第18話

 2日が経ち、オーディション前日となったその日、ちょうど仕事を終えた浩樹の携帯に守瑠からLINEが届いた。


『いつもの場所で待つ』


 具体的な情報が何一つとしてないそのメッセージを訝しく思いながらも、いつもの場所と言われると守瑠がレッスン場にしている、あの神社しか思い浮かばず。ひろきは取りあえずそこに向かってみることにした。


 神社に辿り着くと、読みは間違っていなかったようで、案の定、守瑠が浩樹のこと待ち構えていた。


「遅いっ!」

「仕事上がりにわざわざ来てやった相手に掛ける第一声がそれか」

「そんなこと言ったら、わたしだってバイト上がりだし」

「いや、知らんがな」


 相変わらずの不敵な言動に今更苛立つようなことも無いが、形式として一応突っ込みを入れておく。


「で? 用件はなんなんだ? てか、人を呼び出すならせめて用件を書け用件を。報連相の基本だろうが」


 石段を登り切り守瑠へそう問いかけるが、なぜだか守瑠は口籠もってしまった。


「おい、どうしたよ」


 重ねて浩樹が問いかけるが、守瑠の様子は変わらない。


 いつもはうるさいくらいの守瑠に静かにされてしまうと、なんだかこっちの方が落ちつかなくなる。


「……れないかな?」

「ん? 悪い、なんだって」


 ごにょごにょとなにかを話した守瑠の声を聞き取ることが出来ず、浩樹が聞き返す。


 すると守瑠は突然その顔を勢いよく上げて、まるで挑みかかるような目で浩樹のことを見ると。


「私の演技、もう一度聞いてくれない……かな?」


 出だしこそを勢いが良かったが、その言葉は尻すぼみに小さくなって彼女の視線と一緒に墜落していった。

 だが、用件は分かった。


「別に演技を聞くくらい構わないが……」


 浩樹の言えることは、二日前のあの時に全てぶちまけた。


 正直、今更もう一度彼女の演技を聞いたところで、あれ以上言えることはないし言う資格も無い様に思えた。


 しかし。


「お願い」


 不安に揺らぎながら、窺う様な声。

 しかし同時になにか覚悟めいた、いじらしさを感じさせた。


 やっぱりらしくない。いつもは不敵で生意気なくらい明るいくせに。


 そこまでしてどうして浩樹に演技を聞かせようとするのか、益々分からなくなったが、しかし聞いて欲しいというのなら。


「……分かったよ」


 そう言うと浩樹は社の縁に腰を下ろしどうぞ、と目で合図を送る。


 守瑠は一瞬なにかホッとしたような顔をしたかと思うと、直ぐにその表情を引き締めその場で深呼吸を始めた。


「スーハー……あはは、なんだか緊張しちゃうな。演技見てもらうのこれが初めてでもないのに」


 中々緊張が落ちつかないのか、守瑠がもう一度大きく深呼吸をする。


 そんな様子を見ている側もなんだか緊張してきて、浩樹は掌に滲んできた冷や汗をこっそりズボンで拭った。


「よし……いきます」


 そう呟いた瞬間、守瑠の纏う空気が変わる。彼女の声が、彼女の物ではない別の誰かの物になる。


 その時台本に目を落としていた守瑠の顔が上がり浩樹の事を見る。


「私、本当は怖かった」


 それは台本にはなかった、守瑠のアドリブだった。

 そのたった一言で、浩樹の目の前に世界が広がる。


 単行本五巻第四十二話のラスト。戦いの中で出会った美婭と同じように天使と戦う少女香里奈。

 日々の中で友情を深め親友となった彼女が天使の攻撃でその命を落とす。


「自分の願いの為に何度も天使と戦って。平気なふりをしていたけれど本当はこのまま何もなせないまま一人で死んでいくんじゃないかって怖くてたまらなかった――でもそんなとき、私はあなたに会えた」


 美婭はもう目を覚ますことのない香里奈に語り掛け、ゆっくりと立ち上がる。


「あなたにはそんなつもりはなかったかもしれないけど私はあなたに出会って救われた、あなたのおかげで私は今もこうして戦える。だから……一緒に行こう」


 美婭は悲しみに暮れる間もなく、香里奈の手から零れ落ちた銃を手にとり、瞳に涙を溜めても決してそれを零すことはなく真っ直ぐに敵を見据え。


 親友を失った悲しみと怒り、そして彼女の願いも背負い戦う覚悟をきめて、美婭は香里奈の形見であり彼女の弾丸いのちが込められた銃を構える。


 そして――


「さぁ、ダンスの時間だ」


 台詞はたった数分の短いもの。


 しかしそのたった数分で、浩樹は引き込まれた。


 原作の単行本でしか見たことが無い筈のシーンに声がつき、まるで目の前で繰り広げられている様にさえ思えるような。


「……どう?」

「えっ? ああ……」


 守瑠の声でハッと我に返る。


「良かった……んじゃないか。今の五巻ラストの台詞だよな?」

「そう! アドリブを入れるかは悩んだんだけど、あのシーンの空気感を伝えるならあの台詞は外せないと思ったから」


 守瑠が自身の演技の解説を口にする、本人的にも改心の出来だったのだろう。その声は少し興奮気味だ。


 でも確かにさっきの演技は浩樹が聞く限り、素晴らしい物だったと思う。


 聴くだけでキャラの感情や行動、そしてその情景まで聞き手に想像させるようなそんな声と演技だった。


「……オジサンのおかげなんだよ」


 不意に守瑠がそんなことを言い出すが、浩樹にはそれが何のことを言っているのか分からず呆けた顔をしてしまう。


「この前オジサンが言ってくれたこと、それを意識してみたら演技が良くなったんだ、自分でも分かるくらいに」


 この前というのが一体いつのことを言っているのか、それは言われなくてもなんとなく分かった。


 ただその言葉を素直に飲み込むことが出来なかった。


 てっきり、無駄に終わった物だと思っていたから。


「本当はね、分かってたんだ、オジサンの言ってることは正しいって」


 僅かに目を伏せ、どこか自嘲気味な顔をして守瑠は話す。


「わたし沢山レッスンして、演技が上手くなれば、それだけでいつかは役がもらえるって思ってた。でもオジサンの話しを聞いて気づいたんだ、今まで制作の人がどういう人を求めて、オーディションしてるかなんて考えたこと無かったって、わたしは自分のことしか見てなかった」


 言いながらその手はギュウと音がと聞こえそうなほど、彼女は強く握りしめる。


 肩が僅かに震えてしまう程に強い力で拳を握るその様は、まるで自分の内にある悔しさを絞り出しているようだった。


「でも、あの時はその事を素直に受け容れることが出来なくて、だから微妙な反応しか出来なくて。だから……」


 どこか申し訳なさそうにシュンとした様子で、ごめん、と守瑠は浩樹への謝罪の言葉を口にした。


 その言葉を聞いてようやく腑に落ちた。


 守瑠はきっと申し訳なく思っていたのだろう、あの時、浩樹の話しを突っぱねてしまったことを。


「なんというか――」


 俯きながら守瑠が浩樹のことを見る。


 それはまるで悪いことをした子供が、親の様子を窺っているようだった。


 そんな守瑠に対して浩樹は一言。


「君がそうやって殊勝な態度をしていると気色が悪いな」


 瞬間、守瑠は何を言われたのか理解が出来なかったのかぽかんとした表情を浮かべるが、徐々にその眉毛の角度が上がり眉間に皺が寄っていく。


「き、気色が悪いってなんだよ! こっちが悪いこととしたなって思って謝ってるのに、言うに事欠いて気色が悪いって、デリカシーが無いにも程が無いッ?」


「普段からデリカシーの無い人間に言われたくない」


 そう言ってやると守瑠はプンスカ怒りだし、さっきまでの殊勝な雰囲気は何処かに消し飛んでいる。


 ようやくらしくなってきた、と浩樹は声には出さず心の中で安堵した。


 あの時、ショックじゃなかったと言えば嘘になる。


 守瑠がどうすればオーディションでいい結果を出せるか、自分なりに考えその上で彼女に提案をしてそれを退けられたのだから。


 しかしだからといって、彼女がそれに罪悪感を感じる必用なんて何一つないのだ。


 人の意見を聞き入れるというのは、意外と簡単なことじゃない。


 自分が本気で向き合い、努力してきた物であれば尚のこと。

 受け容れられないのは、今まで積み上げて来た物に対する自負が、プロとしての誇りと努力が彼女の中にあるからだ。


 だったら彼女はその誇りを、恥じるべきじゃ無い。


「はいはい、悪かった悪かったよ。そんなことより、帰って飯にするぞ」

「いい! もうちょっと練習してくから!」


 守瑠は、不機嫌そうに頬を膨らませながらそう言った。


 流石に少し怒らせすぎただろうかと、思ったが今更取り繕ったところで直ぐに機嫌を直してもらうのは難しそうだ。


「わかったよ。でも明日はオーディション本番なんだ、飯は君の分もつくっておいてやるからあんまり遅くならないうちに帰ってこいよ」


 浩樹はそう言って境内から伸びる石段を降りていく。


「オジサン!」


 その途中、後ろから声を掛けられて振り返ると石段の上から守瑠が浩樹のことを見下ろしている。


「その……ううん、やっぱりなんでもない!」

「なんだよ、なんでも無いって」

「なんでも無いったら、なんでも無いの! ほら、ハウス!」


 一体なんなんだと疑問に思うが、社に取り付けられているライトの光が逆光になって守瑠表情は窺うことは出来ない。


 なんとなく腑に落ちないまま、浩樹は石段を降りて自宅へと戻っていった。


 部屋に入るなり夕食の準備を始め、ちょうど料理が出来上がろうかというとき、レッスンを切り上げた守瑠が浩樹の部屋を尋ねてくる。


 いつもと変わらない日々の中でオーディション前、最後の夜はゆっくりと更けていったのだった。

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