錆びた脳に打ち水

渡賀 みしお

本を読まない。けれど読む習慣をつけようと試みている



 人のいう「積ん読」とはそのうち読む「積ん読」なんだろうな。大したものではと思える。私の本棚には積ん読ですらない飾りばかりが並んでいるから。

表紙のお菓子がおいしそうだったから、遊び紙がすべすべしていたから、重たくてかしこそう、界隈の名著だから、グルメの写真が良い、色味がおいしそう……。

棚を眺めながら買ったときの動機を思い出し書き連ねてみた。己がいかに食欲に支配されているのかがわかった。

 これらの本。買ったはいいものの、実はあまり読む気が無い。なんとなく、本棚にいるだけで可愛いからそれだけで充分。

趣味のステーショナリーを眺めるため書店に行き、ついでに平棚を眺め、気に入った表紙のものを買って帰るという習慣がいつのまにかついてしまった。このルーチンの外で買ったものは、だいたいは普段過ごしている界隈の名著。一般的にはマイナー書籍だから、基本書店のどこを探しても置いていない。本屋さんで注文をした方が、売上に貢献できるのだろうな。そう思いながら、翌日には届くネットで購入する。


 私に(漫画以外の)本を読む習慣はない。しかし文字を追う習性はある。

お菓子の成分表とか、咀嚼しながら無心で見ちゃう。トリートメント中に洗顔の裏側も見ている。

何度も見ているので、特に目新しいことは無い。ただ文字がそこにあるから読んでいるだけ。これらの、意識しなくとも目の前に出てくる情報群はTwitterに似ている。

なぜかずっと眺めてしまう。似ているけれど、SNSほど毒々しい感じはない。画面の向こうに人の感情を感じないせいだろうか。ブルーライトが伴っていないだけで感情が薄まったように思える。


 なぜか今文章を書く仕事をしているので、ネットに掲載されている人の文章だとか、資料としてむずかしいものも頻繁に読むようになった。

それでも本は読まない。多くが、冒頭で飽きるから。集中力が欠乏通り越して死んでいるので、登場人物を読者に印象付けるための冒頭シーンで本を閉じてしまう。

本棚の飾りに目を通さないのも多くはこれが原因だが、それ以上に、読むと宝石が石ころになりそうで嫌だなと思う気持ちもある。また冒頭で飽きちゃったら、あるいは作者が気に食わなかったら。気に入っていた表紙はすぐに色あせて見えるようになるんじゃないか。なら別に読まなくてもいいかなぁ。


 最近、数年ぶりに小説を一冊読破した。アガサ・クリスティーの「オリエント急行の殺人」(山本やよい訳)。買ってそのままなことにそろそろ罪悪感が沸いてきたから。二か月くらいかけて読んだ。ミステリー小説を読んだのは小学生の時以来で、結構新鮮な感覚を抱きながら最後は半分くらい一気に読んだ。オチが好き。作者の思想が感じられてよかった。スマホ越しの思想にはメンタルをやられるのに、本から伝わる作者の思想が心地よいのはなぜか? 単に、アガサが良い人なのかな。いや、まだわからない……あと二冊くらい読んで判断したい。友人になれるかどうかを見極めている気分。別にアガサは私のことなんとも思って無いのに。

オリエント急行のあと、この勢いですぐ別の小説読んだと思うじゃないですか。もう二か月経ちますけど、まだ何も読んでないです。


 三日前、細長くて黄色くてキリンみたいな本を買った。アガサじゃない。次はこの本を読む。おそらくまた、二か月か三か月かけてじっくり読む。

冒頭だけ読んだけれど、筆者はどうやら奥ゆかしい性格らしい。学童保育の目の前にあった花壇の陰を思い出した。あまり人が来ないから、なんとなくそこでじっと本を読んだ記憶が蘇る。この本はカフェではなくて、できれば寝る前にお布団の中で、数ページずつ読めればいいと思った。

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錆びた脳に打ち水 渡賀 みしお @togamisio

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