ある小さな島のお話⑥

 少女が病院から退院する日。


 青年は少女が出て来るのを病院の外で待っていた。


 やがて少女が病院から出てきて、青年のことに気が付いたその瞬間、その眉を寄せた。


「……あんた、そんなところで何してるのよ?」


 青年は怪訝そうにしている少女に歩み寄った。


「君を待ってた」


 そう言うやいなや、少女の手を取り青年は足早に歩き出した。


「ちょっと! いきなり何するのよ」


 少女が青年に文句を言うが、青年はその脚を止めることはせず。


「君に見せたい物があるんだ」


 そう一言だけ答えた。


 少女は何が何だか分からない様子だったが、青年はだまって彼女の手を引いて歩き辿り着いたのは浜辺だった。


 少女が毎日のようにこぎ出していた海、そこに一隻の見覚えのない船が浮かんでいる。


 青年は引いてきた少女の手を離すと、海に浮かんだその船へ歩みよっていく。


「この船は僕が作ったんだ」

「この船を?」


 そう言われて少女が改めてその船を見る。


 大きさ少女が今まで乗っていた船よりも二回りくらい大きく、ヨットというよりは帆船といった方が近い。


 ここ数日、青年がただ一人で、一生懸命に作り上げた船。

 そんな船を見て、少女は少し感心したような顔で。


「立派な船じゃない、でもこれが一体何だって言うのよ」

「この船は君にあげるよ」


 そう言うと、少女は驚いた様な顔で青年を見る。


「この船を君にあげる、だから――」


 青年は一度そこで言葉を躊躇った。


 本当にこれで良いのだろうか?


 そんな一瞬の躊躇。しかしその躊躇を吹っ切り瞳に熱を籠めて。


「――もう一度、あの雲の向こうを目指してくれないか?」


 真っ直ぐに少女の顔を見つめ、青年はそう言った。


 少女はまた驚いたような表情をしたけれど、直ぐにその顔は下を向いて。


「……無理よ。言ったでしょう、島の外へ出ることはもう終わりにするって」


 言いながら少女が震えそうになる手をぎゅっと握ったことに青年は気が付いた。


「……」


 青年が下を向き俯いてしまった少女へ、ゆっくりと歩み寄る。


「あの雲の中で君に一体何があったのか、僕にはまるで検討もつかない」


 船がバラバラになってしまう様なことがあったのだ、きっとよっぽど怖い思いをしたに違いない。


 そんな恐ろしい場所へもう一度挑めと彼女に言っている自分はきっと酷いことをしているんだろう。


 本気で彼女のことを想うのなら、別の道を進もうとしている彼女の背中を押してあげるべきだ。 


「でも、そんなことは知らない」


 青年は少女の直ぐ目の前に跪き、下を向き俯いてしまった彼女の顔を見上げ見つめる。


「君には話しただろう僕の夢を」


 彼女の手で初めて海へと連れ出されたあの日、彼女に聞かれ答えた、忘れたつもりだった自分の夢。


「僕はね自分の船で島の外へ旅に出るのが夢だった。でも諦めた、自分にはできっこない、そもそも外の世界なんてあるわけがないって自分に言い聞かせて」


 あれだけ宝石の様にキラキラと輝いて見えた物が、いつの間にかその光りは陰っていった。


 そのうち宝石はその辺の石ころと同じになって、気が付けば何処かに落っことして忘れてしまった。


 まるでそんなもの、最初からなかったみたいに。


「でも、君は違った」


 周りの人間が諦めろといっても少女は諦めなかった。


 雲の向こうなんていける訳がないだろうと言われても、少女はそんなことはないと挑み続けた。


 自分や周りの人間がどうでもいいとなくしてしまったものを、いつまでも後生大事に持ち続けていた。


 羨ましかった、彼女の持っているそれは今も宝石の様に輝いているように見えて。


 だから自分は少女のことを放っておけなかったんだろう。


 自分が捨ててしまった物を今も大切に持っている彼女のことが、眩しくて羨ましくて。


 そんな彼女の夢が好きだったから。


 見つめる少女の瞳は、今も不安げに揺れている。


 そんな彼女を真っ直ぐに見据えて青年は自分の覚悟を口にする。


「一人が怖いのなら僕も一緒に行くよ」


 最初、少女は何を言われたのかよく分からなかったのだろう、その表情は驚いた様な呆けているような不思議な顔をしていた。


「あの雲の中で何があったのか僕は知らない。君がどんな想いで今まで過ごしてきたのかも知らない。僕が言っていることが身勝手なただの我が儘だってことも分かってる。それでも僕は君に夢を捨てて欲しくない」


 青年は少女の目を見ながら話し続ける。


「僕は君とあの雲の向こうへ一緒に行きたい」


 もう青年が帰るための家は、この島のどこにもない。


 あの雲を超えるためにはどんな嵐がきても壊れない頑丈な船を作れるような、そんな特別な材木が必用だった。


 だから青年は自分の家をバラバラにして、この船の材料に使った。


 木こりとしての人生、その集大成であり象徴のような家を青年は捨てた。


 それは少女を再び危険な冒険へと誘おうとしていることに対する、青年なりのせめてものケジメであり覚悟だった。


「僕が作ったこの船で君と一緒にこのあの雲の向こうにある世界へ行く」


『あなたは今、何のために生きてるの?』


 それは前に、少女から投げかけられた問いかけだった。


 青年はあの時その問いかけに何も言えなかった。言葉にする答えが自分の中に何も無かったから。


 でも今ならはっきりと、君の瞳を見て答えられる。


「夢を追いかける君を、そしていつか夢を叶えた君の姿をこの目で見ていたい。それが僕の夢で」


 それが――


「今、僕が生きる意味だから」





――あとがき――


ここまで読んでいただきありがとうございました。

毎週月曜日に最新話を投稿しています。面白いと思ったらぜひフォローと♡や★でのご評価お願いします。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る