第59話 お決まりの情事
抱えていた問題に片が付いて、ようやく平穏が訪れた。
と言っても学校に来ると、全員が俺の勝利を称えようとしてくれたため、平穏とは真逆の一日を送っていたが。
そんな訳で学校から帰ったものの、まだお祝い気分は終わらない。
綾が「お礼をしたい」と言ってきて、その結果食事会をやることになったからだ。
俺たちはダイニングルームに集まり、綾とたまきが料理を終えるのを待ち焦がれていた。ちなみにたまきは「自分も手伝いたい」と進言してきたため、手伝わせている。
台所から漂う香ばしい香りに、クシナは待ちきれない様子でつばを飲み込んでいた。
「由倫様、我慢できそうにありません」
箸を持つ手を振るわせるクシナ。テーブルだろうが何だろうが、手当たり次第に食べようとする勢いだった。
ただ、クシナの忍耐が限界を迎えるのも頷ける。買い出しが長引いたせいか、時刻は既に二十時半を超えていた。普段なら二時間前――たとえダンジョン攻略が会った日であっても――に食事を終わらせていただろうからだ。
「せめてつまめる物でも買っておけばよかったわね」
白銀も心なしか、痩せぼそったように見えた。実際目が虚ろになりつつある。
「『頑張って作る』って言っても、時間かかりすぎじゃねえかこれ」
料理が始まったのは二時間前。それだけ手間をかけて、いい物を食べさせようという気づかいは感じられる。しかし待たされる身としては、あまりにも辛い時間だ。
俺もそろそろテーブルを食おうか。などと考えた時、台所から料理を綾とたまきが、料理をもってやって来た。
「ごめん! 時間かけすぎちゃった!」
たまきはエプロン姿――もちろん制服の上から着ているので問題はない――で、現れた。一方で綾の方は、割烹着姿だった。曰くおばあちゃんがくれた物らしく、大切に扱ってるとか。もちろんこちらも制服の上からだ。
「お待たせ……しました……!」
二人は持っていた料理をテーブルの上に置いていく。たまきはコロッケやハンバーグ、オムレツやサラダといった要職を中心に。綾は煮物や漬物、手製の海苔巻きなどの和食が中心だった。
「ごはんとお味噌汁もあるから、持ってくるね!」
「もう少し……待っててくださいね……」
愛想よく笑みを浮かべて、台所へまた消える二人。だが既に、クシナは料理を一つまみしているところだった。
「クシナ。挨拶しないで食べるのは行儀が悪いぞ」
「……申し訳ありません」
クシナは手を震わせながら、箸でつまんだ料理を戻す。絶望の滲んだ顔に、何故か罪悪感を感じてしまう。
苦しめられる前に、椀一杯のごはんとみそ汁が運ばれて来た。
「はいはーい、前通りますよー」
「お待たせ……しました……」
目の前に置かれて行く主食たち。クシナは米から舞い上がる湯気を吸い、涎を垂らしつつあった。白銀も、こちらに聞こえるくらいに唾を飲み込む。
だが俺も、今すぐ食らいたい気分だった。既に箸を持ち、どれを先に食らうか目星はつけてある。後は、合図を待つだけ。
「さぁ、召し上がれ!」
「ど……どうぞ……!」
二人の掛け声が聞こえた時、俺たちはそれぞれ目をつけていた料理を光の速さで掬い取った。
そこから先はあまり覚えていない。気がつけば目の前にあった皿から料理は無くなっており、俺は食いすぎによって腹を締め付けられる気分にさいなまれていた。
一方で同じかそれ以上の量を食った筈のクシナと白銀は、けろっとした表情で手を合わせたり口元を紙ナプキンで拭っていた。
「美味――でございました」
「ええ。二人とも、お料理が上手なのね」
「やだなぁ。クシナも白銀さんも、いつも食べてるでしょうに」
「満足いただけて……よかったです……」
「そうだな。美味かった」
食いすぎるなんていつぶりだろうか。普段はそんな事にならないんだが。
「由倫くん、わたし達の料理どうだった?」
「もっと……感想……聞かせてほしいな……」
「たまきのは、店の美味しさって感じだな。綾はおふくろの味って感じ」
「確かに。たまきさんのは純粋に美味くて食事が楽しいって感じだったけれど、貴女の方はどこか安心感があるって感じね」
詳しく解説してくれた白銀。まあでもそんな感じだ。
「良かった! たまには手間を込めて作るのもいいね!」
「そっか……わたし……ちゃんと近づいてるんだね……」
たまきは手放しに喜んでおり、綾の方は意味深な発言を残す。
「そうですね。たまき様も美味でしたが、そちらの方の御料理もとても素晴らしかったです」
「うんうん。そういえばあなたはどこでお料理覚えたの? わたしはネットでレシピとか調べて作ってたけど……」
「えっと……おばあちゃんが……教えてくれて……」
「おばあちゃんかぁ。いいなぁ……」
四人の会話に違和感を感じた。なぜ綾を名前で呼ばないのか。自己紹介は済ませているはずなんだが。
「なあお前ら」俺はクシナ、たまき、白銀の三人にそれぞれ目を向ける。「この子の名前を言ってみてくれ」
「急にどうしたの?」
「いいから」
すると、三人とも首をかしげる。綾の方は、それだけで悲しくなったのかがっくりとうなだれた。
「えっと、ゆかりちゃんじゃなかったっけ?」
「なぎさ様では?」
「私の記憶だと、ジュリアンだったような気がするけど」
「お前ら二子玉川に沈めるぞ」
特に白銀。一体誰と勘違いしたらジュリアンだなんて名前が出るんだ。
「うう……やっぱり……」
以前にも聞いていたが、どうやら綾の名前は忘れられやすいようだ。その時も思ったように、難しい名前ではないのですぐ憶えられはずなんだが。
「いいか、この子は玄野綾って名前だ。特にたまき、クラスメイトなんだぞ?」
「ご、ごめん……」
「大変失礼を。申し訳ありません、綾様」
「ごめんなさい、忙しくて誰かと勘違いしてしまったみたい」
「だ……大丈夫です……いつもの……事なので……」
綾の言葉から、どんよりと重い空気が流れる。せっかく美味い物を食べた後で、この空気かよ。
仕方がないので、話題を換えるか。
「まあ、こうして綾も無事だったんだし、料理もうまかったしで景気よく終ろうぜ」
手を叩いてそう告げると、全員段々と笑みを取り戻していった。
「そうですね」
「うんうん。一時はどうなるかと思ったけど、皆何事もなくてよかったよ」
「ええ、これも全部貴方のお陰ね。由倫」
そう告げる白銀の笑みには、疲れや気負いはなかった。
「だから、褒めても何も出ないって」
ともあれ和気あいあいとした雰囲気がもどってよかった。
「ありがとうね……由倫君……」
そう告げる綾は、万遍の笑みが浮かんでいた。その笑みで、場は一層なごんでいった。
◇
食後に片づけを手伝おうと思ったのだが、四人から「ゆっくりしてていいよ」と諭されたため、俺は手持無沙汰になってしまった。
という訳で風呂に入りつつ、これまでの事を思い返していた。
翌々考えれば、一連の騒動は一週間も使ってないんだよな。なのに今日まで、長い時間を過ごしていた気がする。
そのせいか、妙に体が凝って仕方がない。まあ明日に支障が出るほどではないだろうが。
「……あの……」
ふと、脱衣所から綾の声が聞こえて来た。
「うおっ、何だ」
あわてて湯船から出ようとしてしまったが、陰でも大事な部分は見えるだろうからすぐに座る。
「……実は……もう一個……お礼がしたくて……」
「お礼って?」
返事は直ぐに来なかった。脱衣所の陰は、気恥ずかしそうにもじもじしていた。
「……由倫君の身体を……流させてください……」
ようやく返って来た返事は、突拍子もない物だった。
「なんで俺の身体を?」
「……他に……方法が思いつかなくて……」
律儀というかなんというか。別に料理を食べさせてもらっただけで十分だったのだが。
しかし覚悟を決めて来た手前、フイにするのも気が引ける。せっかく来てくれたんだし、ここは言葉に甘えておこう。
「……分かった。じゃあ頼む」
俺は一旦湯船から出て、バスチェアに座る。
「……お邪魔します……」
がらり、と浴室のドアが開かれた。当然ながら、綾は服を脱いで入って来る。ただし湯気のせいか、大事な部分はうまく隠れてしまっていた。
つい見とれてしまったが、流石に綾に悪いか。俺は目を閉じる。
「……じゃあ……洗うね……」
「ああ……」
背後で泡を立てる音が聞こえた。背中を預けて待っていると、手にしては広すぎる面積を感じた。
いや、中には二つの柔らかい何かが当たっている。そして僅かに、綾の粗い呼吸が耳元から聞こえてきた。
恐る恐る振り返ると、なんと綾は自分の身体で俺の背中を洗っていた。
「綾、一体何を……?」
「もしかして……嫌……?」
究極の質問である。もし嫌と言えば、きっと綾は止めてくれるだろう。しかしそれでは何というか……。逆に止めなければ……。
「いや、大丈夫だ……何でもない」
気づけば本能で答えていた。
「よかった……」綾はしばらく洗い続けたが、ふとぴたりと止めてしまう。「……由倫君……今度は……前……」
まあそう来るよな。俺は観念して、目を閉じたままだが前を向く。やがて綾が腕を回してきて、ぴたりと体をくっつけてくる感触が伝わって来た。
泡を潤滑剤にゆっくりと動く度、伝わってくる感触に悶えてしまう。綾の吐く息も艶やかなものになり、気がつけば俺は綾の腰に手を当てていた。
「由倫君……」耳元で、綾が囁く。「……大好きです」
「俺もだ、綾」
返事はすぐに返していた。
何故俺は、綾の名前を憶えていたのか。
それは初めて見た時から惹かれたからだろう。
理由は分からない。でも今の状況を鑑みても、直感は正しかったと言えるだろう。
やがて俺たちは唇を合わせ、そして――。
「たはーっ! 疲れたぁ!」
突如我が物顔で入って来るたまき。
「お待たせしました、由倫様」
同じくクシナ。
「疲れた時のお風呂は格別よね」
言葉だけは同意できる白銀。
だがな……。
「……お前ら、少しくらい慎みを覚えたらどうなんだ」
俺と綾は、絶賛互いを手繰り寄せているところなんだが。
「え……? え……?」
綾は完全に困り果てていたようで、闖入者たちを見回す。
「えー? だって今更だよぉ?」
確かにいつも一緒に風呂に入ってるが、たまには一人でゆっくりさせてくれたっていいだろうに。
「わたしの全ては由倫様のものです。ですからお気になさらずに」
「それとも、もう私たちの身体に飽きちゃったとか?」
そう告げて、三人はそれぞれ体を寄せてくる。ただでさえ全員裸だというのに、このままでは……。
「だ……駄目っ……!」だが、綾が拒絶するように手繰り寄せる。「由倫君は――きゃっ!?」
だがその力が強かったせいか、俺たちはその場で滑ってしまう。何とか頭は打たずに済んだようだし、綾も俺の身体で衝撃を防いだようだ。
「いたた……」
痛い、という綾の言葉に、俺は疑問を抱いていた。痛いという感じはあるのだが、何か別の……。
その場所を見てたが、湯気と陰でうまく見えない。ただそこで大事故が起きているのだけは分かった。
「ひょえー」
「これは……」
「あらあら……」
「……え?」
闖入者たちは笑っていたが、綾も違和感を感じたのだろう。その部分を見おろす。
「……は」これ絶対叫ぶな。そう思い耳を塞ごうとした。「はふぅっ……!」
しかし綾は、大事故を受け入れたように悦びに浸る。
それは、長い夜の始まりを告げる声だった。
確かに依然と比べて、俺は富も、名声も、そして愛する者達に恵まれた。だがその先で待っていたのは、せわしない苦労の数々である。とはいえ決して嫌ではなく、どちらかというと嬉しい悲鳴と捉えるべきか。
ただ一つ、言えることがある。金持ちって、大変だな。
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