最終話 ♢♢

「王子である俺も、一応あの人達とちゃんと血のつながった子供なんだがな?」

「――――は?」


 何が、は、だ。阿呆め。


「だから、俺もあの人達のガキだっつってんだよ」


 何回言わせるんだと思いながらももう一度繰り返せば、ベルンハルトは僅かに焦ったような表情を見せる。


「いやしかし、二人はフェリシア姫のことを指していて……」

「『私達の愛しい子供』って言ってたんなら俺じゃなくてフェリシアだろうがな、ただの子供なら俺も入るだろうが」

「それは…………」

「だがな――――――」


 しどろもどろになっている間抜けな男に、俺はさっさと畳みかけることにする。

 薔薇の花束片手にバルコニーに舞い降りた気障な騎士に、声を荒げて俺は怒鳴った。


「いいか、よく聞け! 俺は異性愛者の女じゃねぇし、同性愛者の男でもねぇ! 俺は! 完全なる異性愛者の! 男だ! 俺の好みは、胸と尻のでかい大人の女! 間違ってもてめぇみたいな男じゃねぇ!」


 突然怒鳴り始めた俺に仰天したように、ベルンハルトは大きく目を見開く。そんな彼を見下ろしながら、俺は大きく息を吸って、吐いた。

 大きな深呼吸の後、俺ははっきりと宣言した。


「だから、てめぇみたいな野郎にプロポーズされたって、夢は見れない」


 俺は、大きな瞳で俺を見上げる男にそう告げる。俺の怒声も宣言も止み、部屋に静寂が満ちるだけだ。未だに甘い香りは充満しているし、薔薇は汚いし、騎士も無様に床に座り込んでいる。

 そんな彼が、静寂の中先に喉を静かに震わせた。


「貴方の夢は、何ですか」


 じっと見つめられたので、答える。


「世界の復興だ」

「……この地は、地獄に堕ちると」

「上等だ」

「…………それに、もはや誰もが神の楽園へと向かった」

「んな訳あるか。この国の全員が狂信者な訳ねぇだろうが。神が何と言おうが、間違いなく自殺を選ばなかった生き残りがいるはずだ。今頃、主が自殺していなくなった家で嬉々として泥棒してんだろうよ」

「そん、なこと、は」

「ない訳ねぇっつってんだろ。つーか、この国は信仰が根付きすぎてるけど、他国はそうじゃねぇだろうが。間違いなく生き残ってる人間はごまんといる」


 彼は黙った。

 俺はこの隔離された塔で六年間過ごしていた。だから、世界がどうなっているのか良く知らない。もはや人が生きれる地じゃなくなっているのかもしれないし、本当に、もう恐ろしい程人がいなくなっているのだろう。

 それでも、間違いなく生き残っている人間はいる。


「そんな人間達と合流して、穏やかな世界を取り戻す。誰もが笑えるような世界だ――――かつての、俺の可愛い妹のように、無邪気に笑える世界。かつての、俺の可愛い妹のように、外に出ただけで殺されない優しい世界だ」


 俺にとっては本当に遠い昔の、六年以上前の記憶。一瞬にして殺された妹と、愛する娘を殺す毒薬を騎士に持たせた両親の記憶。

 まだ、世界が狂っていなかった頃。


 この世界には、無邪気に笑う妹と、そんな彼女を幸せそうに見つめる両親がいた。そこに俺はいない。

 それでも、俺は。


「俺は、両親に夢を見せたよ。貴方達の可愛く愛しい妹は無残に殺されることなく塔で幸せな時を過ごし、そして最後は、美しい騎士に助け出されて結婚を申し込まれる幸せな夢の中死んだのだと。俺は最後まで、母上と父上に夢を見せ続けたよ。最後の最後まで、俺は二人に夢を見せ続けたよ。二人は俺なんて愛していなかったけれど――――俺は、二人を愛していたから」


 貴方達が自殺する最後の最後まで、俺は貴方達の夢を貫き通して見せた。

 俺は、貴方達に最後の最後まで、夢を見せたのだ。


「だから、次はお前の番だ――――王と王妃の命令に縛られる哀れな騎士ベルンハルト」


 そう言って、俺は桃色の愛らしいドレスの胸元に手をかけ、中から女の胸の代わりを務めていた布を抜き出す。それがはらりと床に流れ落ち、代わりに俺は床から毒薬の入っていた包みと、いつのまにか男の手から零れ落ちていた二粒の毒薬を手に取った。

 包みの口を封じていた紐を抜き出して、下ろしたままの髪を高く乱雑に縛り上げる。そして、親指で己の唇をなぞって、紅を取った。


 フェリシアは、もういない。ここにいるのは、フェリクスだ。


 ふぅ、と前髪をかき上げてから、俺は手を伸ばした。

 座り込んだままの男の胸倉を掴み上げ、無理矢理立ち上がらせる。


 少しよろめく美丈夫の様子など気にせず、俺は彼の精悍な顔を己に引き寄せた。そして至近距離でベルンハルトの瞳をこれでもかと覗き込んだ。ラピスラズリの瞳が良く見える。深青に金が散ったその美しい瞳に、俺の姿が鏡のように映り込んでいた。あぁ、よく聞けよ、ベルンハルト。

 俺の妹を殺しに来た、騎士様よ。

 俺の妹に、夢を見せに来た、美丈夫よ。

 体をぶつけ合うように俺は男の胸倉を掴み上げたまま、低く俺は囁いた。




「――――――――――――俺に夢を、見せてみろ」




 ただただ目を見開く騎士に、俺は囁き続ける。


「次は、俺が夢を見る番だ。誰かに夢を見せるのは、もう終いだ―――――なぁ、ベルンハルト。お前が俺に、夢を見せてみろ。最後の最後まで両親に夢を見せ続けた俺に、最後の最後まで夢を見せてみろよ」


 そして、手に持った毒薬を彼の胸に強く押し付けた。その甘い香りが満ちる中、俺も甘く微笑んでやる。

 それこそ、この騎士が一番初めにしたように。


「そうしたら、その夢を見ながらお前に殺されてやるよ」


 王と王妃の、最後に見た夢の通りに。





 ベルンハルトは、俺が押し付けた薬を無言で受け取る。俺は彼から距離を取って、高慢な笑みを顔に浮かべてみせた。

 首を傾けると、久々に縛り上げた俺の金の髪がひらりと揺れる。気取ったように、俺は片手を腰に当てた。


「騎士が囚われの姫を助け出すってのもセオリーだがな、王子に付き従う騎士ってのもまたそうだとは思わねぇか?」

 下から男を見上げてみせれば、彼は少しだけ口を閉ざした後に低く呟く。

「それは確かに、そうですね」

「てめぇの主達は、最後の願いをお前に託しておっちんだ。なら、その願いを叶えるまでは、俺の騎士になれよ、ベルンハルト。俺に夢を、見せてくれるんだろ?」


 そう言って笑えば、彼は虚を突かれたように目を見開いた。俺は、そんな彼を面白がるように銀の瞳で見つめる。

 妹を殺しに来た騎士。

 妹に、結婚を申し込みに来た愚かな男――――薔薇の花束という、毒薬を片手に。


 暫くしてから、彼はその場に片膝をついた。薔薇の花弁が無意味に揺れ動く。


 久々に雨が止んだ夜。大きな窓から、大きな満月とそれをとりまく小さな星達、そして昼間まで降っていた雨粒に濡れる森が小さく見える。

 そんな美しい背景を背負った騎士が、俺の前で静かに跪いている。高い塔の、小さな一室。まるで御伽噺のような光景に、無意識に俺はぞくりと震える。


 当たり前のように俺を見上げて、類稀なる美貌を持った男は鳥肌が立つような笑みを浮かべた。






「――――我が主の、仰せのままに」


 彼は低い声で、そう告げた。



(終)

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囚われの姫の影武者やってたら、薔薇の花束持ってイケメン騎士が助けに来た。プロポーズされたけど、俺は男だから全然嬉しくない! 水瀬白龍 @mizusehakuryuu

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