手を伸ばす勇気を

第13話

「さぁ、ダンスの時間だ」


 赤地に緑のチェックが入ったマフラーを首に巻いた守瑠が『緋の弾少女スカーレットバレットガールイ』オーディション用台本と書かれた台本を片手に台詞を読み上げる。


 『緋の弾少女スカーレットバレットガールイ』は少年誌掲載のアクション漫画だ。


 願いと引き替えに悪魔と契約した少女が自身の命を弾丸に変える銃を手に、天使をと戦いを繰り広げる物語で、今守瑠が読み上げた台詞は主人公美婭みあの決め台詞。


 アニメ化が決定したこの作品のテープ審査に守瑠が合格し、キャストオーディションを受けることが決まったのはつい先日。


 浩樹は守瑠からオーディションへ向けて相談したい事があると連絡を受けて、仕事帰りにこうしていつもの神社で演技の感想を求められていた。


「オジサン、どうだった?」


 役に併せていた守瑠の口調と声色がパッといつもの調子に戻る。まるで一瞬で別人に変わってしまったような不思議な感覚。


 今までもこうして何度か守瑠の演技を見せてもらもらう機会は何度かあったが、その度に同じ様な感覚になる。


 きっとそれはそれだけ彼女の演技が見事だということなのだろう。

 しかし、門外漢の人間に演技の感想を求められても、正直困るとしか言いようがない。


「どうだった? って言われてもな……なぁ、その台本やけにシンプルだけど。オーディション用の台本って皆こんなもんなのか?」


 答えに困って、ふと気になったことを尋ねて話しを逸らす。


 A4サイズの台本は表紙を入れても二ページしかなく、書かれた台詞もさっき守瑠が演じたもの一つしか書かれていない。


 果たしてこれを台本と呼んでいいのか? と考えてしまうほど文字通りペラペラの内容である。


「ううん、色々。何個も台詞が書いてある場合もあるし、滅多にないけどアフレコ様の台本そのまま渡される事もあるよ。今回ほどシンプルなのはわたしも初めてだけど」


 この台本が一般的なものではないとなると作成者が手を抜いたわけではないのなら、この台本はあえてこのシンプルさでまとめられていることになる。


 だが果たしてたった一言しかない台詞で演者の技量を図れるものだろうか?


「……ねぇ、オジサン」


 取り留めのないことを考えていると、不意に守瑠が恐る恐る窺うような声で浩樹のことを呼ぶ。


 一体どうしたのかと、声の方へ視線を向けると。


「今度のオーディション、わたしさ……受かると思う?」


 まるで迷子の様に不安げに揺れる瞳と目が合った。


「オーディション自体は初めてじゃないんだよ、今まで何度も受けてきたし。でも今回みたいな通行人Aや生徒Bじゃないちゃんとした役のオーディションは、初めてだから」


 絶対に受かりたいんだ。そう最後に締めくくられた言葉は、守瑠の決意と意気込みそしてそれよりもずっと大きな不安で揺れている用に思えた。


 さっき聞かせてもらった守瑠の演技は見事な物だったと思う、少なくとも浩樹から見れば。


 その声は宮原守瑠ではなく、『火の弾少女スカーレット·バレット·ガール』の世界に生きる美婭というキャラクターの物だと素直にそう思えた。


 ただ……。


「……わからん」


 出かかった言葉を飲み込んで、浩樹は一言そう答えた。


「そもそも俺なんかの意見なんて何の役にも立たないだろう」


 浩樹としてはごく当たり前のことを言ったつもりだったがそれを聞いた瞬間、守瑠はなぜだか一瞬ひどく悲しそうな顔をした。


 想像もしていなかった守瑠のその表情に鼻白む浩樹だったが、それも一瞬。

 すぐに彼女の表情は眉根が寄り、怒ったような顔に変わる。


「何それ。そんな言い方ないじゃん」

「言い方って、俺はただ一般論を言っただけでだな」

「一般論って何さ、わたしはそんなもの聞きたかったんじゃない」


 それは職業病なのか、怒鳴ったりしているわけでも、強い言葉を使っているわけでもないのに守瑠の声には明確に苛立ちの感情が乗せられているように感じた。


 しかし浩樹にはその苛立ちが理不尽なものとしか思えなかった、自分は怒りを向けられるようなことを発言した覚えはない。


「何をそんなに怒ってるのか知らないけど、俺は別に間違ったことは言ってないはずだぞ。オーディションに向けて演技のアドバイスや意見が欲しいならら事務所の人間や同業の誰かに頼むのが真っ当だろうが」

「そんなことッ――」


 なおも何か言いつのろうとする守瑠だったが、その言葉は途中から大きなため息に変わった。


「もういいよ。わたしが間違ってた」


 ぶんむくれたその表情は、どう見ても納得しているようには見えなかったが、形だけでも誤った以上、ネチネチ文句を言うのは大人げない。


「気にしないでいい、そういうときもある」

「へんっすかした言い方しちゃってさ。それよりオジサン、明日は前に言ってた会社の忘年会なんでしょ、いいなぁ楽しそうで」


 唐突な話題変更だったが、守瑠なりの気遣いだろうと思えたので浩樹もあえてその話題に乗る。


「まぁな。でもそんないいもんでもねぇぞ、社長とかも来るから気ぃ遣うし」

「それでも大勢の人と飲み食いするのはちょっと楽しくない? そういうの面倒くさいって人も多いけど、わたしはああやって大勢の人がわいわいしてる時の雰囲気が好きなんだよね。なんだか暖かくて」

「まぁ、その気持ちは少し分からんでも無い気がするが」


 そんな話しをしている内に、気が付けば時計の針が七時半を回ろうかという頃合いになった。そろそろ部屋に戻らないと夕食を作る時間が無くなってしまう。


 まだもう少し練習をしていきたいと言う守瑠に、あまり遅くならないようにと言い置いて浩樹は神社を後にする。


 ここ最近、守瑠が浩樹の部屋を尋ねる時間が前より遅くなることが増えてきていた。それはそれだけ彼女が練習に費やす時間が増えているということだ。


 オーディションに受かるため、声優として成功するため、守瑠は努力している傍から見ていて痛々しく思えるほどに。


 その努力が報われればいいと思う。


 だけど――


「まっ、俺なんかが気を揉んだところでなんにもならん」


 自分はアニメ制作の関係者でもなければ評論家でもないただのサラリーマンだ。


 そんな自分なんかの考えや意見が何の役に立つ? 当てにならないことを言うぐらいなら何も言わないほうが彼女のためだ。


 そう浩樹は自分に言い聞かせた。 

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