第30話
そうして二日が経った。
……疲れた。
今までぶっ通しで作業を続けていたがここに来て集中力が切れた。
目がチカチカする。ずっとパソコンの画面とにらめっこしていたせいだろう。
気が付けば日も落ちて、部屋の中はすっかり暗くなっている、電気を付けるのも忘れるほど作業に没頭していたことに驚く。
どうしてこんなことをしているのだろう?
自分にそう問いかける。
……やめてしまおうか、やっぱり。
そんな言葉が頭の中で響く。
こんなことしたところで上手くいきっこない、無意味だ。
全部放り捨てて楽になろう。
そんな甘美な言葉に靡きかけたその時、ふとパソコンの脇に置いた本と名刺入れが目に止まった。
……思えば自分は怖かったのかもしれない。
自身の中で大きな存在になっていく、彼女のことが。
夢を諦めない彼女が眩しくて、諦めて妥協している自分が惨めで間違っていると言われている様な気がして不安になった。
惨めで間違っている自分が守瑠のそばにいていいのだろうか、ただのお隣さんでしかない自分がこれ以上踏み込んでいいのだろうかと、心のどこかで考えていたのかもしれない。
自意識過剰な被害妄想に浸って勝手に距離を置いて、結果的に彼女を傷つけ自分も傷ついて。
まったく今思えば馬鹿な話だ。
浩樹は買いだめした栄養ドリンクを一息に呷って気合いを入れ直す。
守瑠と出会い過ごせた時間は、一年にも満たない、ほんの僅かなものだ。
しかしその僅かな日々を思い返していると、体の中で萎えかけていた何かが力を取り戻していくような気がした。
行け止まるなと背中を押してくれる。
俯瞰する何かは、今もなに馬鹿なことをと呆れている。
構うものか。
そんな物の相手をしている暇はない。やらなければならない事が、今の自分にはある。
このままいけば守瑠は声優を諦めてもっと別の道へと進むのだろう。
会社に就職して働いて、そのうち家族が出来て自分の子供だか孫だかに、わたしは昔こんな夢を持っていたんだよ、なんてことを懐かしそうに話すのかもしれない。
今が辛くてもきっと彼女は立ち上がって、そんな人生を送っていく。
多分そうなることが彼女の為なんだろう。
芽が出るかも分からないような種に水をあげ続け、なまじ咲いたとしてもいつ枯れるかも分からないような、そんな不安な人生よりもずっといい。
きっとそれが正しくて真っ当な道だ。
でも。
それでも――。
『お前の書く作品には愛がないんだよ、愛が』
それは昔、まだ専門学校の学生だった頃に恩師に言われた言葉だ。
自分達が書いているのは小説という名のラブレターでお前の作品には愛がない。
先生はあの時そう言っていたが、今その言葉の意味をやっと理解することが出来た様な気がする。
ラブレターは言うまでも無く、想い人に対して自身の愛を伝える為のもの。
考えてみれば当たり前のことで、どれだけ体裁を取り繕うとも伝えたい想いがないラブレターに誰が心を揺らしてくれるというのか。
伝えたいと思う強い想い、それが愛だというのなら――。
俺は全力で綴ろう、ただ君へのありったけの愛をこめて!
浩樹が止まっていた作業を再開する。
カタカタとパソコンを叩く音だけが響く中で夜はゆっくり更けていき、そして……。
午後から守瑠の手術が予定されているその日、浩樹は彼女の入院している病院を訪ねていた。
手続きを済ませて病室へと向かう。
受付で対応してくれた看護師さんが、何やら心配して診察を進めてきたが今日は医者に掛かる為に来たわけじゃない。
ふらつきそうになる脚に力を入れて、守瑠のいる病室を目指す。前来たときは軽く迷ったが一度来たおかげか今回は一発だ。
病室に辿り着き中に入ると真っ直ぐに守瑠のベッドへと向かい、一声掛けてからパーテーションを開ける。
その瞬間、浩樹の顔を見た守瑠がギョッと驚いた顔をした。
「ちょっ、オジサンどうしたの?」
「? 何が」
慌てる守瑠の意図が分からず浩樹は怪訝な声を出す。
「いや顔! 顔がゾンビみたいになってるから。何で病院で患者よりも具合悪そうにしてるのさ」
「何でって言われても。ここ一週間殆ど寝てないからな」
一体今自分はどれだけ具合の悪そうな顔しているんだろうなーと、寝不足で思考力の落ちた頭がまるで人ごとの様に考える。
「一週間寝てないってダメだよ無理しちゃ! なにかあったの? 仕事が忙しいとか?」
「仕事は辞めたよ」
「えっ、なんで?」
驚いて心配そうに訪ねてくる守瑠だったが、今その質問に答えることは浩樹にとって億劫でしょうがなかった。
だから浩樹はなにも言わず、鞄からある物を取り出した。
「……読んでくれ」
そう言って浩樹が差し出したのはA4用紙の紙束だった。
守瑠は困惑した様子で、ゆっくりとそれを手に取る。
「読んでくれって言われても……ねぇこれって?」
「頼む」
何が何だかといった様子の守瑠に、自身の意図を説明する気力と体力は今の浩樹にはない。
ただその代わりに彼女の目を見た。
真っ直ぐに逸らすことなく、彼女の瞳を見つめる。
それで伝わったのかどうかは分からないが、守瑠はまだ少し怪訝そうな顔をしながらも浩樹に言われた通り表紙代わりになっていた白紙の一枚目を捲ると、そこに書かれ文字に目を通し始めた。
それはある島に住む木こりの青年と一人の少女の物語。
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