切れた、しつけ糸

ばみ

そば

「高山のおじいちゃんが亡くなったって」


 最後に会ったのはいつだろうか。大学に入学してほぼ一年。お盆も地元に帰っていない。大学への入学が決まったことを報告するために会いに行ったのが最後。最後にどんな会話をしたかなんて覚えていない。


「まぁ、元気でな」


 これだけは忘れない。いつも別れ際に祖父はそう言う。


 新幹線に乗りながらずっと祖父とのことを考えていた。実家から高山まで20分ぐらい。でも頻繁に会ってたわけでもない、年に5,6回。お盆と年末、それと時々。なんだろう。亡くなった、もう会えない、はずなのに事実と感情が相伴っていない自分がいる。


「ただいま」


 実家に帰ってきたのも入学前以来。たった一年。家の様子はあまり変わっていなかった。変わっていたとすれば受験道具が消えた自分の部屋と高校受験を控える受験生の妹の部屋ぐらいか。


「あれ、父さんは?」


「高山の家にいるよ」


「高山の家か、葬式の準備?」


「そう。私も今からそっちに行くから夕飯作っといたから二人で食べてね」


「はーい」


「それじゃあ、行ってきます」


「気をつけてね」


 そういえば、喪服なんて持ってないんだけど。まぁ、中学の時に履いていた黒の学ランのズボンと白のワイシャツで大丈夫だよな。


「おーい、勉強区切りのいいところになったら夕飯食べるよ」


「はーい、あと二問待って」


「わかったー」


 キッチンに作られてある料理。色鮮やかなバランスのいい料理。懐かしい料理。大学に入ってから一番恋しくなった母の手料理。


「区切りついた」


「じゃあ、夕飯にするか」


 テーブルに料理が並んでいく。久々の実家での食事は妹と二人。非日常と日常の同居。


「受験勉強順調なの?」


「多分」


「多分って……模試とかの結果はどうなの?」


「言いたくない」


「そっか……」


 たった一年、されど一年。壁を感じた。


「そういえば、おじいちゃんって入院してたの?」


「うーん、知らない」


「そっか……」


 食器を洗い、その間にお風呂を沸かす。母からメッセージ『一応、玄関に塩用意しておいて』『了解』玄関に塩を用意して沸いたお風呂に入る。一人暮らししてからシャワーで済ますようになってしまい久々の湯船。やっぱり湯船は気持ちいい。髪を乾かしながらテレビを眺める。一人暮らしをする前はあんなに好きだった番組も一人暮らししてから見なっていた。急に祖父の家でのことを思い出した。私はテレビが好きだった。祖父の家でもよくテレビを見ていた。祖父はそんなテレビを見ている私に近況や学校でのことを聞いてきた。そんなよく話かけてくれる祖父を私は少し煩わしいと感じ、そっけない返事しかしていなかった。


「ただいま」


「お帰り」


「洗い物洗ってくれたの?」


「風呂沸かすまで時間あったから」


「ありがと」


「父さんは?」


「高山に泊まるって」


「そうなんだ」


「勉強してる?」


「多分、夕飯食べ終わってから自分の部屋に戻っていった」


「ふーん」


「ねぇ、明日って学ランのズボンとワイシャツでいいかな?」


「んー、それしかないよね」


「うん」


「じゃあ、仕方ないね。ズボンは履けるの?」


「一応、履けた。でも、長さが足りないんだよね、なんとかするけど」


「そっか、高山のおじいちゃんの葬式終わったら喪服買いに行こうね」


 翌日、朝早くから高山の祖父の家にいた。久々にあった父は話しかけられる感じではなく忙しく今日のお通夜の準備をしていた。自分は何ができるのか全く分からなかった。どうしてだろう。父も母も父と母ではなかった。ちょっと顔を知っている他人のような、バイト先の人のような。忙しいところから逃げた自分は父の部屋にいた。今まで一回も入ったことがない父の実家の父の部屋。漫画、映画、音楽、ゲーム。父の部屋にはコンポやPS3、テレビ、DVDプレイヤ。自分の趣味と似ている。でも、父と映画の話なんてしたことがない。ゲームは一緒にしたことはあるが音楽なんて映画と同じ。不意にも親子を感じた。父の好きなものが集まった空間。父と自分は違うはずなのに居心地の良い空間だった。


「昼ごはん何食べる?」


「んー、何があるの?」


「そばとか」


「いいね」


「じゃあ、作るの手伝って」


 そば。数年前に亡くなった祖母が足を悪くする前はよく近くのお蕎麦屋さんに行っていた。普通においしい。味の面でいうともっとおいしいお蕎麦屋さんはあるのだが、大好きだった。特に最初に出てくるそばのかりんとうがとても好きだった。でも、祖母が足を悪くしてから家でお寿司を食べるようになっていた。最後にあのお蕎麦屋に行ったのは祖母の葬式の前だった。もう一緒に行けない。思い出のお蕎麦屋さん。




 昼が過ぎたぐらいから親戚が集まってきた。よく知らない親戚。それ以上におじいちゃんを知らなかったことを知った。親戚の人と父の会話は祖父の昔話に溢れる。祖父が大工だったこと。自分の家を自分で作ったこと。知らないことばかり。果たして自分は知ろうとしていたのだろうか。その話を聞きながら私は黙ったままだった。


「あの庭にある池も自分でつくったってことなんですかね」


「そうだと思うよ。立派だよねあの庭」


「はい、そうですよね」


「それにしても急に亡くなるなんて、病院とかには通ってたの?」


「ちょくちょく通ってはいたと思うんですけどね、そんなに大きな病気を持ってなかったんじゃないかな。親父からは何も聞いてなかったので」


「じゃあ、寿命か」


「亡くなる直前まで畑作業とかやってたみたいですからね」


「そんな死に方したいよ」


「まだまだ亡くなるのは早いですよ」


「でも、もう何十年と生きれるわけじゃないからな」


 日も暮れ、親族が続々と集まってきた。祖父の話で花が咲いている和に私はまた入っていけなかった。そして、お寺からお坊さんがやってきた。それからしばらくしてお通夜が始まった。続々とお焼香をあげに近所の人、村長などが祖父の家を訪れた。念仏が終わり、家の机にはいつも祖父と一緒に食べていた寿司屋の寿司が並べられた。


 翌日、出棺のために祖父と最後の別れをした。昨日初めて会った親戚の人に顔を見れる最後だよと言われ、わかってはいたもののようやく相伴っていなかった感情が溢れた。目からの涙が止まらなかった。映画を観たり、感極まったときとは違う。表現できない涙。祖父の顔を見れる最後なのに見ると涙が止まらない。幸せそうに眠る祖父の顔。花で彩られた祖父の顔。なんでもっと祖父のことを知ろうとしなかったのだろう。なんであんなに話かけてくれた祖父にそっけない返しをしていたのだろう。いつも会っているわけでもないのに。もっといっぱい話せばよかったのに。 流れ続ける涙。あぁ、この涙って後悔なのかな。


 出棺直前、祖父の棺の前に一人座っていた父の背中。今まで見たことがないほど小さい背中。父の背中じゃないみたいだ。今まで祖父が亡くなってからというものの喪主の父は一番祖父に向き合いたかっただろうが色々な準備に追われ。向き合えていなかった。返ってこない親子の会話。そこには父ではない、祖父の子供がいた。


「それでは出棺とさせていただきます」


「ちょっとこれ持って」


「うん」


 父から渡された祖父の遺影。笑顔な祖父。本当に元気で亡くなった祖父は写真と何も変わっていない。祖父が霊柩車へと運ばれる。その後、火葬が行われ、翌日に葬儀が執り行われた。祖父の死から一週間後、私は新幹線に乗って家に戻った。


 日常が戻る。高山では祖父がまだ元気に暮らしている。悪い夢を見ていた一週間。そんな感じ。いつも通り、友達二人とバカ騒ぎ。友達の家に行って、お酒を飲みながら自分の悩み、恋の相談とかあまり他の人に言えないことをしゃべってバカ騒ぎ。今年に会った、一年もない関係。でも、年数など意味を持たないない関係。永い眠りから覚めた私はもう夢のことなど頭の隅に追いやっていた。


「言ってなかったんだけど最近さぁ、俺の恋終わったんだよね」


「好きな人いたの!」


「いたらしいよ」


「知らなかったの?」


「知らないよ、誰?」


「わかると思うんだけどなぁ」


「いやいや、わからんって」


「絶対わかるって」


「いや、絶対わからん」


「なんでよ」


「だってその話した時、俺わからなかったもん」


「そうなの?」


「じゃあ、当てる。……決着ついたのっていつ頃?」


「一週間前?そのぐらいかな」


「ちょうど実家に帰っているときじゃん」


「そっか、そのぐらいか」


「いつ頃から好きだったの?」


「それが分からないんだよね」


「その人って知ってる人?」


「めっちゃ知ってる人」


「まじかぁ……わからん」


「いやいや、絶対わかる、お前なら」


「いや、絶対わからないって」


「もうちょっとヒントくれよ」


 そのまま、三人で夜を越す。生活は終わっていたがそんな時間が無性に楽しかった。大学を卒業してもずっと一緒にいられる親友。気兼ねなく何でも話せる気の合う二人。私はそんな関係になりたかった。


 それなのに……新品の喪服をお前たちでおろしたくないよ。







 喪服で訪れたそれぞれの故郷。一緒に訪れたかったお前らの地元。 別にお前らの両親から「仲良くしてくれてありがとう」なんて言葉を喪服で聞きたかったわけじゃないんだよ。聞くなら笑顔でカジュアルな服を着たお前らの両親とお前らと一緒に何気ない空間で聞きたかったよ。







「バイトあるからいけないわ」


 大破した車を遠くで見ながらこう言った自分を後悔したよ。無理にでも店長に休ませてもらえばよかったのかな。それとも


「いけないから別の日に三人で行こうよ」


 とか自分の都合を押し付ければよかったかな。


「どうすればよかったの?教えなければよかった?」


 いくら投げかけても何も返ってこない。わからないならふざけてでもなんとか返してくれよ。こっち見ろよ。なんで今日は相談に乗ってくれないんだよ。だからこっちを見ろよ。


 本当にお願いだから目を…………合わせてくれよ


 微動だにしない、顔を見ることすらできない。


 私は喪服姿で新幹線に乗って家に帰った。


 日常が戻らない。何でもないのにメッセージや電話をかけていた彼らのLINEはどんどん他の人に埋もれていく。新着メッセージが届くことはない。早く覚めてくれと願いながら悪い夢を見ている一週間。そんな感じ。いや、一週間と言わず、まだまだ続く悪夢の日々。全く生きている心地がしない。何に対しても何も感じない。彼らに相談していたあの子もどうでもいい。彼らの紹介で知り合ったあの子。彼らがいないならあの子は赤の他人。 彼らの死から寄り添ってくれたあの子も今ではもう私から離れていった。


 心にぽっかりと空いた穴をふさぐことができずに今年も終わる12月。周りでは忘年会。


「もし……」


 今年を忘れることができたなら


 彼らを忘れることができたなら


 この心に空いた穴はふさがるのだろう。


 それは私にとっていいことなのだろうか。彼らとの時間は私の人生になくてもいいものなのだろうか。


 年末年始。実家に帰った。高山の祖父の家に行った後、久々に訪れたあのお蕎麦屋さん。家族四人。もうそこには祖父も祖母もいない。一緒に来たかった彼らもいない。


崩れ、また悪夢へと眠りつく。

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