第62話 疑惑の軍宿舎
車止めに馬車が到着してから、しばらく舗装された道を歩く。適度に手入れされた気持ちの良い森を歩いていくと、目の前に兵舎が見えてくる。
木立の中に立っている兵舎は、チョコレートのような色をした煉瓦でできていた。洋風の建物で、デイトの光景に慣れている
大翔たちが正面玄関をくぐって中に入ると、騒がしかった兵たちの会話がぴたっと止まった。
「全員整列。今日は、紹介したい客人がいらっしゃっている」
兵たちはいずれもカーキ色の軍服を着ている。デイトも一般兵は同じような色だが、ヒノエの方が一段明るい色だった。
「デイトからいらした客人だ。
ツカサの言葉を聞いて、兵たちは眉を持ち上げた。
情報収集をしようかとこちらを見たり、話に聞き耳を立てる者。いずれにせよチェックされていることは疑いなく、ひそひそとささやく声が漏れ聞こえてきた。そばに寄ったら、いったいどんな声が聞こえるのだろうか。
「あれ」
しかし灯はそんな声に興味が無い様子で、周りを見ている。
「サワラギがいなくなってるけど?」
「本当だ、気がつかなかった」
知らぬ間にサワラギはどこかへ消えていた。現れるときも消えるときも、音一つたてない忍者のような男である。
「ちょうどよかった。すっきりしましたね」
まるでゴミ捨てが終わった時みたいな顔でツカサが言う。
「用事も済みましたし、少し中を見て回ってもいいですか?」
大翔が聞くと、ツカサは少し考え込むような顔をしてからうなずいた。
ホールを抜けて宿舎に回ってみると、こちらはしんと静かだった。廊下は木張り、壁は白で、大翔は自分が通っていた中学校を思い出す。豪華とは言えなかったが、窓から日が差し込み廊下は明るいし、隅々までよく掃除されて埃ひとつなかった。
「灯、勝手にあれこれ触るなよ」
大翔はさっそく灯に釘をさしたが、彼女はなぜか鼻をくんくんと動かしている。
「ん、何か匂いがするぞ」
「ちょっと目を離した隙に!」
悪い予感がした時にはもう遅かった。灯が考えなしに突進するので、大翔はあわてて後を追った。
「お二人はそこには……」
困った様子のツカサの声が小さく聞こえてくる。しかしその時には、灯は一番手近な部屋に足を踏み入れていた。
どんなに乱れた室内か、と思ったが、入ってみれば意外に普通の部屋だった。平の兵隊用の部屋のようで、壁も床もシンプルで装飾がない。
「あ、寝台がある」
灯が興味深そうに寝台を見つめた。シングルベッドサイズで、寝床の下が物入れ。落下防止の柵がないから、寝相の悪い人間は苦労しそうなつくりだ。
大翔はさらに部屋を観察する。その横には木の机と長椅子があり、部屋にいる五人が同時にかけられるようになっていた。ここで談笑したり、課題に取り組んだりするのだろうか。卓の横には食堂の献立が張ってあったりして、大翔は少し、自分が通っていた学校を思い出した。
その間にも灯はぐるっと寝台を回り込んで、くんくんと犬のように嗅ぎ回った。そして、小さな革袋を宝でも見つけた風情で持ち帰ってくる。
「中身は……うわ、カビ生えた柿みたいだな。後で食べようと思って忘れてたやつだと思うぞ」
ツカサはそれをもらって、困った様子で言った。
「どうやら入居者が残していったようですね。袋の中で腐敗しているようですので、このまま処分します」
灯が部屋に入っていったのは、この匂いをかぎつけたからだったらしい。食欲魔神の嗅覚、恐るべし。
「犬か、お前は」
「犬よりいい鼻してるだろ。それにしても、ここの住民は食べ物を粗末にして、けしからんな。帰ってきたら一言言ってやる」
「い、いえ。ここに住んでいた兵は、移動しまして」
「移動って、戦争の準備でですか? それとも退官で?」
大翔が聞くと、ツカサは一瞬肩をびくりとさせた。
「……それはお二人には、関わりのないことです」
妙にきっぱり言い切られて、大翔たちは目を見合わせた。親や教師が、自分たちに知られたくない事を隠す時の言い方にそっくりだったからである。この兵舎で、何が起こったのだろう。
「もう見学は十分でしょう。馬車を待たせていますので、宿までお送りします」
ツカサがやや強引に大翔たちを連れだそうとしたその時、突然、廊下をすっと一団が通り抜けた。
その中に、明らかに様子のおかしい兵が数人いるのが見えた。担架の上でだるそうに休んでおり、目には力がない。
「誰だ、あれ?」
「一般兵だろうけど、怪我か病気か何かか」
大翔と灯がいぶかしむのと同時に、ツカサも眉をひそめていた。
「第二班が行くのは昨日のはずでは……くそ、あの腹黒め。まさか知っていて呼んだわけではないだろうな」
やや不機嫌そうにツカサがつぶやく。一瞬、大翔たちの存在を忘れてしまったかのようだった。
「あの人たちが、もともとあの空き部屋にいたんですか? どうしたんです?」
とっさのことで言い訳も思いつかなかったのか、しばらく黙ってから大翔の問いにツカサが答えた。
「できるだけ離れてください。あれは伝染病にかかってしまった兵なのですよ。大事なお二人になにかあっては大変ですので、あまり近寄らない方がよろしいかと」
場に緊張が走った。大翔はやや困惑しつつ、重ねて聞く。
「伝染病って、こんな清潔なところで?」
「はい。最初の報が聞かれて以来、私どもも熱心に隔離・清掃に励んでいるのですが……倒れる兵は次々に出ています」
沈痛な表情でツカサが言う。
「調べてみるとどうやら病気らしいということはハッキリしたのですが、伝染条件も未確定であちこちから無秩序に出てくる。もう、こうなるとわけがわかりません」
正確な情報を求めて偉い医者や研究者をあたっても、責任が取れない、専門分野ではないと逃げられるばかり。結果、奇病の感染者は増えるばかりで皆が頭を抱えているという。
「申し訳ありません。発症者がいないか確認した上でお連れしたのですが、こちらに手違いがあったようです」
ツカサは深々と頭を下げるが、大翔はもうそんなことはどうでもよくなっていた。頭の中にある考えが浮かんでいて、それを確かめたくてたまらなかったのだ。
内心の思いに従って大翔がずかずか出て行くと、後から灯がついてきた。
「お前、説明聞いてたか!? どうしたんだ」
「あれは伝染病じゃないかもしれない。まだ間に合うなら、ひとつ試してみたいことがある」
そう言って進む大翔の前に、険しい顔をしたツカサが立ちふさがった。
「……失礼ですが、あなたは医者ではないでしょう? おふざけでそんなことを言ってもらっては困ります」
大翔はにらまれてもひるまなかった。
「単純なことをひとつ、やってみたいだけです。間違っていても、大きな障害や事故を起こすことにはなりませんから」
「兵になんともなくても、あなたが感染したら国際関係に関わる一大事ということをお忘れですか。立場をわきまえていただきたい」
「でも、救える可能性があるのに! それに、伝染病じゃないかもしれないって言ってるじゃないですか!」
互いに一歩も譲らず、場の空気が白熱してくる。灯とラシャは、どこで止めに入ろうか逡巡している様子だった。そんな中、不意に呑気な声が聞こえてきた。
「どないしたんや」
サワラギだった。ずっと黙って気配を殺していたらしく、誰もが全然気付かなかった。大事なところで横やりを入れられたツカサは、怒りを露わにする。
「そこになおれ。相変わらず盗み聞きか、サワラギ」
叫びに近い声をあげるツカサを見て、サワラギはケヒヒと妖怪のように笑った。
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