第4話

 龍之介曰く声優とはそれだけでは、一銭もお金が入ってこない職業らしい。


 一般的にプロ声優とは声優事務所と契約している人物の事を指すが。

 就職とは違い定期的に事務所から給料が支払われるという事はなく、声優としてお金が入るのはあくまで仕事のオファーを受けて、その報酬として支払われた時のみ。


 だから当たり前の話しではあるが、幾らプロの声優を名乗っても、声の仕事がなければただ肩書きがあるだけの無職でしかないのだという。


 しかしだからといって新人の声優にまともなオファーが来ることは非常に少なく、結局は生きていく為にはバイトなどで生活費を稼ぐしかない。


 そんなわけだから現状、新人声優の大多数は、声優とは名ばかりのフリーターというのが現状らしかった。


「なんというか、俺には考えられんような生活環境だな。正直、進んでやる奴の気がしれん」

「容赦ないっすね。でも確かに、僕もアニメは好きっすけど、御免被りますねそんな生活、耐えられる気がしない。それに最近は声優のタレント化も進んで声以外の仕事も増えた分、求められるものも増えてるし、そう言う意味では下手なアイドルや俳優よりも過酷かもしれないっすよ」


 確かに最近は声優同士がユニットを組んでライブやイベントを行なったり、テレビ番組でタレントとして活躍する姿を見ることも珍しくなくなった。


 声の演技だけではなく、アイドル並に歌って踊れてついでに顔も良くてと、確かに現代の声優は求められる要素が多い。


「でも正直、僕はそう言うのってどうかと思うんっすよ。そもそも声優ってのは本来裏方なわけじゃないっすか、それなのに最近は声優さんが歌ったり踊ったり、何かと前に出すぎやん。アニメのキャラはアニメのキャラとして、イメージを大切にした方が良いと思うんよ僕としては。それにあれもこれもと際限なくやらせおってからに、そのうち過労で死人がでるわ」


 やたら早口でまくし立てる竜之介の口調に、関西弁が徐々に混ざり始める。しまった面倒くさいスイッチを入れてしまったか、と浩樹は気づかれない様に小さく顔をしかめた。


 竜之介は高校まで関西で暮らしていたらしく、その名残か話しに熱が入ると口調に関西の訛りが入る。


 そしてこうなってしまった竜之介はちょっとやそっとじゃ止まらず、そして朝礼の校長先生並に話しが長い。


「別に今の声優のあり方を否定する気は無いんよ? せやけどタレント性求めすぎて必要以上に負担掛けてることも事実だと思うねん。事実マキノちゃんの声優さんも体調不良で長期休養入るわけやし。今受けてる仕事は完パケしてから休養入るっちゅう話やけど、いつ復帰できるのやら、そもそもライブや握手会がしたいなら本職のアイドルを応援してやれやって話やん。だいたい――」


 最早誰かに聞かせているのか、独り言なのかなんなのか分からない竜之介の話を、浩樹が右から左へ聞き流す体制になったときである。


「隣、いいかな?」


 不意に低く凜とした声を掛けられる。

 その声の主を見た瞬間、浩樹はもちろん自分の世界へ突入しかけていた竜之介でさえその居住まいを正して「お疲れ様です」会釈をした。


「業務時間外で、そんなに仰々しくしなくてもいい」


「失礼」と焼き魚定食を手に竜之介の隣に座ったその女性は、弘樹達の勤めるこの会社の社長その人だった。


 齢はもう五十に入っていると言う話だがそうは思えないほど彼女は若く、老いによる衰えよりも、寧ろ歳を重ねた事による威厳のようなものを強く感じさせる様な、そういう人物だった。


 そんな社長が社内の社食を利用すること自体は別に珍しいことではなかった。

 実際、浩樹も社食で昼食をとる社長の姿を何度か目撃したことがある。


 だが、しかし、なんでわざわざこの席に?

 そう思わずにはいられなかった。


 社食は昼食の時間だけあって、それなりに混雑してはいるが空いている席がない訳では無い。


 それなのにどうして部下である弘樹達に了承をとってまでこの席に座ったのか、それが分からない。


 浩樹が竜之介の方へと視線を向ける。

 すると竜之介は小首を傾げその肩を小さく竦めて見せた。どうやら向こうにも心辺りはないらしい。


 社長は何か話すわけでもなく背筋をシャンと伸ばしたまま、黙々と焼き魚定食を食べていく。


 それに習ったと言うわけではないが、社長の前では雑談興じる気分にもなれず、浩樹と竜之介の二人も黙食に徹する。


 どことなく空気の重い昼食の中、不意に社長がぽつりと。


「……さっきの話だが」


 その一言に謎の緊張感走る。

 さっき? さっきの話ってなんだ? ひょっとして仕事で何かやらかしたのか?


 慌ててここ最近の記憶を漁るが、どれだけ思い返しても社長直々に声を掛けなくてはならない様な重大なミスをした覚えはない。


 いったなんの話なのかと、浩樹は戦々恐々と構えていたのだが。


「声優というのは、そんなに大変な職業なのか?」


 へ? という間の抜けた声が口から零れそうになって慌ててそれを呑み込む。

 だってあんまりにも、その発言が以外だったのだ。


 アニメだとかと漫画だとかそう言ったものに全く興味のなさそうな社長から、声優なんていう言葉が出てくるとは思いもしていなかった。


「えっと、社長もアニメとかに興味がおありなんですか?」


 流石と言うべきか、怖いもの知らずと言うべきか、竜之介がそう尋ねるが「別にそう言うわけでは無い」と社長の返答はあっさりだった。


 じゃあなぜ聞いた。と思わずにはいられなかったが社長相手にそんなこと言える訳も無く。


 疑問は増える一方だったが聞かれたからには答えないわけにもいかない。


 先程竜之介から聞いた話を、浩樹なりにかいつまんで話すと社長は「そうか」と一言だけ言ってまた焼き魚定食を食べ始めた。


 結局社長はそれ以降喋ることはなく、全員が黙々と昼食を食べ終えた頃、丁寧にごちそうさまでしたと手を合わせ。


「邪魔をしてすまなかった」


 そう一言残してその場を後にしていった。


 一体何だったんだ? 疑問に思いながらもう一度竜之介の方へ視線を向けるが彼はまた小さく肩を竦めて見せるだけだった。

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