第64話 仮面の裏の顔
不愉快そうなツカサを見て、ラシャがすっと進み出た。
「では念のため、デイトからもおすすめしておきましょう。幸い、こちらではその『カッケ』なる病気はほとんど報告がありません。食事改善を進める根拠の一つになるのでは?」
「それはそうかもしれませんが……」
ツカサは苦々しい顔で言った。本当は内政干渉だとはねつけたいが、シレールに立ち向かう以上正面からデイトに喧嘩は売りたくない。そんな板挟みの感情に振り回されている様子だった。
「対処をお願いしますね。こちらも同じ賭けをする以上、戦死より戦病死が多いような体たらくの友軍では困りますから」
いよいよ本格的に困ったのはツカサの方であろうが、ラシャはにこにこしたまま詰め寄っていく。この人、こんな一面もあったんだなあと
「……昔悪ガキとつるんでたっての、嘘じゃなかったんだな」
灯もちょっと呆れた様子で、ラシャの背中を見守っていた。
やりこめられたツカサにとって救いだったのは、その時、廊下の向こうから高らかな足音が聞こえてきたことだった。
「おい、あそこだ!」
「ちょっと待ってください!!」
「お袋の病気のことで相談が──」
「待てよ、うちの弟の話が先だ!」
そこらじゅうから人がすごい勢いで寄ってきて、大翔にくっついて健康相談を始める。五分もしないうちに、押すな割り込むなのえらい騒ぎになってきた。
最初はぽかんとしていた大翔だったが、突進されもみくちゃにされ始めてようやくことの事態を理解した。脚気を改善したことで、何かすごいことができる医者のように思われてしまっているのだ。
「あの、俺は医者じゃないんで。痛いとか苦しいとかが全部治せるわけじゃ──」
それでも兵たちの包囲は解かれず、逃げられない。だんだん輪が小さくなってきて、大翔もこれはまずいと思い始めた時、不意に重いものが床をうつ音が聞こえてきた。
「はい、やめときやめとき。これは命令や、離さんかった奴には罰則があるで」
サワラギが無表情のまま、木刀をぶんぶん振り回して兵を止めてくれた。ぴしゃりと言われ、さらに暴力までちらつかされた兵たちはすごすごと引く。
ようやく円陣からまろび出た大翔は、荒い息をつきながらサワラギに頭を下げた。サワラギは笑いながら、廊下を指さす。
外に出ると、兵のいない個室に案内された。質素な卓を挟んで向かい合い、大翔がしばらく息を整えていると、サワラギから口を開いた。
「すまんな、興奮しすぎたみたいや。俺から謝っとく」
「……いえ、気にしてませんから」
「奴らは悪気ないねん。大事にしてもらえることがあんまなかった連中も多いから、堪忍したってや」
「え?」
どういう意味か分からず大翔が問い返すと、サワラギはこちらをまっすぐ見つめてきた。
「農家の次男以下は、立場が弱い。そしてここ数十年国内が落ち着かんかったせいで、弱いどころか帰るところがない奴らもいっぱいおる。軍隊は、そういう奴らの大きな受け皿の一つや」
大翔はうなずいた。過去には、大翔たちが育ってきた国も同じような状況だったと聞いている。
「しかし世の中の仕組みはどこでも変わらん……こっちを見下して、頭下げるのが当たり前やと思っとる連中もおる。そういう偉いさんに頼むより、あんたらをあてにした方がええと思っただけや。利用してすまんかったな」
「……そんなことしなくても、ツカサさんは力になってくれそうでしたけど」
大翔が言うと、サワラギは唾でも吐きそうな顔になった。
「あいつはそういう意味での阿呆にはなれん。俺が上にかけあえ言うたら渋ったやろ。小利口とはよく言うもんや、あれがまさに典型や」
大翔がぽかんとしていると、サワラギはさらに続けた。
「自分に火の粉が飛んでこない範囲ならいくらでも綺麗なことを言うが、いざ何か上に睨まれそうになると引っ込みよる。ああいう手合いとは、表面上のさらっとした付き合いにしとき」
なかなか辛辣な意見だ、と大翔は感じた。
「じゃあ、ラシャ中尉も嫌いなんですか」
「いや、あの小僧はなかなか強かそうやったな。思い切りもええし、あれは出世するで。今のうちに唾つけとき。全く、デイトはええな」
そう苦々しく言うサワラギの顔に、初めて感情らしいものがよぎった。
大翔は、最初に見た時と少し印象の違う彼に戸惑っていた。ひょうひょうとして決して本心は見せず、はぐらかすばかりの男だと思っていたのに、思わぬ展開だ。
「しっかし、まだ若いのになんであんなこと知っとったんや。うちの大人連中、面目丸つぶれやで」
「別に、俺は平凡な奴ですよ。……俺らのいた国では、すでに克服されてましたから。いろいろ、技術が進んでたんです」
「そんな国から、なんでデイトみたいな小さいとこに?」
「事故だったのかなあ……大きな海に投げ出されて、流れ着いたところがたまたまデイトだったんですよ。旅をするにもお金はないし、ひょんなことで軍に保護されて」
だから少し話してみようという気になったのかもしれない。もちろん、信じてもらえるとは思えない核心部分はぼかしたが。
「そりゃ大変やったな。運命のいたずらっちゅうのか、気まぐれっちゅうのか」
「五体満足だったんだから、文句は言いませんよ」
大翔が言うと、サワラギも苦笑いした。そして、ふと思い出したように話題を変える。
「……あんたに世話になったおかげで、上がすぐに手配してくれた。さっそく行くかいな? テルース様とやらのところへ」
「はい。それがミルカの悲願ですから」
闇の中に囚われ、老いさらばえた地母神。何とか、彼女と一緒にそこから逃げ延びねば。大翔は迷うことなく、そう答えた。
「うえええ……」
かっこよく決めた数日前の面影はどこにもなく、大翔は現在、船室でうめいていた。気分が悪かったのは夢のせいではなく、船が苦手なのが原因のようだ。座っているだけで三半規管が揺さぶられ、目の焦点があわない気がする。
しかも今回、
「テルースのいる場所の近くは中立港になっとって、今のところシレールの船も利用しとる。そこへヒノエの軍が近付くとなれば、奴らと早々に戦闘になるかもしれん。フロム神は先行して、露払いに当たってもらうことになった」
サワラギにさらりと言われてしまった時には呆れたが、最初からヒノエはそうしてフロムを使うつもりだったのだろう。予測していたので、怒りはさほど持続しなかった。
ラシャと話でもすればすっきりするかと思ったが、彼は部屋にいなかった。嫌な気分を追い払うために料理をしたい、台所に行きたいと思っても勝手がわからない。
ふらふらと探し回っているうちに、口元を曲げた己の顔が硝子窓にうつる。その悲惨な姿を見て、自然とため息が漏れた。
仕方無いから部屋に帰って寝よう、と大翔が歩を進めた時、船が揺れた。
「おっとと」
足がよろけ、壁にぶつかりそうになった。ひどい気分だ。あまり食べていないから、体重も減ったかもしれない。
「なんでまた船旅なんだよ……」
しゃがみこんだ大翔が低くうめく中、兵が横を通り過ぎていく。他の人間はさすがに慣れているのかケロッとしていて、鼻歌を歌っている者までいた。
もうここで寝てしまおうか、と大翔が思った瞬間、前から肩をつかまれて体を揺さぶられた。
「知らない顔だな。大丈夫か?」
大翔は顔を上げ、相手の姿を見た。
若い男。眉毛が太くて、顔の中央で今にもつながりそうだ。まとっている紺色の制服には、大翔が見慣れたセーラー服のような襟がついている。そして左袖に所属の紋と線。下は動きやすそうなパンツスタイル。そこここで見慣れた、水兵の冬服だ。
「ありがとうございます。俺、デイトから来たのであんまり船に強くなくて」
ここに来てから助けてもらってばかりだ、と言うと、ワタリと名乗った水兵は顔を歪めた。
「お前さあ、船に強くなくてなんで海軍に来たんだよ。本職は何なワケ?」
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