4 幼童の夢

「千秋、千秋!」

 朝、兄の名を呼ぶ声で目が覚めた。ふすまを隔てた隣の部屋で、父が必死に叫んでいる。

 母とともに慌てて隣室へ行くと、兄が苦しそうに藻掻いていた。必死に息を吸おうと身をよじり、足をばたつかせ、首を掻きむしる。皮膚に爪が食いこみ血が出ても苦しみは終わらない。視線は異常なほど頭上を向いていた。

「お兄ちゃん! お兄ちゃん、しっかりして!」

「縄……、木、から……縄が……」

 途切れ途切れの言葉が兄の口からこぼれ落ちた。かろうじて聞き取れたのはこれだけだ。

 気が動転してしまって、これ以上のことはあまり覚えていない。気づけば救急車のサイレンが聞こえ、その頃にはもう、兄の呼吸はほとんど止まっていて。救急車では祖父が付き添い、父母は別の車でその後を追いかけた。兄は助かるだろうかという心配、実母を差し置いて救急車に同乗する祖父の強引さへの忌避感、自分だけ置いていかれてしまった寂しさ。それ以外にも色々と、不安で、全てがい交ぜになって心がぐちゃぐちゃだ。それでも、シズヱさんが「あのときと……、同じ」と呟いた声だけは耳に届いた。

 突然の呼吸器不全で亡くなったという伯父と、昨晩考えていたオカルトじみた思考が頭をよぎる。この家に関することが原因ならば、解決の糸口は稔君にあるのかもしれない。私は涙を拭って、庭の大木へと急いだ。



 着物姿の小さな男の子に、すがるようにして尋ねる。

「稔君! 助けて! 私のお兄ちゃんが、息ができなくなって、救急車で運ばれたの。お願い、何か知っていることがあるのなら――」

「あのおにいさんも、いなくなっちゃったんだ……。おじさんとおんなじだ」

 私の言葉を遮るように、稔君が残念そうに言う。たいして驚いた様子もなく、だ。

 稔君は、兄とも面識があった? 伯父の死とも関係しているの? 理解が追いつかない頭で、なんとか言葉を絞りだして問う。

「それって、……どういう」

「ぼくとあそぶとね、いなくなっちゃうの」

「どうして……? どうしてそんなことするの……?」

 かすれ、震えた声が、情けなく響く。私の前にいるのは、遠い昔に亡くなった悲劇の子なのに。この家のしきたりによる被害者なのに。守って、救ってあげるべき、なのに。

「だって、アキくんはいっしょにあそんでくれないんだもの。見ないふり、聞こえないふりするの。ひどいでしょう」

 頬を膨らませ怒る姿は、年相応の、ただの男の子にしか見えない。一緒に遊んでくれない弟への可愛らしい癇癪かんしゃくだ。怖いなんてこと、あるはずないのに。

「だから代わりにあそんでもらったの。こじろうがやってたように、なわでぶら下がってユゥラユラ」

 体を前後に揺らした稔君は至極楽しそうに、無垢な笑みを浮かべた。

「ねぇ、次はだれがあそんでくれるの?」

 世話役の様子を学び、ただ純粋に遊んでいるつもりなのか。それとも、理不尽に命を絶たれた少年が、無意識化の恨みによって復讐しているとでもいうのか。あるいはその両方が合わさり、この揺本家に襲いかかっているのかもしれない。矛先である祖父が不干渉を貫いたせいで、伯父が犠牲になり、兄も……。そして木が大きく成長するように、無邪気な呪いも止まることなく肥大してゆく。

 誰が悪いのか。どこで間違えたのか。世話役の人だって、殺したくなかったし死にたくなかった。祖父だって、ただ産まれてきて命を全うしているだけだ。それなら実子にこだわり家族を翻弄した曾祖父母か、もっと前から続く悪習か。それとも、寒空の下にいる子どもを、祖父のように見て見ぬふりでもしたらよかったのか。そんなこと、今考えたってどうしようもない。

 私の首に、太い縄のざらついた感触が伝う。

「おねえさんも、ふらここであそぼうよ」

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ふらここ遊び 十余一 @0hm1t0y01

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