感を与えてくれた。
色々と脳内物質が出ていたのだろう。
じいさまはそれに持っていかれてしまった。
じいさまは日に日に限界を追い求めひりついた戦いを求めるようになった。自分が切り裂かれても相手の玉を取るように飛び込んでいくようになった。旅に出てくる獣たちは強くなる一方でじいさまは一切ひるまず突き進んでいった。
旅の途中ではかなり強大な獣との出会いがあり、結果として狂人化したじいさまのおかげで俺は救われたのだけれど流石に恐怖を感じる。
自分の数倍以上の大きさの獣に怯むことなく飛び込んでいく老人。
笑みを浮かべながら刃物を振るい血飛沫をまき散らす。
その様は控えめに言っても狂っていた。
流石にああはなるまいと心に誓った。
とまあそんな感じでのんびりと旅を続けて人里に出られたのがおよそ3年前。
始めにたどり着いたのは小さな寒村。
不用心で寛大なその村は異質な俺とじいさまをもてなし助けてくれた。どうにも旅で捕食していた獣たちは町村では手を焼く害獣だったらしくいたく感謝された。
村の長は無知な俺たちにあれこれ手ほどきをしてくれた。もちろんその対価として害獣を駆除したり力仕事を手伝ったりもした。対価としては村の方が大いに得していたかもしれないが何ら問題はなかった。
その後いくつかの町村を渡り歩き、情報を集め害獣駆除を行い楽しい旅行を続け近隣で最も栄えているセキの街にたどり着いた。
セキの街にやってきたのがおよそ2年前。
当初は軽く情報収集して次の街へと移動するつもりだったのだが色々と充実しているセキの街に居ついてしまった。
ある程度精力的に情報を集め研究が行われている施設があり俺としては興味がつかなかったという事もある。近隣では大きな都市になるため様々な害獣駆除依頼がありじいさまが飽きなかったという事もある。
そうしたお互いの利点から居ついてしまった。
そして今では異世界転移などすっぽりと忘れ今を精一杯生きている。
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