第10話

 白出汁、醤油、みりんを鍋で一煮立ちしたところに炊いたご飯を入れ、柔らかくなってきたら溶き卵。

 最後に、小口切りにした青ネギを散らして出来上がった卵粥を守瑠の元へと運ぶ。


 例の如く守瑠の部屋にはまともな食材がなかったので、殆ど材料は浩樹が自分の部屋から持参したものだ。


「ほれ、出来たぞ」


 できたお粥を茶碗に盛り付け持って行くと、守瑠は「わーありがとー」と目を輝かせた。


 浩樹が買ってきたゼリーを一息で飲み干して体力がついたのか、さっきよりも少しだけ顔色が良くなった気がする。


「じゃあ、はい。あーん」

「なにがあーんだ、自分で食え自分で」

「えーアニメとか漫画じゃ、こういうときは食べさせてくれるのが鉄板じゃん」

「そんなに食べさせて欲しいなら鍋から直接漏斗で流し込んでやろうか?」

「なにその地獄の拷問! 食べる、自分で食べさせていただきます!」


 茶碗と匙を浩樹から受け取って粥を一口。


「わ、おいしー。オジサン料理上手だったんだね」

「別にこんくらい誰でも作れる」

「そうかもしれないけど。でも、やっぱり人が作ってくれたご飯は美味しいよ」


 そう言って守瑠はまた一口、お粥を口に運んでいく。

 そうやって食べている様子が本当に嬉しそうで、なんだか見ているこっちの方が気恥ずかしくなってくる。


 なんて事を思っていたその時、ツーと一筋の涙が守瑠の頬を伝った。


「おい! どうした急に」


 突然の事に動揺する浩樹を見て自分が涙を流している事に気が付いたのか、守瑠は慌てた様子で涙を拭う。


「何でもない! 何でもないから見ないでよバカ」

「いや、見るなと言われてもだな」

「本当に何でもないってば……ただ、ちょっと悔しいなって」

「悔しい?」

 

 浩樹がそう尋ねる、守瑠の目元は涙をぬぐって少し赤くなっていた。


「声優って声の仕事だから風邪なんて絶対引いたらダメなのに。毎日喉のケアには人一倍気を使ってたのに、なのにこんなことになって、あろうことかこんな風に面倒まで見てもらってさ。なんだかなさけなくなっちゃって」


 風邪で気が弱っているのだろう、話ながら守瑠の声が湿っていき目には徐々に涙が溜まっていく。

 そうしていよいよ決壊寸前になったその時、守瑠はまた目元を荒っぽく拭った。


「なーんて、グズグズ言っててもしょうがないよね。そんな暇があったらさっさと風邪直さないと。オジサンお粥お代わり!」


 元気よく差し出されたお茶碗を受け取ってお粥をよそって渡してやると、守瑠はそれ勢いよく掻き込んでいたが、その目は今も痛々しく赤い。


 そんな様子を見ていると浩樹はなんだか落ち着かなくなって、なんとなく守瑠の部屋の中を見回した。


 ベッドとその横に置かれた加湿器、部屋の中央に置かれた小さくて質素なテーブルと、あとは本棚代わりか本が数冊入ったカラーボックスがあるだけ。


 改めて見てみると、想像していたよりも大分殺風景な印象を受ける部屋を見まわしていたら、ふと浩樹はある物が気になった。


 立ち上がりカラーボックスの近くまでいくと、その中から一冊の本を取り出す。


「その本が気になるの?」


 そう声を掛けられてハッと我に返る。


「ああ、悪い勝手に」

「ううん、別に良いよ。オジサンその本知ってる?」

「……昔、よく読んでたんだ」

「へーそっか……わたしが小さかった頃、お父さんがその本を読み聞かせたくれただけどさ」

「読み聞かせって、この本をか」


 浩樹が今手に持っているのはハードカバーの長編小説で、あまり子供の読み聞かせに使うたぐいの本ではない。


「お父さんが好きな本だったんだって。それでさ、お父さん本を読んでくれるときわざわざ声色変えて登場人物事に演じわけたりしてくれてさ。わたしはそんなお父さんの読み聞かせが大好きでいつもワクワクしながら聞いてた」


 なつかしいなー。と昔を懐かしむように守瑠が目を細める。


「中学生の頃、色々あって何か全部どうでもいいやって思ってた時期があってさ。そんな時、友達がその本のアニメ映画にさそってくれて見に行ったんだ。映画は面白かったけど、でも何か違ったんだよね。なにが違うんだろうって考えて、声がね違うんだってわかったの、わたしが聞いてた登場人物の声はお父さんの声だったんだってあの時のワクワクは、全部お父さんがくれた物だったんだって」


 父のことを話す守瑠の表情は優しく、それでいて何処か悲しげだった。


 その様子で察してしまう。


 彼女のお父さんはきっともう、どこにもいないのだ。


「そんなこと考えてたら、エンドロールで声優さん達の名前が流れてきてね、その時初めて声優って仕事を強く意識したの、わたしもこの人達みたいになれば、あの時のお父さんみたいになれるのかなって。そう思ったらなんだかすごくドキドキして、この仕事がしたいって本気で思えて」


 その時、何処か遠くを見ていた守瑠が不意に浩樹の方を見る。

 彼女と目が合う。


「だからその本がわたしの夢の原点なの」


 そう言ってはにかむ守瑠の表情はとても優しげなものだった。


「って、わたしなんで急に自分語りなんてしちゃってるんだろ。恥ずかしいなぁもう」


 照れくさそうに頭を掻く守瑠。

 顔が心無しが赤くなっている気がするのは、照れているからなのか熱のせいなのかはよく分からない。


 改めて守瑠の夢の原点だというその本を見る。年期が入って表紙が所々ボロボロになっているその本を浩樹はまじまじと見つめて。


「妙な縁があったもんだな」


 ぼそりとそう呟くと「なにか言った?」と守瑠が尋ねてきたが浩樹は「別に」と軽く流した。


「……なぁ、一つ提案があるんだが」

「ん? なになに」

「よければ今度から、夕飯だけでも俺の部屋に食いに来ないか?」


 なるべく自然に提案したつもりだったが、流石の守瑠も予想していなかったのか「えっ!」と驚いた顔をする。


「もちろん、君が嫌だというのなら無理強いはしないが」

「いや、別に嫌じゃないけど、でも、急にそんなこと言われても」


 心底不思議そうに首を捻る守瑠だったが、その反応は至極真っ当な物だ。

 誰だって突然こんなこと言われたら困惑するだろう。


「別に大した理由はない。ただ、また部屋の前で倒れられても困るし、冷凍食品やコンビニばっかじゃまた体壊すだろ? だからせめて夕飯だけでもと思ったんだよ、別に二人分作ったところで手間は大して変わらないしな。それと後は」


 浩樹は手に持っていた本を元あったカラーボックスの中へとそっと戻し。


「同じ、本好きのよしみってところかな」


 浩樹の言ってる意味が分からなかったのだろう守瑠は益々不思議そうに首を捻ったが別にわかってもらおうとは思っていない。


「で? どうする」


 改めて尋ねると守瑠は腕を組んでしばらくうーんとうなり。


「わたしお金ないよ?」

「別に金取ったりはしねぇよ、一食二人分になったところで食費は大して変わらんしな」


 そう言ってやると守瑠はもう一度、うーんとうなって。


「……ふつつか者ですが、どうぞよろしくお願いします」

「それじゃあ、そういうことで」


 守瑠がお粥を食べ終わった頃、残った分は夜に温め直して食べるように言い置いて、浩樹は自分の部屋へと戻った。


 今後はあの子と関わるのは控えよう。ちょっと前までそう考えてた筈なのに、我ながら驚くほどの変わり身の早さだなと思う。


「でも、しょうがねぇよな」


 浩樹はこの前からずっと出しっ放しにしてあった例の段ボールから、一冊の本を取りだす。


 それはさっき守瑠の部屋で手に取った本と全く同じ作品だった。


 目指した道は違えど、スタート地点は同じ一冊の本だった。そう思うとただのお隣さんでしかなかった関係がほんの少し特別な物のように思えた。


 一方的なシンパシーでしかないのは分かってる、しかしこうして知り合ったのきっと何かの縁だ。


「ま、毒を喰らわば皿までってな」


 ああ言ってしまったからには、適当なものをつくっては恰好がつかない。

 明日の仕事帰りにでも本屋へよって、レシピ本でも買ってこようか。


 浩樹は一人、そんなことを考えた。





――あとがき――


ここまで読んでいただきありがとうございました。

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