第16話

「さて、やりますか」


 会社から帰宅するなり浩樹は駅中にある本屋で購入した『火の弾少女スカーレットバレットガール』の単行本を開いた。


 現在刊行中の一巻から六巻。漫画をまとめ買いするなんて学生の時以来だったが、今晩は守瑠がバイトで来れないと言っていたので夕食はコンビニ弁当で簡単にすまし空いた時間を単行本の読書に回す。


 竜之介に自己評価が低いと指摘されたことを改めて考える。


 思えば今まで、ただ流されるように生きてきた。


 作家の夢を挫折して以来、どうせ手が届くはずも無いと諦めて、ただ確実に手の届く物にしか手をださず、必要以上自身を大きく見せるようなことはしてこなかった、自分なんてそんなものだと思っていた。


 だけどそうやって手に入れたものに自信なんて持てるわけもない。

 例え周りからどれだけ褒められても、評価も実績も浩樹にとって、それはただ妥協した結果でしか無いのだから。


 言葉にしてしまうと、我ながらなんとも鼻持ちならない話しだが、でもなぜだかその理由が一番腑に落ちた。


 浩樹は四十分ほどかけて単行本の一巻を読み終えて次の巻へと手を伸ばす。


 別にこれまでの人生や生き方が間違いだったなんて思わない、実際今の自分はコレと言った不自由も無く、社会人として真っ当に生きている。


 でも、あの時。


 オーディションに合格することが出来るのかと守瑠に聞かれたときそれに答えることを浩樹は避けた。


 素人でしかない自分の意見なんて邪魔にしかならないとそう考えていた。

 正直なところその考え自体は今も大して変わってはいない。


 曲がりなりにもプロの声優である守瑠に対して、一介のサラリーマンでしかない自分の考えや意見が役に立てるとは思えない。


 でも少しだけ、届かないかもしれない物に手を伸ばしてみようと思えた。


 出来るからやるわけじゃ無く、やりたいからやる、そんな刹那主義的なことをしてみたくなった。


 自惚れかもしれない、やっぱり何もしない方が彼女の為なのかもしれない。


 それでも、もしあの時、守瑠が自分を頼りにしてくれていたのだとしたら。


 自分一人じゃどうしようも無くて、藁にもすがる思いで、自分に意見を求めて来たのだとしたら。


 それをどうせ自分なんて役に立てないからと、手を伸ばすこともせず逃げを打つのはあんまりにも恰好が悪いじゃ無いか。


 一巻目よりも早い時間で二巻目を読み終える。残り四巻。


 今晩のうちにこれを全て読み切っておかなければならなかった。

 守瑠のオーディション当日までもうあまり時間は残されていない。


 届かないかもしれない物に、必死に手を伸ばす彼女の姿。

 そんな彼女にきっと自分はほだされているのだろう。


 なんとも癪な話しだが。




「今日は飯の前に、話がある」


 守瑠のオーディションまで後四日に迫ったその日の夜、夕食を食べに来た守瑠に対して浩樹はそう言い放った。


 突然の事に不思議がる守瑠に対して、浩樹はとりあえず座れとリビングにあるテーブルを挟む形で向かい合わせに座らせる。


「それで? 急に改まって何なのオジサン。てか、目の隈ひどくない?」

「いや、ここ最近あんまり寝てなくて。て、そんなことはどうでもいいんだよ」


 指摘されて、なんとなく目元を拭いながら浩樹は向かい合った守瑠を真っ直ぐに見る。


「少し前に今度のオーディション受かるかって俺に聞いてきたこと覚えてるか?」


 別に覚えていなくても構わなかった。

 今日までに用意したものが無駄にはなるのは少し惜しいが、覚えてもいないようなことをわざわざ掘り返してまで話さなければいけない事でもない。


「うん、言った」


 しかし守瑠はこともなげにそう答えた。


「まっ、オジサンまともに答えてくれなかったわけだけど」


 棘のある言葉がまだあの時の事が不満であるということを言外に語っている。


 浩樹はもう一度だけ小さく息を吸い込んで、手の届かないかもしれない物に手を伸ばす覚悟を決める。


「その返答、今からでも間に合うか?」


 今更になってこんなことを言うのは正直少し、いやかなり気恥ずかしいものがある。


 しかし守瑠はそんな浩樹の発言をいつもみたいに茶化す訳でも無く、わずかに自身の居ずまいを正して。


「いいよ、聞いてあげる」


 尊大な言い方だったが守瑠のその表情は、存外真面目な物だった。


「ありがとう、ただその前に、ちょっと見てもらいたい物があるんだが」


 そう言って浩樹は脇に置いてあった紙束を手に取り守瑠へと差し出した。


「なにコレ?」

「オーディションで受かるために必用そうな情報を俺なりに纏めた企画書」

「企画書!?」


 そんなものが出てくるとは思ってもいなかったのだろう守瑠が驚愕の声を上げる。


 何度も言うように浩樹はアニメや声優業界に関しては素人だ、どう足掻いた所で発声や演技の指導など、専門的な部分で出来る事などあろう筈も無い。


 それでも何か無いだろうかと考えていたら、ふとあることを思いついた。


 オーディションをようはアニメの制作に自身の声を売り込みに行く場だと思えばどうだろうか?


 ただオーディションと言われるとなんだか遠い世界の事みたいに思えるが、ビジネスの場だと思えば身近な物のように思える。


 何より、物を売るのは営業である自分の専門分野だ。


「そう思い立って作ったのがコレってわけだ。と言っても俺の考えや調べたことをただ纏めただけで、企画書って言うにはお粗末過ぎる代物だけどな」


 本当ならここから顧客により伝わりやすくするために、必用な情報を取捨選択し分かりやすく纏める必用があるのだが今回はそこまでする時間が無かった。


「いや、だとしたらどんだけ調べたのさ」


 守瑠は全二十ページに程になってしまった企画書をペラペラと捲りながら、呆れたような声を上げる。


 営業の基本はリサーチだ。


 原作の読破はもちろん、ネットで検索を掛けてみたところすでにアニメの公式ホームページが作成されており、制作会社の名前が掲載されていたので、その会社が今まで作ってきたアニメやその評判、演出の傾向など、個人で調べられることは可能な限り調べ上げている。


「俺も素人なりに色々考えてみたってことなんだが、企画書の内容を話す前に、はっきりと言っておきたいことがある」


 そう言うと渡された企画書を、みるでも無くパラパラと捲っていた守瑠が浩樹のことを見る。


 気が付かれないよう小さく深呼吸をする。

 これから言おうとしていることは浩樹にとってはそれなりに覚悟のいることだった。


 しかしだからといって今更こんなことで日和ってなどいられない。


「正直、この前聞かせてくれた演技のままオーディションに挑めば、まず君は落ちるだろうと俺は思ってる」


 真っ直ぐに守瑠の目を見て、浩樹はそう断言した。

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