第17話

 正直、守瑠は怒るだろうと思っていた。


 誰だって自分の努力を否定されるようなことを言われれば面白くない。


 お前にいったい何が分かるんだと激昂したり、臍を曲げて耳を塞いだりしても別に可笑しくはないだろう。


 しかし意外なことに守瑠は怒るでも取り乱すでもなくただ静かに「どうして?」と聞いてきた。


「わたしの演技、どこか変だった?」

「いや、別にそう言う分けじゃない。君の演技は充分完成度の高いものだったと思う。ただそれだけじゃ弱い」

「弱い? てどういう意味?」


 その質問は言われたことに不満があると言うより、純粋に意図が分からないというようなそんな声色だった。


「さっきも言ったとおり、俺が聞いた限り君の演技は充分満足感のある物だった、それは嘘じゃ無い」


 そう嘘じゃ無い。守瑠の演技は少なくとも浩樹が聞く限り、プロとして十分な物だったように思えた。


 しかし、はっきり言って。


「そんなものは、オーディションを受ける上で当たり前の前提条件だろう」


 仮にも声優を名乗ってオーディションを受ける以上、ある程度の演技が出来ることは当たり前だ。


 その上、今回のオーディションは守瑠が言うには事前にテープ審査を行っている。つまり声質や、ある程度の演技力は担保された上で審査されるということだ。


 当然、全く関係無いという事は無いだろうが、余程の実力差でも無い限りは演技力の差が審査に影響することは、理屈で考えればまずない様に思える。


 同じ様な商品があれば、より魅力的に思える要素がある物を欲しいと思うのは、人間として当たり前の心情だ。


 演技が上手いことが前提条件とするなら、それ以外になにかアニメの制作側が魅力的に思えるような売りが無ければ、その他大勢に纏められて見向きもされないだろう。


「わたしの、売り……」


 話しを聞いていた守瑠が、苦渋の表情を浮かべる。


「でも、そうは言ってもさ。新人のわたしには何も……」


 まるで悔しさを滲み出すように、両の手を強く握りながら守瑠はそう言う。

 しかし浩樹はそんな彼女の様子をあきれたような顔で見る。


「なんか勘違いしてるみたいだけど、俺が言っている売りっていうのはキャリアや実績の事じゃないからな」


 そう言ってやると、守瑠は虚を突かれたのか「へ?」と呆けた声を上げた。


 確かに声優としての売りで、演技以外の物を上げるとすればそれはやっぱりキャリアや実績になるだろう。


 優れた実績があると言うことは、ただそれだけで商品に泊が付く。


 多くの作品に出演していたという実績があればそれだけで実力の指標になるし、ヒット作に出演した演者となればそれなりに知名度も高くなるだろう。


 知名度の高い人気声優となれば多くのファン数を期待できるだろうし、ファン数はそのまま番組の潜在的視聴者の数にもなり得る。


 商売としてアニメを作る側の人間からすれば、これ以上魅力的な売りもそうそう無い。


 とはいえだ。


「新人の君にそんなもん端から期待するわけないだろう図々しい」

「ずっ、図々しいってなんだよ。そんな言い方しなくったって」

「事実を言ったまでだ。声優とかに限らず新人にそんなもの期待するわけがない、だが君はテープ審査を通過して残ってる。キャリアや芸歴を重視しているならテープ審査の時点で落とされている筈だろ?」


 確かに守瑠にはキャリアや芸歴のような声優としての分かりやすい売りはない。だが、売りというのは何もそう言った前提条件だけの話しじゃ無い。


「オーディションを行う以上、制作側にもキャリアや実績を重視していない。それ以外の何かを君に期待しているということだ。なら受かるために必要なのは制作側が君に何を求めているのか、需要を類推しそれを自分が提供できるということをオーディションの中で示すことだ」


 顧客がほしがっている物を知り、それを自分達が提供できることを示し、自社の商品を買ってもらうのが営業だ。


 彼女を採用することが作品にとってプラスになると審査する制作スタッフに示し、彼女の声を欲しいと思わせることが出来れば自然と商品は売れる。


「企画書の九ページを開いてくれ」


 そう浩樹が言うと、守瑠は慌てて手元の企画書を捲る。そこに書かれているのは、制作側の需要の推測とその根拠について。


「制作側の需要を類推するに当たってまず参考にしたのが、君が制作から提供されたオーディション用の台本だ」


 言うまでも無いが守瑠の持っている台本は、オーディションを審査する制作側が用意した物だ。ならば、そこにはなにがしかの意図がかならずある。


 台本に書かれた台詞は主人公の決め台詞でキャラクターを象徴する重要な物ではあるが、その一言だけで演者の実力を測るのは流石に無理があるように思える。


 前に守瑠もオーディションでもここまでシンプルな台本は珍しいと言っていた。

 コレがスタンダードな物では無いのだとしたら、コレを用意した側はあえてこのような内容の台本にしたと言うことだ。


 あえて薄い内容の台本を渡すその理由とはなんなのか。


「俺が思うに、制作側は演者が余白をどうとらえるのかを見たいんじゃ無いかと思う」


 浩樹の口にしたその説に対して、それを聞いて守瑠は眉間の皺を深くする。


「えーと、いまいちオジサンがなに言ってるのか分かんないんだけど」


 流石に説明が大雑把過ぎたからしい。

 さてどうすれば自分の考えを分かりやすく伝えることが出来るか?


 浩樹は自身の頭の中で考えを纏め上げる。


「そうだな、たとえばこの前、君が俺に演技を聞かせてくれたあの時。何をイメージしながら演技してた?」

「なにをって?」

「そのまんまの意味、まさか何も考えず演技してた訳じゃ無いだろう?」


 守瑠は質問の意図が分からず怪訝な表情を浮かべるが浩樹に解答を促されて、分からないなりに取りあえずといった様子で答える。


「美婭ちゃんの性格とか気持ちとか声のイメージとか、後は決め台詞だから格好いい感じにした方がいいかなとか」

「もっと具体的には?」

「え、具体的?」

「原作何巻、何話、何ページ、何コマ目の美婭の台詞だ?」


 そう聞くと、そこまでは考えていなかったのか、守瑠はえーと、と目を泳がせた。


「『さぁ、ダンスの時間だ』は決め台詞なだけあって作中複数回登場する、具体的に言えば原作全六巻、五十二話の中で十一回。詳しくは企画書の三ページ目に纏めてあるから、後で確認するといい」


 作中何度も登場するその台詞は文字にしてしまうと全く同じものの様に思えるが、実際はそんなことは無い。


 その台詞を言う相手やその人数、場所や心情、その他諸々。同じ言葉でも状況によってそのニュアンスは変わってくるはずだ。


 台本に書いてあることだけを演じるんじゃなく、そこに書かれていないことにも想像力を広げ、それを演技として出力する能力があるかどうか。


「要はちゃんと自分で考えて、その上で演技が出来るかどうかってのを、審査する側は見たいんじゃ無いかと俺は考えてる」


 その時、それまで黙って話しを聞いていた守瑠が、なにかを真剣に考えるような表情を浮かべた。


「……聞いただけで原作のどのシーンなのか想像できるような、そんな演技ってこと?」

「厳密にいえば自分で考えたイメージを演技に反映できてるかって事だな」


 これが完璧な答えだとは思わない。


 あくまでコレは浩樹が周りの状況から推測した物でしか無く、本当のところはオーでションを行う人間にしか分からない。


 ただ少なくとも、ただ漠然と演じるよりは、なにか明確な意思を持って演じた方が審査員の印象には残るはずだ。と、言うのが浩樹の考えだった。


 だが結局のところ、浩樹がどれだけ頭を捻ろうが何をしようが、オーディションを受けるのが守瑠である以上決定権は全て彼女にある。


 彼女が浩樹の話しに納得できないのであればそれまで、この話は終わりだ。

 守瑠はしばらくの間なにかを考えるような素振りをして。


「……ごめん」


 守瑠は少し申し訳なさそうに、そう切り出した。 


「オジサンが色々頑張ってくれたの分かったし、嬉しいんだけど、だけど……」


 そう言って、守瑠はしょんぼりと俯いてしまった。


 ……やっぱり、手は届かなかったか。


 素人である自分が、仮にもプロである守瑠に意見を言うだなんてやはり出過すぎた真似だったのだろう。


 自嘲気味な笑みが浩樹の口元から零れる。だがそれで終わりだ。


「まっ、そりゃそうだわな。悪かったな色々分かったようなことを偉そうに言って」

「えっ、いや別に、そんなこと」

「いい、いい、気にするな。ほらそんなことより飯にするぞ」


 すでに料理の下準備はしてあるので作り始めれば完成は直ぐだった。ちゃちゃっと作った夕食を食べ終えて、守瑠は夜のバイトへと出かけていく。


 結局自分はたいして役に立つことは出来なかった。


 あと自分にできるのは守瑠のオーディションが上手くいくよう祈ってあげることくらいだが、それくらいは許されるだろうか?


 そんな事をちょっと考えながら浩樹はそのあと直ぐに眠りについてその日を終えた。





――あとがき――


ここまで読んでいただきありがとうございました。

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