第6話
守瑠が不思議そうな顔で浩樹を見上げる。
その時どうしてそんなことを聞いたのかは浩樹自身にもよく分からなかった。
でも多分、それほど大した意味はなかったはずだ。今日の朝ご飯なんだった? みたいなそれくらい何気ない質問だったはずだ。
「だってそうだろ。俺はたいして詳しくもない素人だが、声優って仕事が色々と難しいって事くらい想像できる」
そんな日々を続けてもその先で成功する保証なんてない。寧ろ大多数の人間が打ちのめされて、ボロボロになった末に消えていく、文字通り声優という仕事に人生を捧げる様な覚悟がなければとてもやっていけないだろう世界だ。
「俺には気が知れん。もっと安定してて、ちゃんとした仕事につくのが真っ当で正しい道ってもんだろう?」
一体誰に何を言っているんだ、お前。
浩樹は自分の言っている言葉をまるで他人事のようにそう思った。
なんてことのない質問だった筈なのに、これじゃまるで何かに言い訳しているみたいじゃないか。
「……悪い変なこと言った、今の聞かなかったことに」
「オジサンはさ」
浩樹の言葉を守瑠の声が遮る。
「声優のお給料って幾らか知ってる?」
なんの脈絡もない唐突な質問。
突然どうしてそんなことを聞くのか意図が分からなかったが、浩樹は素直に知らないと首を横に振った。
「三十分アニメ一話につきだいたい一万五千円」
その値段を聞いても素人の浩樹には安いんだか高いんだかすぐにはピンと来なかったが、少し冷静に考えればそれがどれほどのものなのかすぐに分かった。
最近のアニメは基本一クール、十三話程で最終回を迎える。
つまり一つの作品で役をもらえたとして、そのギャラは単純計算で一万五千×十三、約十九万五千円程。
普通の会社員の初任給が大体二十万前後とすると、そこそこもらえてる様に思えるが、しかしこれはあくまで一クール全ての話に出演できればの話だ。
一クール出ずっぱりというのはその作品のメインキャラでもなければまずムリだし、新人にそんな重要なキャラの役など滅多に回ってくるものでもないだろう。
そもそも毎月安定して仕事がもらえるとも限らない以上、月給換算では声優としてギャラなど如何ほどもないのでなないだろうか。
「更にそこから事務所へのマネジメント料が引かれるでしょう」
「え、まて、自分の所属する事務所に金はらうのか?」
「それはそうだよ。事務所とはマネジメント契約はしてるけど就職してるわけじゃないもん。後は現場への交通費も基本自腹だし、毎月の年金と保険料、電気やガスの生活費その他雑費諸々の支払いもしないと」
出費の数を守瑠が指を折って数えていくのに合わせて浩樹も頭の中で引き算をするが、その答えはわざわざ考えるまでもなかった。
一話一万五千程度では殆ど残るわけがない、下手をすればマイナス。とてもじゃないが声優のギャラだけで食っていくのは不可能だ。
「もちろん声優にもランクがあって、ランクの高い人はもっと多くもらってるけど、わたしみたいな新人は皆、大体こんなもん」
「安すぎるよねー」とまるで他人事のように守瑠は言う。
「わたしはまだ声優事務所に入って半年くらいしか経ってないド新人だけど。それでも事務所に入るためのオーディションに何度も落ちて、その度に必死にレッスンしてようやく事務所に入って。けど声の仕事なんて殆どないしアルバイトの方が稼ぎが多いし。わたしって本当に声優なのかなー、しんどいなーって思うことあるよ」
その時、守瑠の表情が僅かに陰った様な気がした。
口調こそ軽いが、守瑠が語った今までの日々はきっと彼女にとって、決して軽いものではない。
「でもね!」
陰った表情をその一言で吹き飛ばし、守瑠は浩樹を真っ直ぐに見て。
「わたし、やめたいと思ったことは一度もない」
彼女は迷いなくそう言った。
「声優になってからまだ日が浅いからそう言えるのかもしれない。いつかこの道を選んだことを後悔して自分を呪う日が来るかもしれない。でも少なくとも今、この瞬間、わたしはこの道を選んだことを後悔してないし、やめたいなんて思わない。だって――」
守瑠は薄い胸を張り、恥じることなく堂々と宣言する。
「それがわたしの夢で、わたしが生きる意味だから」
呆気にとられるというのは多分こういうことを言うのだろう。
浩樹は少しの間、次の言葉を口に出すことが出来なかった。
夢だの、生きる意味だのそんなむず痒くなるような言葉を良くもまぁ堂々と。
呆れたように心の中でそう呟く。だけど。
「すごいな君は」
自身の夢を話す彼女は、歌っている様な、踊っている様な、とにかくただただ楽しそうだった。
辛いこともあるだろう、不安になることもあるだろう、ただそれも含めて夢への過程が彼女は楽しくて仕方ない。
口に出さずとも彼女の身振り手振りが、浩樹にそう伝えてくる。
なんて若くて、脳天気で、無鉄砲で、楽観的で、刹那的生き方だろうか。
「その生き方は、俺にはとても理解できそうにない」
残り僅かになっていたお茶を一息に呷る。
暖かった中身は冬の冷たい空気に触れて、もうすっかり冷たくなってしまっていた。
お茶を飲み切り浩樹が踵を返しその場を去ろうとしたその時。
「ねぇ」
守瑠に呼び止められて浩樹が振り返る。
すると守瑠は、こんなことを浩樹に聞いてきた。
「オジサンは今、何のために生きてるの?」
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