ある小さな島のお話②
海を眺めていた青年は、ヨットに乗り込もうとしていた少女に声を掛けた。
「やめときなって」
その声に少女は不機嫌な顔で振り返り、青年の顔を見たら、その顔は更に不機嫌になった。
「もう、またあなたなの?」
「また僕だよ」
青年があっけらかんとそう言うと、少女ははぁと大きなため息をつく。
「ねえ、何であなたはいつもいつもそうやって私の邪魔をするの?」
「無謀な事をしようとしている、君の事を案じて」
「余計なお世話よ。今に見てなさい」
ビシッと少女が海の向こうに見える雷雲を指差す。
「今度こそ、あの雲の向こうへ行ってみせるんだから」
今度は青年の方がはぁと大きなため息をついた。
「雲の向こうなんて、そんなものあるわけないじゃないか」
海の雷雲の向こうにはここよりずっと広い世界が広がっていて、そこには沢山の人が住んでいて、沢山の不思議があって、沢山の冒険がある。
それがこの島に伝わるおとぎ話。
だからこの島の子供は皆、外の世界への冒険を一度は夢に見る。
でもおとぎ話はおとぎ話。現実の話じゃない。
昔は沢山の人が、そんな夢物語を信じて雲の向こうの世界を目指して海に出た。
だけど皆、失敗した。
海に出た殆どの人が帰ってこなかった。
だからもう誰も雲の外の世界に行こうなんて、馬鹿なことを言う人はいない。
そんな話を子供達はおとぎ話と一緒に、大人達から教えられる。
そうやって、子供達は現実を知る。
雲の向こうの世界なんてそんなものはないんだって、そんな現実を。
でも、目の前の少女はそうじゃなかった。
「でも、お爺ちゃんはあるって言っていたわ」
少女のお爺ちゃんは島でただ一人、雲の外の世界を見たと言う変人だった。
島の人たちはだれもそんなホラ話を信じなかったけど、可哀想にこの少女はそのホラを信じてしまった。
彼女にホラを教えたお爺ちゃんが亡くなったのが一年前、その日を境に少女は外の世界を見に行くと言い出した。
お爺ちゃんの形見であるヨットで海にこぎ出しては、ボロボロになって海岸に漂着する、それを毎日の様に繰り返す。
そんな生活を一年間も続けている。
最初こそ、そんな可哀想な少女の事を沢山の人が心配して海に出ることを辞めるように説得していた。
もう、危ない事は辞めなさい。
島で皆と仲良く暮らそう。
このままだと海の藻屑になってしまうよ。
しかし少女はそんな声を全部無視して、海に出続けた。
そうしている内に少女に話掛けるのは、いよいよ木こりの青年ただ一人になってしまっていた。
「外の世界に行くのが私の夢なの。だから誰になんて言われてもぜーったいにやめない」
「まったく、君も分からず屋だな。だいたい君はまだあの雲に辿り着くことさえ出来ていないじゃないか」
島の海は海流が複雑で慣れない人が海に出ても、まともに前に進むこさえ出来ない。
しかも海流は雲に近づけば近づくほど荒々しくなっていく。
だから島の漁師でも、雲に近づける人は殆どいない。
仮に雲までたどりつけたとしても。雲の中は嵐が吹き荒れている。
その嵐を抜けて雲の向こうへ辿り着くなんて不可能だし、そもそもそんなものがあるかも分からない。
それなのに少女はふんっと勇ましく鼻をならして。
「少しずつ雲には近づいてるもん。次は必ずあの雲の向こうに行って見せるんだから」
懲りずにそんなことを言う少女に、青年はやれやれとまた大きくため息をついた。
「このままじゃ、その夢のせいで君は死んじゃうかもしれないよ」
「それでもいい」
青年の忠告に少女はあっさりそう答えた。
「だって私は、私の夢を叶える為に生きてるんだから」
そう堂々と言い放つ少女。
まったくこの子はどうしてこう、聞き分けがないんだ。
そんな風に呆れながら、でもなぜだか青年はそんな少女を見てられなくて、目をそらした。
「……もういいよ」
じゃあねと言って青年が帰ろうとしたら、待ってと少女が呼び止めてきた。
「ねぇ、一つだけ教えなさいよ」
振り返ると少女は真っ直ぐに青年の事を見つめている。
「なに?」
そう聞くと少女は青年を見つめたまま。
不思議な事を聞いてきた。
「あんたは今、何のために生きてるの?」
――あとがき――
ここまで読んでいただきありがとうございました。
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