第20話

「美婭役は別の子に決まったって、さっきマネージャーから連絡があって」


 ……なんて声を掛けたらいいのか、言葉は直ぐには出て来なかった。


 たかだか一回落ちたからってなんだ、気を取り直して次また挑めばいい、そう言うのは簡単だ。


 ただ俯きながら話す守瑠の声があんまりにも悲しげで。


 今にも泣き出してしまいそうなその声が、安易な励ましの言葉を掛けることを躊躇させる。


「まぁ……なんだ」


 なんであれいつまでもこうして突っ立っているわけにも行かない。


 取りあえず守瑠に部屋へ上がってもらおうと声を掛けたその時だった。


「でもねっ」


 守瑠は俯いていた顔を、飛び上がりそうなほど勢いで跳ね上げて。


「なんと、香里奈ちゃん役でキャスティングされることが決定しましたッ!」

「…………は?」


 さっきまでの悲壮感を遙か彼方に吹っ飛ばす様な笑顔と、喜びに満ちた声。


 めまいがしそうな程の高低差に、浩樹の頭は全く処理が追いつかずその場でフリーズしてしまった。


「落ちたと思った? 落ちたと思った? 残念でしたー、私が落ちるわけないじゃん。それなのにオジサンだまされちゃってさぁ、あー可笑しい」


 ケラケラと笑う守瑠を見ていたら、出所の感情がよく分からない笑いが浩樹の口から零れた。


 あーそうだ、そうだった。


 目の前にいるのは曲がりなりにも声のプロだ、落ち込んでいる声の演技なんて朝飯前だった。


「分かったから、取りあえず中入れ玄関の前で騒がれちゃ近所迷惑だろうが」


 はしゃぐ守瑠を部屋に招き入れると、浩樹は調理の途中だった料理を仕上げる為に台所へと向かう。


 思えば彼女と出会った時もこうやって欺されたんだったと思い出す。


 当時のことを思い出すと、なぜだかもう随分と昔のことのように思えた。




 夕食を食べながら守瑠からオーディションの顛末を聞かせてもらった。


 オーディションは一人ずつ順場に個室に呼ばれていく方式で行われたらしい。


 順番が回ってきて入室すると監督とプロデューサー、残りは作画監督や音響監督などの主要スタッフ数人が審査員として守瑠のことを待っていた。


 名前や所属事務所などの簡単な自己紹介を済ませたら、直ぐに演技の審査に入り、前日に浩樹に聞かせてくれたあの演技を審査員の前で披露したという。


 本人曰く緊張はしたけど会心の出来だったと言う演技を終えた後、監督から質問が飛んできた。


「君はどうして、そのシーンを演じようと思った?」


 その質問の解答を守瑠は前もって用意してた訳では無かったが、でも不思議と答えは悩むこと無くすんなり口をついて出たという。


 結局、審査員からの質問はその一つだけでそのままオーディションは終了となったらしい。


「正直演技を披露したときよりも、質問に答えた時の方がキンチョーしちゃったよ。審査員の人たちの反応も薄いしさぁ」

「まぁ審査なんてそんなもんだろうさ」


 言いながら大皿に盛られた唐揚げを箸で摘まむ。


「でも結果的に監督直々に指名されたんだ。それだけ監督の心には刺さってことじゃ無いのか?」


 美婭役から落選した彼女を香里奈役にキャスティングすることを推薦し決定したのは監督なのだという。


 香里奈は主人公と同じように天使と戦う天真爛漫な少女で美婭のライバルであり、親友となるキャラクター。

 正直クールな美婭よりも、守瑠のキャラクターにはあっている配役の様に思える。


 原作での読者人気も高く、主人公では無いとはいえ、新人である守瑠がキャスティングされるのは大抜擢と言ってもいいだろう。


「それで? さっき言ってた監督からの質問には、なんて答えたんだ?」


 何気なく浩樹がそう尋ねると、さっきまで饒舌に話していた守瑠の言葉が、急に詰まった。


「えっと、ど、どうしてそんなこと聞くのかな?」

「だって気になるだろう。監督の心を射止めたかもしれない答えってのがどんな物だったのかって。守秘義務があるっているのなら無理には聞かねぇけど」

「いや、別にそういうのは無いと思うけど、でもぉ」


 なぜか突然もじもじし始める守瑠。


 そんな様子に浩樹は逆に益々なんと言ったのか興味が出てきた。 


 何やら葛藤している守瑠を根気よく待っていると、彼女はチラリと窺うような視線を浩樹に向けて。


「孤独になった美婭ちゃんが、それでも自分は一人じゃ無いんだって香里奈ちゃんが残してくれた物を胸に刻んで、戦う覚悟を決めるシーンが格好いいと思ったから……それに」


 守瑠はチラリと、窺うような視線を浩樹へと向けて。


「あのシーンが一番心を込めて演技ができると思ったから」


 もじもじと照れくさそうに守瑠はそうつぶやいたが、浩樹にはその意味がいまいち分からない。


「なんだよ普通に真っ当な答えじゃないか。そんなに恥ずかしがるようなことも無いだろう」

「はぁ!? べ、別に恥ずかしがってなんてないし!」

「いや、どう見たって照れてるじゃないか」

「照れてなんかないし! もう、わけわかんないこと言っちゃってさこれだからオジサンは。あーご飯美味しいなぁ」


 仮にも役者としてそれはどうなんだと思えるような大根演技をかましながら、夕飯を掻き込み出す守瑠。


 さっきの発言の真意を問いただそうにも、食事で物理的に口が塞がってしまっていて聞き出せそうにない。


 一体何をそんなに隠す必用があるのか、浩樹には全く検討がつかなかったが、これ以上粘った所でしょうがない気がしてきた。


「なんでもいいが、早食いは体に毒だぞ」


 それだけ言って浩樹も自身の食事を再開した。

 何はともあれ、守瑠が無事オーディションで結果を残すことが出来て良かった。


 そして、自分がほんの少しでも貢献出来たのならそれは嬉しいことだ。


 その時は、素直にそう思えた。

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