第8話

 中学一年の頃、夏休みがすぐ近くに迫ったその日、図書館から本を借りて読書感想文を書くという宿題がでた。


 本を読む=面倒くさいと言う認識だった当時の浩樹は気乗りしないまま、図書室で本を物色しているとふと一冊の本が目についた。


 なんとなく背表紙の色が気に入ったとか、その程度の理由で手に取ったその本を宿題のためと気乗りしないまま読み始め。


 初めて物語の世界に溺れた。


 ある日、不思議な世界に飛ばされてしまった少年が世界を冒険していく中で仲間達と出会い成長していく。


 そんな王道で娯楽的なストーリーが、読書という行為に馴染みのなかった浩樹の胸には強く響いた。


 あれだけ面倒だと思っていた読書にのめり込み、ページを巡る度に心が躍った。


 後から知った話だがその小説は一昔前に流行ったそれなりに有名な作品だったらしく、浩樹が初めて読んだ数年後にはアニメ映画も制作された程だ。


 その本と出会って以来、読書が浩樹の趣味になった。


 面白いもの正直そうでもなかったもの、ワクワクした物ハラハラしたもの、幾つもの本を読みあさり、物語に触れていく内にいつからか自分でも描いてみたいと思うようになっていた。


 小説家になりたい。


 それが浩樹の人生において初めて将来の夢と言えるような目標になった。


 別段珍しくもない話だ。本好きの人間が一度は考えるような、なんのドラマもない平凡な動機。


 でもそれが、当時の浩樹にとっての全てだった。


 進路にかんしては両親は大学への進学を勧めていたが、別段学びたい事もないのに受験勉強をする気にもなれず。


 学費の一部を自身のバイト代でまかなうことを条件に、高校を卒業すると小説作家専攻のある専門学校に入学した。


 以前から小説は書いていたが、専門学校に入学してからは企業の小説新人賞にも積極的に応募し本格的に執筆活動行うようになった。


 何も考えず、ただただ物語を綴る日々は充実していて楽しかった。

 ただそれも入学してから一年半ほどが経った頃から少しずつ陰り始める。


 新人賞に応募しても最終選考まで一歩届かないような結果ばかりが続いた。

 良く書けてはいる、だがあと一歩足りないそれが浩樹の作品に対する周りの人間の評価だった。


 何かが足りない。


 その事実は弘樹自身も自覚している事ではあったが、ただその足りない何かが一体何なのか、それは幾ら書いても分からなかった。


 書いても書いても前に進むことはない、そもそもどこに向かっているのかさえも分からない。そんな暗闇の中を進むような日々は、浩樹から執筆に対する自信と情熱を少しずつ奪っていた。


 自分には才能がないのだろうか。

 そもそもの話、何かの間違いでデビューできたとしてその後はどうする?


 商業作家としてやっていく以上、書いた本が売れてくれなければ話しにならない。

 単純に印税が入らないというのもあるが、本が売れなければ作家として書かせてもらえなくなるからだ。


 鳴り物入りにデビューしたとしても、書いた物が売れないんじゃどこの出版社も本を売ってくれない。


 どれだけ頑張って物語を綴っても、本が売れる見込みがなければ、出版社から見切りを付けられ仕事をもらえなくなってしまう、デビューしても次回作以降の売り上げが振るわず、鳴かず飛ばずのまま小説家としてやっていけなくなる作家なんて幾らでもいる。


 だから今時、小説家一本で食っていける様な人間はそう多くない、浩樹も学校を卒業すればどこかに就職することになるだろう。


 仕事をしながら、作品を書き続ける。そんな事が果たして自分に出来るのか?

 本当に小説家として生きていく覚悟が自分にはあるのか?


 そんな埒も無い不安が、浩樹の心を満たすようになっていく。


 そんなある日のこと、当時お世話になっていたゼミで講師を受け持っていた作家先生に、執筆中の作品を評価してもらっている時の事だった。


「んー。良く書けちゃいるんだがなぁ」


 いい加減、聞き飽きたその評価に辟易とした気分になる。


「……いったい何が足りないんですかね」


 半分諦めた様な気持ちでそう尋ねると、作品に目を落としていた先生は腕を組み一度うーんと唸り。


「そうだな。強いて言うならば」


 先生はそこでビシッと浩樹を指差した。


「お前の書く作品には愛がないんだよ、愛が」


 ……ナニヲイッテイルンダコノヒトハ。


 どうしてこんな所で愛などと言う言葉が出てくるのか、理解できず呆気にとられる浩樹だったが。


 そんなことは気にせず、先生は話しを続けた。


「俺たちが書いているのは小説って言う名前のラブレターなんだよ、いいか? ラブレターだぞ。んで有村の書くラブレターには愛がない、だから周りから評価されないし、何よりお前自身が納得の出来る作品が書けてない」


 最初はふざけて言っているのかと思ったが、先生の表情は至って真面目なもので、冗談を言っているわけではないようだった。


 飄々としてつかみ所のない言動の多い先生だったが、生徒の相談を適当な事を言って煙に巻く様な人ではない。


 だからきっとコレだって先生なりのアドバイスなのだろう、なのだろうが。


「あの……結局愛って何のことなんですか? 出来ればもう少し具体的に言ってもらいたいんですが」

「おいおい有村、曲がりなりにも物書きを志す人間ならこんくらいの言葉遊びくらい楽しめるようになれって」


 そうは言われても。何かが足りないことくらい自分でも分かっている、それがなんなのかどうすれば埋められるのかそんなこと嫌になるほど考えた。


 でも答えは解らないまま。だからこそ出来れば愛だの何だのと言う様な曖昧なものではなくもっと形のある物が欲しかった。


 そんな不満が顔に出てたのだろう、先生は浩樹の顔を見て困ったような顔をした。


「別に意地悪で言ってるわけじゃないぞ。そりゃ答えを言うのは簡単だがそれは俺の答えであってお前の答えじゃない、気取ったこと言うようだが、自分で答えを探すしかねぇんだよ、こればっかりは」


 だとしても何かヒントになるような事でも教えてもらいたかったが、先生はそれ以上は何も言うつもりは無いらしく大人しく引き下がるしかなかった。


「まっでも良く書けてるってのは嘘じゃないから、それさえどうにかなればグッと良くなるよ。自信持て、才能あるよお前は」


 先生はそう言ってくれたが、そんな賛辞の言葉を素直に受け取れるほど、浩樹の心にはもう気力がなかった。





――あとがき――


ここまで読んでいただきありがとうございました。

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