ある小さな島のお話④

 青年が約束通り一週間後にはヨットの修理を終えて海へと向かうと、そこにはすでに少女が待っていた。


「引き渡しの時間には、まだ余裕があるはずだけど」

「別に、偶々暇が出来たから少し早くきただけよ」


 少女はつっけんどんにそう言うけれど、その様子は落ち着きが無くて、早く修理を終えたヨットを見たいのが分かりやすかった。


 青年は荷台の縄を解きヨットを覆っていた布を勢いよく取り払うと、あずけられる前と比べたら見違えるほど綺麗になったヨットが姿を現した。


 青年が横目で少女を窺うと、彼女は目をキラキラ輝かせながら見とれるようにヨットを見つめている。


 どうやら満足してもらうことが出来たらしい。その事に青年は内心誇らしい気分になった。


「どう? 見違えるようじゃない?」


 青年がそう尋ねると少女はハッとして。


「ま、まぁ悪くないんじゃない」


 相変わらず素直じゃないが、その返事は予想できていたので青年はそれ以上はなにも言わなかった。


 ヨットを荷台から降ろして慎重に海へと浮かべると、沈んだりバランスを崩したりすることなく無事その場で浮かんでくれた。


 そのことに実は少しだけ心配していた青年はホッと胸をなで下ろした。


 少女は早速ヨットに乗り込むと、帆や舵に問題が無いかチェックを始める、さすが何度も海に出ているだけあって、その手際は素早く手慣れている。


「うん、問題はなさそうね」

「そいつは良かった。一応言っとくけどタダで修理したのは大サービスだからね。次回からはちゃんと代金いただくよ」

「分かってるわよ、そんなこと」


 ちょっとだけバツが悪そうにそう言って、少女はそっぽを向いた。


「分かってるならいいけど、それじゃあ僕はこれで失礼するよ」


 船に問題が無いのなら、もう自分はお役御免だ。

 青年がその場を後にしようと踵を返すと。


「ちょっと、待ちなさい!」


 後ろから少女に呼び止められる。


「今日は試運転でこの辺りを軽く流そうと思ってるんだけど」

「ふーん、それはいいね」


 今問題が無くても、海にこぎ出した途端に問題がみつかることが無いとは言えない。


 いきなりいつもみたい雷雲に突っ込んで、万が一のことがあれば命に関わる。だから確かに試運転は必用だろう。


 しかし少女は納得していない様子で、なにやら小声でうにゃうにゃ言っている。


「一体どうしたって言うのさ。言いたいことがあるなら聞こえる様に言ってもらわないと分からないよ」


 そう尋ねると、少女はまるで怒ったような顔で青年を睨み付けて。


「あんたも船に乗っていいって言ってるの!」


 顔を真っ赤にしながら彼女はそう言った。

 

 空は快晴、波は穏やか、今日は素晴らしいクルージング日和だった。


 頬を撫でる潮風は心地よく、ヨットが波を切りながら進む様はなかなか爽快で気持ちが良い。


 しかしお言葉に甘えて乗せてもらうことにしたはいいが、乗ってるからには手伝えと操舵を手伝わされることになるとは思っていなかった。


 ヨットに乗るのは初めてだったけれど、どの部分がどういう役割を担っているのかは把握していたのでどうにか操縦できた。


 ただそれ以上に少女の手際が見事だった。自身も帆や舵の管理をしながら指示を出すその様は中々どうして様になっている。


 伊達に何度もあの雷雲へ挑んでいないということなのか、彼女の操舵技術は島の漁師達よりも上かもしれないとさえ思える。


「木こりにしては中々上手じゃない。前にも乗ってたことがあるの?」


 沖合に出て風と波が安定してきた頃、少女が青年に声を掛けてきた。


「いや、船に乗るのはこれが初めてだよ。ただ前にちょっとね」

「ふーん、それも前に言ってた、昔取った杵柄ってやつ?」

「まぁ、そんなところかな」


 そう言うと少女はまたふーんと言って。


「ねぇ、その話もう少し詳しく教えなさいよ」


 急にそんなことを聞いてきて、青年は思いっきり嫌そうな顔をした。


「別に自分のことを、君に話す必要はないだろう」


 正直、昔のことを人に話したくない。

 しかし少女は余裕綽々と言った表情で。


「へぇ、そういう態度とっちゃうんだ。言っとくけど、私の質問に答えないと沖には返さないわよ」


 そう言って少女は親指で、もう大分遠くになってしまった海岸を指差した。


 しまった、船に乗せたのはこのためか。


「そこまでして聞く価値があるほど、面白い話しじゃ無いよ」

「ダメ。この間から私が聞かれてばかりで不公平だわ、今度はあんたの話を聞かせなさいよ」


 人に物を頼んでいるとは思えないような横柄なその言葉を聞きながら、青年はもう一度海岸の方へと視線を向ける……流石に泳いで帰ることが出来るような距離ではない。


 観念した青年は、せめてもの抵抗に大きくため息をついた。


「僕も、子供の頃は子供らしい無謀な夢を見てたことがあったってことだよ」

「無謀な夢って、どんな?」


 その質問に青年の言葉また詰まる。思えば自身の夢を誰かに話したことはこれまで無かった。


 気恥ずかしさから話すことを躊躇するが、少女が早く早くと急かしてくるので、青年はままよと今まで誰にも打ち明けたことの無い過去の夢をぶちまけた。


「自分が作った船で、島の外へ冒険に出ること」


 この島の子供は皆、外の世界への冒険を一度は夢に見る。それは青年も例に漏れること無かった。


 いつか自分ですごい船を作ってあの雲の向こうへ行くんだ。それが子供の頃の夢。


 その夢を叶えるために、木こりをしていた祖父に弟子入りをしたし、独学だが造船や操舵の技術も勉強した。


「どうして辞めちゃったのよ」


 話しの途中で聞いてきた少女のその声は少しだけ青年のことを責めているように聞こえた。


「別になにか特別な理由や、具体的な切っ掛けがあったわけじゃ無い。ただ、現実を知っただけだよ」


 夢を実現するために勉強すればするほど、それがどれだけ無謀で、どれだけ難しいか、突きつけられた。


 時が経つにつれ、文字通り夢の様に朧気だった物の輪郭がはっきりと形になって、見たくなかった物まで段々と見えてくる。


 嵐を超える船なんてどうやって作る? 船の操縦なんて自分に出来るのか? 仮に雲を抜けられたとしてその後はどうする?


 そもそも雲の向こうなんて本当にあるの? あったとしてそこへ行くことに一体何の意味がある? そんな曖昧な物の為にしんどい思いをしてまで頑張る必用はあるのか?


 そうして気が付いた時には青年の心は折れていた。


 どうせ雲の向こうの世界なんてありはしないと、今まで熱心に読んでいた造船や操舵の教本も読まなくなった。


「……つまんない話し」


 本当につまらなそうに、少女はフンッと鼻を鳴らしてそっぽを向く。


 彼女の言う通りこんなのはこの島ではどこにでもある、極々ありふれたつまらない話しだった。


「だから言ったろう、面白い話しじゃ無いって」


 今も尚、挑み続けている彼女には青年が諦めてしまったことが、納得が出来ないのだろう。


 でも全ての人が、彼女の様に夢を追いかけていられるわけじゃ無い。


 どちらが良い悪いとかいう話じゃ無い。


 きっと挑み続けられる彼女は特別で、諦めてしまった自分はどこにでもいるただの凡人でしかない。そういうことなのだ。


 しばらく経った後、海岸へと戻り青年がヨットから下りると、さっきまで海の上にいたから波で揺れることの無い地面に違和感を感じてしまい、なんだか奇妙な感じがする。


「どうだった? 乗ってみた感想は」


 船の帆を畳みながら、相変わらず不機嫌そうに少女が尋ねる。


「思っていたよりも楽しかったよ、風も気持ちが良かったしね」

「そう、なら良かったわね」


 帆をたたみ終えた少女が船を下りる。


 しかし何で彼女は、ヨットに乗せてくれたのだろう?


 話しを聞きたかったと言うこともあるのだろうけど、それだけの為に大切な船へ乗せてくれるだろうか?


 なんとなく青年が疑問に思っていると。


「――――」


 不意に少女がなにかを呟いた。


「え? なんて言ったの」


 聞き返すと、少女は青年を見ないで。


「何にも言ってない」


 最後にまた不機嫌そうにフンッと鼻を鳴らして、少女は早足気味にその場を去って行った。


 なにも言ってないと彼女は言っていたけれど、実はあの時なんて言っていたのか青年には、はっきりと聞こえていたのだ。


 船、直してくれてありがとう。


 そう彼女は言っていた。


 もしかしたら、今日船に乗せてくれたのは少女なりの感謝だったのかもしれない。


 全くもう少し素直に伝えてくれれば良いのにと青年は思った。




 翌日、彼女は直ったばかりの船に乗って、雲の向こうへ向かうため出航しっていった。


 たまたまその場にいた青年は少女を見送った。さて次はいつ帰ってくるのやら。


 そんなことを思っていたけれど、それから一週間が経っても少女は帰ってこなかった。


 もしかしてとうとうあの雷雲を抜けて、外の世界へ辿り着いたのだろうか?


 青年がそんな淡い期待を抱き始めたそんなある日のことだった。


 島の漁師が海の上で漂っていた彼女を救助したという話しが青年の耳に届いた。





――あとがき――


ここまで読んでいただきありがとうございました。

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