第14話

 会社の忘年会は、毎年同じ居酒屋の座敷を一つ貸し切って行われる。


 開始の時に社長からの挨拶はあるが、忘年会らしいことと言えばそれくらいの物で、後は各々好きに飲み食いをするだけである。


 昨日の守瑠ではないが、浩樹も呑み会のこういった雰囲気は嫌いじゃない。


 とはいえ自分から積極的に話をするタイプでもないので周りの話に適当な相槌打ちながら酒とつまみを楽しんでいたが、少し酔いが回ってきたことを感じ、話しの切れ目を見計って浩樹は店の外にでた。


 店を出ると冷たい冬の夜風が浩樹の頬を撫でる、普段なら寒いと感じるが酒を飲んで火照った体には心地良い。


 ほどほどに酔いが冷めたところを見計らって席に戻ろう。そう思っていると。


「どうかしたのか?」


 声を掛けられて視線を向けるとそこにはなんと社長の姿があった。

 予想外の先客に、浩樹は思わず居住まいを正した。


「いえ少し酔いを覚まそうかと。社長こそどうかされたんですかこんな所に」

「……君と同じだ。少し夜風に当たりたくなった」

「そうですか……」


 気まずい沈黙。


 店内に戻ろうかとも考えたが、社長の顔を見た途端にさっさと戻るのは流石に失礼な気がして戻るに戻れず、浩樹がその場から動けずにいると。


「君、家族はいるのかね?」

「え、家族ですか?」

「ああ、奥さんとか子供とか」

「いえ、その、自分はまだ独身ですので」

「そうか」


 突然の質問に動揺する。どうして社長が自分にこんなことを聞いてくるのか理由がわからず困惑していると。


「安心したまえ、ただの雑談だ。業務時間外でまで、そんなに仰々しくしなくてもいい、と前にも言ったはずだが」


 不意に社長がそう言った。前とは何のことかと一瞬思ったがそういえば少し前にも社長と話をしていたことを思い出した。


 あの時は竜之介と社食で昼食をとっているところに社長がやってきてわずかな間だったが話をした。


 そんな些細な出来事を、まさか覚えているとは思いもしなかった。


「まぁ、上司に話しかけられて固くなるなというのも無理な話かもしれないがな」


 そう言ってなんともなしに夜空を眺める社長は少しだけさみし気に見えた。

 考えてもみればいくら会社の社長といっても人間だ、昼休みや飲みの席くらい仕事と関係のない話をしたいと思うことくらいあるのかもしれない。


 そう考えると必要以上に構えてしまった自分が少しだけ申し訳なく思えた。


「……社長は、その、ご家族がいらっしゃるんですか」


 さすがに気さくにというのは無理だったが、これくらいの質問なら許されるだろうかと探り探り声を掛けてみる。


「……娘が一人」

「娘さんですか?」

「ああ。夫とは……別れてもうずいぶんになるな」

「そう、ですか」


 しまった、質問の内容を間違えたかもしれない。と浩樹は胸の内で頭を抱えた。


 そこはかとない気まずい雰囲気があたりに漂う。


 その空気の重さに、流石にもう店内に戻ろうかと、浩樹の心が折れ欠けたその時。


「すまないが、少しだけ愚痴を聞いてもらえないだろうか?」


 突然、社長がそんなことを口にする。


「君には関係の無い話しで悪いが、こんな事を零せる相手も機会もなかなか無くてね。如何だろう? 聞いてもらえるだけで構わないのだが」


 その問いかけに対して、浩樹は困惑せずにはいられなかった。


 彼女とは今まで職場の上司以上の交流をしていなかったので、その人柄は正直まだ掴めていない。


 それでも社長が自分の部下に対して悩みを聞いて欲しいなどと、そんなことはそうあることではないだろう。


 社長も酔いが回っているのか、それとも吐露せずにはいられないほど、その悩み事に参っているのか。


 どちらにせよめんどう事の匂いしかせず、正直言って逃げ出したいが一度失言をした手前無下にもしにくい。


 まぁ上司の話を聞くのも仕事の内だ。

 そう自分に言い聞かせて浩樹は社長に話しの続きを促す。


「すまないな」


 一言そう詫びた後、社長はゆっくりと話し出した。


「実は娘がその、なんだ……声優になると言いだしてな」

「声優ですか?」


 奇しくも最近、浩樹にとって身近になった職業だった。


 最近は将来の夢に声優を上げる若者も増えているというのは知っていたが、自分の身近に二人もその道を志す人が居るとは、世の中は狭い。


「実を言うと私は娘が声優を目指していたことを最近まで知らなくてね。少し前に事務所から書類が届いているのを見つけて問いただしたら、大学に行っていると嘘をついて私に断り無く声優の養成所に通っていたという話しでな。そんな馬鹿みたいなことはさっさと辞めろと言ったのだが聞く耳を持たなくてね」

「社長は娘さんが声優になること、反対されてるんですか?」

「当然だ。あんな曖昧模糊とした職業に就くことを賛成などできるわけがない」


 言いきった社長の声は厳格で、自身の意思を曲げる気のない頑なさを感じさせる。


「芸事で生きていくというのは並大抵の事じゃない、夢やなんだと言えば聞こえは良いがやっていることは遊び人と変わらん。そんな事あの子も分かっている筈なんだが」


 はぁ、というため息と共に白い息が冬の空にたゆたう。


「結局大喧嘩になって、その勢いで娘は家を出て行ってしまった」

「家を? それは、心配ですね」

「ああ、まったく今どこで何をしているのか」


 また社長がため息をつく、その深さから社長の気苦労がうかがい知れる。

 娘と喧嘩した挙げ句、家を飛び出して行方が知れないとすれば親としては気が気ではないだろう。


 独身の浩樹には娘を持つ母親の気持ちなんて想像することしか出来ないが、それでも娘の事を話す社長は心配そうで、そして何処か寂しげだった。


 せめて居場所だけでも分かれば気が楽だろうにと思うが、家出娘の居所なんてそんなものそう易々と分かるはずが……ふとある予感が浩樹の頭の中を過ぎった。


 いやまさか、そんなことはないだろうと、最初は思っていたのだが、その予感はなぜだか段々と確信めいた物に変わっていく。


「そろそろ冷えてきたな。私は中に戻る。つまらない話しを聞かせてすまなかった」


 居酒屋の扉に手を掛け店内に戻っていく社長の背を浩樹は慌てて呼び止める。


「どうした?」


 怪訝な顔で振り返る社長に浩樹は躊躇しながらも意を決して尋ねる。


「あの、差し支えなければ娘さんのお名前を窺ってもよろしいですか」


 益々怪訝な顔をする社長に。


「いえ、名前を知っていればもしかしたら何かお役に立てることもあるかもと思いまして」


 我ながら苦しい言い分だったが社長は訝しみながらも取りあえず納得してくれたのか、居酒屋の扉に手を掛けていた手を離して浩樹の方へと向き直る。


 なぜこんなことを聞いたかと言えば、それは浩樹が社長の名前を思い出したからだ。


 いくら勤めている会社の社長だからといってその名前を日頃から意識する事なんて無い、だから今の今まで気が付いていなかった。


 宮原一みやはらはじめ。それが社長の名前だ。


 そして弘幸はその宮原という姓に激しく聞き覚えがあった。

 今から少し前、引っ越し挨拶で顔を合わせたとき彼女は言っていた。


『初めまして。私、隣に引っ越してきました、宮原――』

「守瑠。宮原守瑠だ」


 と、一は浩樹が想像していた通りの名前を口にした。


 もし何か分かったら教えてくれと言い置いて一社長は居酒屋の中へと戻って行く。

 残された浩樹は空を仰いだ。


 年末で賑わう繁華街の夜空は明る過ぎて星の一つも見えはしない。

 そんな空を見上げながら、浩樹は渇いた笑みを浮かべて。


「いや狭すぎるだろ、世の中」


 その後、直ぐに浩樹も飲みの席に戻ったが、降って湧いた衝撃の事実に色々と考えてしまい、結局あまり忘年会に集中する事は出来なかった。

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