ある小さな島のお話③

 木こりの青年は、少女の問いかけに答えることが出来なかった。


 あの子は自分の夢を叶えるために生きている、そう言っていたけれど。

 自分は一体、何のために生きているんだろう。


 青年にはそれが分からなかった、自分には夢も目標も生きがいも何も無かったから。


 ああ、でも。

 子供の頃、無謀でばかげた夢を見たことはあったな。


 なんて、そんなことを思い出したけれど、それはもう昔の話。

 青年はもう物事の分別がつくいい大人なのだ、叶わない夢を見ることはもうしない。


 別にそれでいいじゃ無いか。


 自分にそう言い聞かせて、青年はその日も仕事を終えた後にいつもの様に海を眺めに行った。


 そこには今日も少女の姿がある。


 今回は彼女も船もボロボロで、どうやら航海から帰ってきたばかりの様だ。


「やぁ、いい加減懲りたかい?」


 青年がそう声を掛けると、少女がムッとした顔をする。


「まさか、全っ然懲りてなんていないわ」

「そうかい。それはそうと船、大分ボロボロになってきてるようだけど?」


 無茶な航海を何度もしてきたせいで、少女のヨットはすっかりボロ船になっていた。


 所々修理の後はあるけれど、どれも素人仕事だ。


「大丈夫よ、壊れても私がまた直すもの」

「なるほど、どうりで酷い出来な訳だ」


「どういう意味よ」と少女は怒り青年は「さぁ」と、とぼけた。


「……良かったら、僕が直して上げようか、船」


 そう言うと少女は目をまん丸にしてパチクリと瞬きをした。


「僕は木こりだからね。少なくとも君よりは木の扱いは上手いよ。それに少しだけど造船の知識もある」


 少女は警戒心を隠す事もしない目で青年を見る。


「どうしてそんなことを言うの? あなたあんなに私が海に出ること反対してたくせに」

「さあね、実を言うと僕自身なんでこんなこと言い出したのかよく分かんないんだ」

「なによそれ」

「なんだろうね。ひょっとしたら、昔の事を思い出したせいかも」


 そう言うと少女は益々わけわかんなそうな顔をしたが青年はそれを無視する。


「で、どうする? 悪くない申し出だと思うけど」


 少女はうーんと言って悩んだ。


「……お金無いわよ」

「サービスでタダにしてあげるよ」

「じゃあお願い」

「現金だなぁ」


 修理の終わった船の引き渡しを一週間後に約束して、青年は早速作業を始めるため道具と材料を取りに森の家へと戻った。


 この家は、青年が木こりとして独立するとき建てたものだ。


 どんな嵐がきても壊れない程頑丈なこの家は、滅多に手に入らない特別な材木で作られていて同じ物を作ることはきっともう出来ないだろう。


 青年の木こりとしての人生、その集大成であり象徴がこの家だった。

 そんな家の裏にある倉庫で必用なものを見繕っている時、ふとある物が目に入った。


 けっこうな大きさのあるそれには布が被せられていて、かなりの量の埃がその上に積もっている。


 青年はそれを見て何かを懐かしむような、苦笑を浮かべて倉庫を出て行った。

 



 青年が木こりの仕事の合間に少女のヨットの修理をするようになってから三日。


「調子はどうかしら?」

「暇だね君も」


 作業の手を止めずに青年が答えると「だって気になるんだもの」と少女がちょっと不機嫌そうにそう言った。


 青年が船の修理をするようになってから、少女は毎日その様子を見に来ていた。


「どのくらい進んだの?」

「うん? まぁぼちぼち、予定通りって所かな」

「ふぅん、それならいいわ」


 青年は船の修理を続け、その様子を少女が少し離れたところからちょこんと座って眺めている。


「けっこう良い手際してるじゃない」

「そりゃどうも」


「木こりって皆そうなの?」

「切った木を木材にしたりするからね」


「船の修理も?」

「いや、それは昔取った杵柄ってやつ」


「? 昔は船大工だったとか?」

「あ、いや」


 しまったうっかり口を滑らせた。


「まぁ、趣味みたいなものだよ。そんなことより」


 青年は話を逸らすために話題を変えた。


「君はどうしてそんなに雲の向こうに拘る? やっぱりお祖父さんの話が本当だって証明したいから?」


 島の人からホラ吹きだと言われていた少女のお爺ちゃん。


 彼の話が真実だという事を証明するために、彼女は無茶な航海を続けているのだと。青年はそう思っていた。


 しかし意外なことに少女は「ううん」と首を横に振った。


「別にお爺ちゃんの話が本当か嘘かなんてどうでもいい。ただ私は腹立たしかったの」

「腹立たしかったって、何が?」

「雲の向こうに何も無いって決めつけてるこの島の連中全員よ」


 言いながら少女の表情が苦虫を噛みつぶしたみたいになる。


「皆、雲の向こうには何も無いって信じてるそれが常識だからって。誰も確かめもしてないくせに」


 少女が海の向こうへ視線を向けた。青年も釣られて同じ方を見る。


「私はお爺ちゃんが嘘をついているかどうかかなんて知らない、でもそんなことどうでもいい。ただ確かめもせず決めつけるここの連中みたいに、私はなりたくないの」


 少女は海の向こうにある雷雲を、まるで挑むような目で睨んでいる。


「だから、雲の向こうへ行くのが私の夢。例え誰になんと言われてもこの目で、あの向こうに何があるのか確かめてやるんだから」


 雲を睨む少女の横顔を見ながら、青年は思った。


 正直、見くびっていた。


 お爺ちゃんの話をただ鵜呑みにして、それを否定する周りに子供みたいに反発しているだけだと思っていた。


 でもそれは多分違う。

 この子にとって、お爺ちゃんの存在は切っ掛けでしかなかったんだろう。


 彼女の話を聞いて、話す彼女の姿を見て青年は強い意志を感じた。


 誰かに言われたからでは無く、自分でこの道を選び進もうする強い意志。

 きっとその強い意志を、人は決意や覚悟と呼ぶんだろう。


「? 何よ、じっとこっちを見て」

「いや、君は思ったよりも大人だったんだなと」

「む? それって、いつもは子供だって言いたいわけ?」

「よく、分かってるじゃないか」


 ムキーと怒る少女を無視して青年は作業に戻る。


 前に少女は夢を叶える為に自分は生きていると、そう言っていた。

 自分で考え、自分の意思で道を決める彼女は立派で大人だと思った。


 ……自分は如何なのだろう?


 自分の事を賢しく分別が分かる大人だと思っていたけれど、本当にそうだろうか?


 周りに合わせて流されるように生きている自分は、ただ楽をしているだけじゃないのか?


 それが間違っている事だとは思わない。


 でも。


 いったい自分は今なんのために生きているんだろう?

 気が付けば、青年はまたそうやって自分に問いかけていた。

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