第19話

 オーディション当日の朝。

 浩樹はいつもよりも早い時間に目を覚ました。


 別に早起きをしようと思っていた訳でも無いのだが、二度寝をしようにどうにも目がさえてしまっていて眠れそうに無い。


「たく、俺には関係ないだろうってのに」


 何処かソワソワしてしまっている自分を、そんな風に自嘲していると玄関の呼び鈴が鳴った。


 こんな朝早くにいったいなにかと思いながら玄関の戸を開く。


「あっ、オジサン起きてた?」


 そこにはオーディションの為か、心なしか普段よりオシャレをしている様に見える、守瑠が立っていた。


 今日は朝からオーディション会場に向かい、午後はそのままバイトだと聞いていたが、一体どうしたというのだろうか。


「いや~、別に用って分けじゃ無いんだけどさ。今回は色々お世話になったし、最後に挨拶してこっかなって」

「挨拶ってなんだよ。緊張してんのか?」


 そう突っ込むと、守瑠が少し照れくさそうに笑った。


「へへ、まあね。でも、だいじょぶ! 頑張って練習したもん。オーディションなんて、サクッと合格しちゃうもんに!」


 自慢げに胸を張りながらブイッとピースをする守瑠。


 そんな彼女の様子とまるで反比例するように、浩樹の表情が僅かに陰る。


「どうしたの? オジサン」

「あ、いや、どうって訳では無いんだが」


 守瑠にそう言われて、浩樹は落ちつかない様子で頭を掻いた。


「なんというか、俺の方が緊張しってきちまってな」

「えー、変なの。オジサンがオーディション受けるわけじゃないのにさ」

「いや、まぁそれはそうなんだがな……」 


 この前はまるで分かってるかのように講釈を垂れたが、結局自分は部外者の素人だ。


 いい加減な事を言ったつもりは無い、ただれでもいざその時が迫ると足がすくむ。


 本当にあれで良かったのだろうか? 自分は守瑠に余計なことを言ってしまっただけではないのか?


 今更考えてもしょうがない事は分かっていても、そんなことを考えて不安になる。


「なーに、うぬぼれてんのさ」


 うじうじと考えていたら、呆れた様な声で守瑠がそう言った。


「確かにあの時オジサンが話してくれた事を参考にはしたよ。けどそれを参考にするって決めたのはわたし、だからオーディションに受かったらそれはわたしの実力だし、万一落ちたとしてもそれは私の実力不足だったってだけ。オジサンちょっと調子乗りすぎ」


 まったくもう、と守瑠はわざとらしく不機嫌になってプイッとそっぽを向いた。


 それは紛れもない正論で、反論の余地も無い。


 そんな当たり前のことを、年下の女の子にたしなめられるのはなんだか複雑だがおかげで目は覚めた。


「ああ、そうだな。全くもってその通りだ」


 自分のしたことが正しかったのかは分からない、ただそんなことはどうでもいいのだ。


 自分がしたことは彼女が進む道の途中で、通りすがりAがこっちの道はどう? と提案した程度に過ぎない。


 それなのにまるで自分の言動が彼女の命運を握っている様に思うなんて厚顔無恥もいいところだった。 


「えっと、それじゃあ行ってくるね」

「ああ――」


「えっと、それじゃあ行ってくるね」

「ああ――」


 これから戦いの場に赴く彼女に、最後になにか一言掛けようと思った。


 しかしなんて言おうか?


 頑張れ、は違う気がした、かといって大丈夫とか、絶対受かると言うのも無責任の様に思える。


 じゃあなんと言おうか? 悩んだが、その答えは思いの外早く出た。


 と言うより、自然と口から零れ出たと言った方が近いかもしれない。


 浩樹はニヤリと不敵な笑みを浮かべて。


「一発かましてこい」


 ただ一言そう言った。


 そんな彼の言葉に守瑠は一瞬だけキョトンとした後、にっかりとまるで少年の様な笑み。


「おう!」


 と頼もしい返事を残してオーディションへと向かっていく、その後ろ姿を見送り。


「さて、どうなることやら」


 一言呟いた後、浩樹は自身の部屋へと戻っていった。


 早起きしたおかげでいつもよりは余裕があるがそろそろ出勤の準備をしなければ。


 幾ら守瑠が人生の大勝負に挑もうが、浩樹の日常にはなんの関係もなく、いつも通りの時間が淡々と流れていく。


 ただその日は仕事中もオーディションの結果が気になって、普段よりも少しソワソワしてしまったことは内緒だ。




  守瑠がオーディションを受けた日から三日が経った。


 オーディションの合否はまだ守瑠の元には届いていない。


 どうも合格の連絡が来るのはオーディションによってまちまちらしく、基本的に早くても一週間以内、長ければそれ以上掛かることも珍しくは無いとのこと。


 嘘か本当かオーディションを受けて会場の建物を出た瞬間、合格の連絡が来たということもあったらしいがそれはあくまで極端な例だ。


 これで落ちたら落ちたと連絡が来ればいいのだが、オーディションの合否は合格したときしか連絡が来ないのが殆どだという。


 つまり何が言いたいかというとだ。


 守瑠と浩樹の二人はこの三日間、受かったのか落ちたのか。


 更に言えば結果が出るのが三日後なのか一週間後なのか一ヶ月後なのか、はたまた今日なのか、そもそも連絡なんて来るのか。


 何一つとして分からないまま、もどかしい日々を過ごしていたということだ。


 ただ幾ら気を揉んだところで、時間は変わらず過ぎていく。

 その日も浩樹がいつものように二人分の夕食を用意していると、玄関から呼び鈴の鳴る音が聞こえた。


 時計を見れば、そろそろ守瑠がレッスンを終えて尋ねてくる時間だ。


 コンロの火を止めて玄関へと向かい、掛けてあった鍵を開けてやり、台所へ戻ろうとした所で違和感を憶える。


 普段なら鍵を開けた瞬間、守瑠が戸を開けて上がり込んでくるのだがその気配が無い。


「鍵、開いてるぞ」


 鍵を開けたことに気が付いていないのかと思い、そう声を掛けるが扉が開くことはなかった。


 もしかして自分の勘違いかと思い、のぞき窓を覗いてみると、そこに見えたのは紛れも無く守瑠の姿だった。


 一体どうしたというのか、怪訝に思いながらも浩樹は玄関の戸を開ける。


「おい、どうしたよ。さっさと上がれって」


 促すが守瑠はその場から中々動こうとせず、俯いていてその表情を窺うことも出来ない。


 益々どうしたのかと思っていたその時。


「……ちたって」

「え?」


 守瑠がなにかを呟くが上手く聞き取れず、浩樹は彼女の口元へと耳を寄せる。


 浩樹はこの三日間、オーディションの合否を気に掛けながらあえてそのことを話題に上げることはしていなかった。


 不用意に触れた途端、悪い方向へ転がり落ちて行ってしまう様なそんな根拠の無い不安があったからだ。


 守瑠の方からも触れてこようとしてこない辺り、もしかしたら似たようなことを考えていたのかもしれない。


 だから。


「…落ちたって、オーディション」


 その言葉を聞いたときギュッと。まるで心臓を鷲掴みされたような感覚になった。





――あとがき――


ここまで読んでいただきありがとうございました。

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