第15話
「どうかしたんすか? 先輩」
隣の席から竜之介に声を掛けられる。
浩樹が何のことかと不思議に思っていると竜之介から「いや、なんかため息ついてたんで」と補足が入った。
「そうなのか、うっわ完全に無意識だった。悪い」
年が明け三が日も過ぎて会社が通常営業となったその日、浩樹はいつものように会社の業務を行っていたのだがその胸の内はどうにも、もやもやしていた。
「別に謝ることじゃないっすけど。それで、どうしたんすか? 企画書がまとまらないとか? 珍しいすね、いつもはパパッと作っちゃうのに」
確かに今パソコンで作成しているのは、営業先でプレゼンに使用する企画書だったが、浩樹の頭を悩ませているのは、その事では無い。
忘年会のあったあの日の夜から守瑠と顔を合わせることは何度かあったが、自身の勤める会社の社長が彼女の母親であるという事実は話すことが出来ずにいた。
別に話さなければいけない義務があるわけでもないが、彼女のプライベートな部分を断りもなく覗いてしまったような後ろめたさがありどうにも落ち着かない。
一からも万一、娘についてなにか分かったことがあれば教えてほしいと頼まれているが、現状それも無視している。
守瑠が母である一と関係があまりよくないであろうことは分かっているだけに、彼女の現状を教えることが果たして双方のためになることなのか判断ができないからだ。
そういうわけで、図らずも二人に対して隠し事をしているような状況になり、浩樹はこの数日間どうにも座りが悪い日々を送っていた。
自分なんかが人様の家族問題を気に掛けたところで意味がないことは分かっているのだが……。
「まぁなんつうか、ここ最近いろいろあってな」
「いろいろ……まぁ、無理に聞いたりはしないっすけどね」
「ありがとう、助かるよ」
そんな他愛のない会話をしながらも、竜之介の指は止まることなく軽快にキーボードを叩いている。
「ところで先輩、時間空いてる時でいいんで、後で僕の企画書見てもらえないっすか?」
「別にかまわないけど。でもお前、もういちいち俺にみせに来なくったっていいんだぞ」
新人は慣れるまで企画書を一度先輩社員にチェックしてもらうのが営業課の決まりだ。
しかし竜之介はすでに何回か営業先でのプレゼンを経験しているし、その評価も上々で十分独り立ちしても問題はないはずだ。
それでも竜之介は今もこうして浩樹に企画書のチェックを求めてくる。
「いや、そう言っていただけるのはありがたいっすけど、まだ客観的意見がない状態でプレゼンに挑むのは不安なんっすよ」
「そうか? 俺なんかが見たところでそんなに変わらないと思うが」
実際チェックを入れたところで指摘するのは細かい修正ぐらいしかなく正直、浩樹が見ても見なくても企画書の出来はそれほど変わりはしないだろう。
弘樹自身も営業でそれなりに結果を残しているがそれはある程度の期間、会社に勤め顧客の好みや傾向を把握しているのと、単純な慣れでしかない。
むしろ口が廻る分、プレゼンそのものは竜之介のほうが上手いくらいだ。
何も周りと比べて、自分が秀でているというわけじゃない。
「……前から思ってたんすけど、先輩って自己評価やたら低いっすよね」
唐突な話題を不思議に思い視線を向けると、竜之介が思いのほかまじめな表情で浩樹の事を見ていた。
「どうしたよ急に」
「いや先輩って『俺なんか』ってよく言うじゃないすっか」
「そうか? 別にそなことはないと思うが」
「言うてますって」
竜之介のその一言に浩樹は思わず鼻白む。
別に声を荒げたわけでも、特別強い言葉を使ったわけでもない。
それなのにその声はなんだか少し怒っているような、そんな気がしたのだ。
「……すまん」
「あ、いや、別に先輩が謝る必要ないっすよ。むしろこっちこそ生意気言ってすみません……ただ」
竜之介はバツが悪そうに一度自分の頭を掻いた。
「頼りにしてる人に自分なんてって突き放されたら、結構傷付くっすよ」
その一言に、浩樹は後ろから頭を殴られたような気分になった。
自分を卑下することで誰かを傷つけるかもしれないなんて、そんなこと今まで考えたこともなかったから。
そういえば少し前、オーディションに向けての演技に感想を聞かれたとき守瑠と軽く言い争いになった。
あの時は何をそんなに怒っているのか理解ができなかったけれど……。
ひょっとしてあの時、彼女は傷付いていたのだろうか。
どうせ自分なんて役に立てやしないと言われて、突き放されたと感じたのだろうか。
自分は……頼りにされていたのだろうか。
だとしたら……。
「なぁ、矢部」
「なんすっか」
「お前、俺の事頼りしちゃってるわけ?」
「まぁ、一応職場の上司なわけっすし」
作業の手を止めずそっけなく答える竜之介だったが、その口調は白々しくて照れ隠しなのが分かりやすい。
「俺、今初めてお前の事かわいいと思ったかもしれん」
「やかましいわはハゲ」
それは職場の上司に向けたものとは思えないような暴言だったが、かわいい後輩に免じて笑って許してやることにした。
――あとがき――
ここまで読んでいただきありがとうございました。
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