第8話 大団円
今回の被害者が、毒を盛られて、さらに記憶喪失になっているという。
三浦刑事は、どこか複雑な気持ちになっていた。
本来であれば、
「勧善懲悪」
な性格なのだから、
「犯人が憎い」
という思いが一番に来るのだが、今回は、さほど乗り気ではないのだ。
というのも、この男が、
「重要文化財の下で、平気でタバコを吸っていた」
という事実を聴き、実際に、写真を見せられたからである。
「果たして、こんなやつが庇われてもいいのだろうか?」
という思うと、
「こんなやつは、死ねばよかったんだ」
という、決して表に出せない葛藤が、三浦刑事の中にあった。
確かに警察官なのだから、法律に従って行動し、法律の範囲で捜査権が与えられているということなので、犯人逮捕が最優先であり、個人的な感情は、決して表に出してはいけないものである。
しかし、刑事だって人間である。捜査をしていて、
「これは、犯人が悪いのではなく、心情としては、犯人に同情したくなるくらいのものだ」
ということが何度もあった。
そのたびに、
「俺の勧善懲悪の考えって一体何なんだ?」
と感じることであった。
だから、勧善懲悪が必ずしも正しいというわけではなく、しかも、犯人に同情するのもありなのではないかと思うこともあった。
そのたびに、自己嫌悪に陥り、捜査中であっても、いきなり人間が変わってしまうこともあった。
それでも桜井警部補は、前々から、そんな感情を知ったうえで、三浦刑事を引き立ててくれていたのだ。
桜井警部補に相談してみたこともあった。
「僕は、勧善懲悪をモットーにして警察官になったのに、その矛盾やギャップに苦しめられるような気がするんですよ」
といって、勧善懲悪についての話をしたこともあったくらいだった。
「三浦君は、考えすぎるだろうな。だけど、考えすぎることが悪いわけではない。自分で考えて考えて、それが身についてくれば、考えることの意義が自分で分かってくるようになるものさ。だから、どこまで考えればいいかという線引きが分かってくるようになると、引き際というものが分かっている」
と桜井警部補は言っていた。
「引き際ですか?」
と聞くと、
「ああ、そうだ、引き際というのは、いつ辞めるかということで、特に戦争などもそうだろう? 完全勝利が望めないのであれば、自分を絶えず有利な立場に持っていって、その時々の判断で、いわゆる一番いい時に、相手と一番いい状態で和平交渉をするというものだ」
という話をしてくれた。
「ああ、そういうことですね」
と、三浦刑事は納得した。
桜井警部補とすれば、
「思ったよりも難しい話をしたつもりなのに、三浦君はよくわかっているな」
と感じた。
こんな話をしていると、この言葉で少し気が楽になってきたのか、それ以上、悩むことがないと思ったのか、
「ありがとうございました。何かスッキリした気がします」
と言った。
その思いに間違いはなく。引き際というものを理解できたような気がしてきたのであった。
記憶喪失になった人間に何を聴いても答えるわけはないが、とりあえず、聴きに行ってみた。
こちらが何かを聴いても答えようとはしないのだが、何かをしきりに呟いているのだった。
こちらの話が通じないというのは、何となく分かっていたが、分からないということがどういうことなのか分かってもいないはずなのに、何を呟いているのか、きっと、
「記憶としては残っていないが、意識として残っている」
ということではないだろうか?
確かに記憶というものがないと、今までの自分が分からないということで、他の人とのコミュニケーションがうまくいかない。いくら、意識として、反射的なものは分かっても、まわりがついてこれないということになるだろう。
ただ、それでも、
「意識さえしっかりしていれば、記憶というものは消えるものではなく、封印されるものなので、何かのタイミングで戻ってくるという可能性は十分にあります。しかし、それがいつなのかは分かりません。1年後なのか、10年後なのか、明日なのかも知れない。それだけに、寄り添う人の神経もかなりすり減らされることになると思うんですよ。今はあの人の身元が分かっていないので何とも言えないですが、家族が見つかって、無事だということが分かり、安堵したとしても、次の瞬間には、奈落の底に叩き落されるということになる。それを思うと、私は胸が熱くなりますね」
と、医者は話していた。
それは、三浦刑事も同じことで、彼が警官時代に、同じように記憶喪失になった人がいたのを思い出した。
その人は交通事故だったのだが、飲酒運転だった。
「俺って、どうして交通事故関係で、いつもこんな悲惨な状況に立ち会うことになるんだろう」
と感じたものだった。
しかし、それは仕方のないことで、やるせない気持ちを持ちながらも、警察官を続けなければいけないことに、憤りを覚えなければいけなかった。
そういう意味で、今回の事件も、被害者が記憶喪失だと聞いた時、
「またかよ」
と嫌な気分になったのも確かだった。
しかも、この男が同情の余地のないというほどの気がする相手だから、余計であった。
何を言っているのか、少し聞いてみた。
「タバコ……、毒……、記憶喪失……」
と繰り返していた。
「何だ? 今の自分に起こっていることを分かって言っているのか?」
と思った。
確かに、
「吸ってはいけないところで喫煙をしていた」
そして、
「毒が身体に回っている」
さらに、
「記憶喪失になってしまった」
ということを、時系列で呟いているではないか。
しかし、よく考えてみると、これは、
「ニワトリが先かタマゴが先か」
という禅問答と同じで、今聞き始めたから、この順番だと思うのだが、実際には何が順番なのか分からない。
そのことを、まだこの時の三浦刑事には分からなかったのだ。
事件というものが、どのように進展するかというのは、
「必ずしも時系列通りだとは限らない」
と以前立ち合った事件で感じたのをその時、失念していたのだった。
とりあえず、男が呟いているのは、この3つの言葉であった。
三つというと、もう一つ思い浮かぶのは、
「三すくみ」
という言葉であった。
「ヘビはカエルを飲み込むが、カエルはナメクジに食べてしまう。しかし、ナメクジは、ヘビを溶かしてしまう」
ということで、お互いにけん制し合うことで、均衡を保っていることを、
「三すくみ」
というのである。
「その三つが、何やら三すくみになっているのではないか?」
そう感じたのは、彼が記憶喪失になっていて、意識で呟いていると感じたからだ。
「自分が記憶喪失になっていながら、記憶喪失という言葉を言うということは、記憶があった時期に、その言葉が印象に残ったということだろう」
と感じた三浦刑事は、記憶喪失という言葉が記憶の奥にも封印されていて、意識の中の記憶喪失と葛藤していて、そこから言葉が生まれてくるのではないかと感じたのだった。
被害者の身元を調べていると、ふとしたところから身元が分かってきた。
というのは、行方不明者の中で、一人科学者がいたのだが、その科学者の先生を探しているということで、捜索願を申し出たのが、息子だったのだ。
そして、その捜索願と申し出てから、ずっと定期的にその様子を聴きにきていた息子というのが、最近、忽然とこなくなったということであった。
普通警察は、事件性がないと捜査はしないが、息子がいうには、
「親父を急いで探してください。どうやら、変な組織に誘拐され、よからぬ研究をさせられているんです。その研究のキーワードとして、毒薬、記憶喪失、タバコというものが机の上のノートに書かれて置かれていたんです」
という具体例を話した。
警察は普段は、聴く耳を持たないが、相手が科学者で、
「毒」
という言葉があることから、捜索に乗り出したのだが、相手の組織がかなり強力なのか、普通なら、もう少し調べれば分かりそうなことですら、まったく分からない状態になるのだった。
そんな時、息子が来なくなった。気になって行ってみると、どうやら息子も行方不明のようだ。親子ともども行方不明。さすがに警察も捜査に乗り出した。しかも、その消息は忽然と消えている。意識的に存在を消されたかのようである。
それこそ、
「記憶喪失ではないか?」
と思えるほどで、一部の記憶を操作できるような、そんな感じであった。
「やはり、科学者という父親が絡んでいるんでしょうか?」
というと、
「大いに考えられるな。ちょっと非現実的ではあるが、親子ともども失踪したということであれば、さすがに放っておくわけにもいくまい」
ということであった。
そこに通りかかった三浦刑事、息子の話を聴いて、
「まさか」
と思ったのだ。
そこで、息子の顔を知っている捜査員とともに、病院に赴くと、
「ああ、彼が科学者の息子ですね。記憶喪失なんですか?」
と三浦刑事に聞くと、
「そのようですね、そして、毎日の口癖が、タバコ、毒薬、記憶喪失なんですよ」
という。
三浦刑事が、いきさつを話すと、捜査員は、
「彼が、そんなところでタバコを吸うなど考えられませんね。何かの脅迫でも受けて、わざとしたのではないでしょうか? しかもそれを誰かに見せて、彼が天罰を受けたとでも思わせたかったのかな?」
ということであったが、
「それは少し考えにくいですね。実際に彼は記憶を失ってはいるが、死んではいない。何かの人体実験のようにも思える。父親が絡んでいて、ひょっとすると、悪の組織の存在を何とか警察に知らせて、この状況を何とかしてほしいと思ったのかも知れないですね」
というと、
「そうなんですよ。我々も、その危惧があったので、父親を捜していたんですが、息子まで行方不明ということで、いよいよ怪しいと思ったんですよ。もし三浦刑事の想像が当たっていれば、これは、父親がくれたチャンスということになりますね」
と言われて、三浦刑事は、昔に見た特撮映画を思い出していた。
「そういえば、あの時、宇宙怪物を地球外に送り出す発想をした老科学者は、宇宙船に乗っていて、墜落した船の宇宙飛行士だった人の父親だったよな」
ということであった。
偶然なのかも知れないが、数十年経ってから、親子という関係で、
「悪に立ち向かう」
という発想が受け継がれているような気がして、三浦刑事は、不思議な気持ちになっていた。
「父親は、きっと悪の秘密結社から、相手を殺すか、あるいは、殺傷しなくても、記憶喪失にできるような薬を、タバコに仕込めるような開発をさせられていたのかも知れない。それも、見た目は分からないくらいのものであるが、その効力は明確に違っていて、見る人が見れば、その違いに気づくというものだろう」
と感じた。
そして、
「昔の特撮が、宇宙怪獣を宇宙に返すことで膠着状態を打破するというように、今回は、記憶喪失になる薬、いや毒が身体に回っても、その時に、タバコ、毒、記憶喪失というキーワードを、与えられるように息子に洗脳していたのかも知れない。その薬に洗脳されやすい効果があるのか、そして、しかも、記憶喪失になった人間の口から記憶喪失と言わせることで、相手に違和感を与えるというものだ」
と考えた。
「しかし、記憶喪失になった状態、つまり、世間に放り出された状態でこの言葉を言わないと意味がない。下手をすると、それを組織に知られてしまうと、消されるかも知れない。ただ、今の医学で、この毒を解明すること。そして、解毒の力は、今の世の中にあるわけはないと博士も分かっていることで、安心していた。つまり、博士は自分だけで解毒剤を持っているということだろう。組織が博士によって研究が完成すれば、博士も消されることだろう。それは自分でも分かっている。だとすると、息子の解毒をどうにかしてしようと思うだろう。そのうちに、彼に対して医者を通してリアクションがあるかも知れない」
とも考えていた。
組織はしばらくして捕まった。一網打尽だった。博士を亡き者にしようとしたところを、警察の内偵も進んでいて、一気呵成だった。彼らには、有頂天になっている状況だったので、
「俺たちの行く手を阻むものはいない」
とまで自惚れていたようだ。
そんな組織の解体などあっという間のことだった。
もちろん、科学者親子の力が働いているのは当然のことで、世の中に平和が訪れたのだった。
しかし、それからしばらくして、
「謎の記憶喪失」
というものが流行り出した。
その頃には、三浦刑事もあの時の捜査員も、なぜか、科学者親子のことを失念していた。どうやら、一部の記憶が消えているようで、そこに、科学者親子が絡んでいるようだった。
「俺たちの目的が達成されるのはこれからだ」
と、親子二人はほくそえんでいる。
「科学というものは、これくらいに厳重に堂々巡りを繰り返さないと成就しないもので、さらに一番厄介な、邪魔というものが入らず、できることであろう」
と、相手をやっつけるのではなく、
「宇宙怪獣を宇宙に返す」
ということが一番有効だったように、相手の意識をそぐということを、記憶喪失によって成し遂げるという第一段階の研究は終わった。しかも、毒を仕込んだのが、タバコという、今後すぐになくなってしまうもの、そして、吸っているところがいかにも罪悪に感じるもの、そういうものが、計画には不可欠だったのだが、うまくタバコというものがあったというものだ。
「この親子、一体何を考えているというのだろうか?」
( 完 )
タバコと毒と記憶喪失 森本 晃次 @kakku
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