第9話

 専門学校を卒業するまで作品は書き続けたが、結局あの時先生が言っていたことの意味を浩樹は最後まで理解することが出来ず仕舞いだった。


 卒業後は小説とは何の関係もない今の会社に入社した。

 会社勤めを初めてしばらくは時間を見つけて小説を書いていたが気が付けば書く時間は減っていき、家を出て一人暮らしを始めた頃にはめっきり書かなくなっていた。


 あの頃の夢やそれを追う情熱は、日々の忙しさと時間の中でとっくに風化し消え去ったものだと思っていた。


 それなのに守瑠と出会ってから、ここ最近それが時折顔を出すのだ。

 まるでゴミ溜めの中でチリチリと燃える種火のように微かに、だけどはっきりとその存在を主張してくる。


 コレはきっと未練なんだろう。憧れて追いかけて、今はもう諦めたつもりだった夢への未練。


 そんなものがまだ自分の中に残っているとは思ってもいなかったが、守瑠に投げかけられたあの問いかけで、今まで気が付かない様にしていたその存在に気が付かされた。


「我ながら、女々しいこったな」


 三十手前にもなって夢だの何だのと、今更そんなことを言っても空しいだけだ。


 自分はもういい年した大人なのだ。

 ただ無邪気に、夢なんて曖昧なものを追いかけられる様な時代はとうに過ぎている。


 浩樹は自嘲の笑みを浮かべて、手に持っていた小説をそっと箱の中に戻してその日はそのまま寝た。


 開いた段ボールは元の場所に戻すのが、億劫で今も部屋の片隅に置かれたままになっている。




 三日後の土曜日、休日だったその日、浩樹は特に何をするでもなく部屋でゴロゴロしていたのだが、昼すぎに呼び鈴の音が部屋の中に響いた。


「……オジサン……いる?」


 玄関の向こうから守瑠の声が聞こえた。

 出るべきかどうか悩んだが、流石に意味もなく居留守を使うのは気が引ける。


 浩樹は惰眠を貪っていた体を起こし、玄関へと向かう。


「どうしたこんな昼間に」


 言いながら扉を開けた瞬間、守瑠が倒れるように浩樹へ寄りかかって来た。


 突然の事に何事かと面食らう浩樹だったが寄りかかってきた守瑠の様子を見て、そ

れどころではなくなった。


「おい、どうした!」


 慌てて守瑠に声を掛けるが反応が薄い。

 その息づかいは荒く、触れる体温はあまりに熱い。


「なにさ、いるならさっさと出てよ……オジサン……」


 いつもの様に生意気なことを言っていたが、息絶え絶えに話すその声は明らかに体調の悪い病人のそれだった。




「ホンット最悪。薬とか飲み物とか買いに行かなきゃってコンビニ行こうと思ったは良いけど、部屋を出た途端まともに動けなくなっちゃってさ。オジサンがいなかったら、わたしあのまま死んでたかも」

「冗談でもそんな縁起の悪いこと言うんじゃ無い。部屋の前に隣人の死体が転がってるなんて洒落にもならん」


 咳混じりに呑気な事を言っている守瑠に、浩樹は呆れながらそう言った。


 あの後、浩樹は倒れた守瑠を担いで彼女の部屋へと上がり込んでいた。


 女子の部屋へ入ることに多少の葛藤はあったが、だからといって自分の部屋に連れ込むわけにもいかないし、何より守瑠の容態からそんなことでウダウダしている場合ではない緊急事態と判断した。


「病院には行ったのか?」

「言ってない。今日はオフだし取りあえず一日じっとして様子見る。良くならないなら明日行く」

「わかった。飯は? 何か食ったのか」

「ううん。ダルくて面倒だから食べてない」

「あほう、そんなんじゃ治るものも治らないだろうが。しょうがない、ちょっと冷蔵庫の中身もらうぞ」


 浩樹は立ち上がると、キッチン横にある冷蔵庫へと向かった。

 食欲はあるようだし何か簡単な物でもつくってやろうと思い冷蔵庫を開けるが。


「……なーんにもないな。一体普段なにを食ってるんだ君は」

「えーと、バイト先でもらえる廃棄寸前のお弁当とかおにぎりとか、後は冷凍食品」


 言われて冷凍庫の方を開いてみれば確かに幾つかの冷凍食品が詰め込まれていたが、炒飯やらグラタンやら病人に優しい食事とは思えないラインナップばかりだった。


「あーもう」


 浩樹は玄関へ向かうと荒っぽく靴を履いた。


「何か買ってきてやるから、必用なもん言え」

「え、ホント? いいの? じゃあ、スポドリとゼリー、チューブの奴」

「わかった。直ぐ買ってくるから、大人しくしてろよ、いいな」


 そう言い置いて浩樹は守瑠の部屋を後にすると近所のコンビニへと向かう。

 その道中、浩樹はふと大きくため息をついて空を仰ぐ。


 今後はあの子と関わるのは控えよう。そう決めたばかりの筈だった。

 それなのになんだ、そんな覚悟をあざ笑うかのようなこの状況は。


 そんな誰も答えられないであろう事を思い浮かべながら、浩樹は守瑠のためにコンビニへと走るのだった。

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