第60話 自爆と自縄
ツァリが息をのんだ次の瞬間、サールカの足が動く。昔の動きを思い出したツァリはとっさに後ずさりして、水で逃れた。
「全員伏せろ!!」
手近な兵士はツァリの言う通り、甲板にへばりついた。しかし中には立ったまま硬直してしまい、駆け寄ってきたガリクに突き飛ばされた者もいる。
その鼻先を、銀色の弾丸と化したサールカが突進していった。誰にもその詳細な動きをとらえられないままで、気付いた時にはサールカが鋼鉄でできた船の外周に突き刺さっていた。
『なんだ、あれ……』
「サールカの自爆攻撃のようなものだよ。下半身のバネで目標に向かって突進する」
ユトの疑問に答え終わる頃には、船体に突き刺さった化け物はがくりと体を折って動かなくなっていた。直撃を免れた兵たちが、鋼鉄を食い破っている怪物の姿を怖々と眺めている。
しかし、そのような幸運な者ばかりではなかった。
目を見張り、最後まで何が起こったか理解していない顔のままの兵士。突進の際、左肩とその下にある臓器を食い破られたのだ。
彼の体からは大量に血液が噴き出している。助けようとしても虚しい試みに終わることはすぐに分かった。
「ガリク?」
ツァリは指揮官の名前を呼ぶ。しかし彼は部下を突き飛ばすと同時に機銃の根元に正面から衝突してしまったらしく、完全に気絶していた。
「まずい……」
サールカがこの自爆状態になったら、ひたすら周囲の動く物を殺すことに専念するようになる。人魚の推進力で鋭いナイフがやってくるのと同じだ。この装置にブレーキはなく、狙いを定めたら本能的にただひたすらつっこんでくるのみ。直撃はもちろん、触るだけでも致命傷になる可能性がある。
「ひいい、来るな!! 化け物め!!」
攻撃は続く。次々にサールカたちが甲板に乗っかってきた。倒れた指揮官も意識がなく、切羽詰まった船上に恐怖が伝染しつつある。迎撃に出た兵が、後ずさりを始めた。逆に、サールカたちは興奮し始めた。放っておいたら、多数の兵士が殺される。
しかし船を壊すわけにはいかないため、そこはさじ加減が要求されるところだ。ツァリは威力を微調整しながら、水を放ってサールカを兵たちから遠ざける。
「おっと!」
水流の直撃を受けた一体が、もんどりうってツァリの近くに倒れた。そのサールカは不機嫌極まりないようで、返事のかわりに金属音に似た不快な鳴き声をあげる。口がないので、刀身を震わせるようにして奇声をあげているのだ。
この声は人間の精神に悪影響を与えると言われているが、ツァリは神なのでどうということもない。
効果がないことを見て取って、今度は人魚の尾の部分が動いた。サールカは尾の部分、厳重にすぼまった中に口があるのだ。中にあるはれぼったい粘膜がのぞき見えて、ツァリは思わず身震いする。胸の中のユトも悲鳴をあげた。
サールカがその怯えを気取ったように襲いかかってきた。口が元の何倍もの幅に開き、ツァリを丸呑みにしようと突進してくる。
「そんなに食べたきゃ、これでもくらえ!!」
吐き気がしそうなのをこらえ、ツァリは化け物の口に向かって水の塊を押しつけた。無防備に開かれていた口は内部に大量の水を抱え込むことになり、もがいてもその重さに絶えきれず後ろに吹き飛ぶ。ツァリは転がり落ちる怪物のさらなる追撃に備えて、周囲にぐるりと水塊を浮かべた。
幸い、攻撃はきれいに決まった。怪物の口内をしっかり埋め尽くした水は勢いのままに体を破壊し、飛沫となって散らす。懸念していた周囲への影響も、最小限に抑えられていた。
「よし、次!」
視界の端を、黒い影が横切る。ためらっていたらやられるだけだと判断したツァリは、手加減無く水塊を散弾のように撃ち込む。文字通りの一斉攻撃だ。
水流にサールカたちが飲みこまれる。抵抗しようと体を震わせるが、ツァリの目の前で塊となって、水に押しつぶされていった。
それは悲鳴だったのだろうか、一際耳障りな声をあげた後に、サールカの下半身が破れ、ばらばらになった。むき出しになった歯が水を噛むが、それも間もなく押し流されていく。
ツァリの水流は止まらず、サールカたちを振り回し、海面に叩きつけた。サールカたちが落ちた飛沫で、一瞬ツァリの目の前が白くなる。ツァリは視界を切り捨てて、他の感覚を研ぎ澄ました。
しばらくたっても、鳴き声も泳ぐ音も聞こえない。今度は間違いなく死んだはずだ。ツァリはその思いを胸に、周囲を見渡す。
船の上は惨憺たるありさまだ。そこらじゅうに血とサールカの残骸がこびりつき、外装にはひびが入ったり穴が開いたりしている。さっきの水の直撃を受けた機銃の一つは、原型をとどめていなかった。
それでも騒がしかった甲板から音が消え、落ち着いた空気が流れ始めた。
まだ油断はできないが、少し気は楽になった。差しのばしていた腕をようやく下ろし、ユトの体が汗をかいていたのでそれをぬぐう。
壁にもたれかかって呼吸を整えていると、ようやく足音が聞こえてきてツァリは振り返った。今まで身を隠していた兵たちが、ツァリを認めて駆け寄ってきていた。
「怪我の手当を」
「ありがとう。でも、そんな大げさにするほどのことじゃないよ。意識のない人たちを起こしてあげて。逆に様子がおかしい人は、鈴の音を聞かせると正気に戻るよ」
そこここに気絶している同胞がいたため、兵士たちは素直にツァリの言うことを聞いた。助け起こされた者たちの中にガリクもいて、彼は一人鼻血をぬぐいながら歯ぎしりしている。
「もう少し休んでた方がいいんじゃない? 無理に立ってると頭に響くよ」
動き出そうとする彼をツァリは引き止める。
「自分が情けないだけにございます。今の今まで気絶していたとは……申し訳ない」
「まあまあ、そう怒らないで。立派な姿だった。とっさに部下の方を突き飛ばして助けるなんて、なかなかできないよ」
ガリクはそれを聞いて苦笑した。
「ツァリ神の奮闘に比べれば何ほどのものか。まったく、こんな無様な姿になったとエミンが知ったら、笑うでしょうな。昔から直情型で、机につかせると大した仕事はできんのですよ」
階級が高いガリクがしきりに前線に出ているのでおかしいな、と思っていたツァリは、それを聞いて納得した。
「……僕は何も見なかったよ」
その上で、ツァリはわざととぼけてみせた。それで、ガリクがようやく笑う。
「それならばありがたい」
「話はここまでにして、サールカの対処方を考えないとね。大砲は当たらないし、機銃で威嚇しても効果は薄そうだし」
不安は消えない。撃退は無理にしても牽制くらいはできるようにしておかないと、後が危険だ。
「最初は夢かと思いましたが、現実なのですな。まったく、ふざけた人魚どもだ」
「新しい戦力を手に入れたのは、こっちだけじゃないってことだね。フロムたちが無事だといいけど……」
ツァリは空を見上げてつぶやいた。このことを知らせようにも、フロムとの距離はすでに遥か遠く、届かない。せめてミルカがフロムの無茶を止めてくれればいいんだけど、とツァリはため息をついた。
最初は、ただ闇だった。行かない方がいい、と
息が詰まるような腐臭のする霧が、場に満ちていた。
霧の中に薄く、女性のシルエットが見えている。彼女はしゃがみこんで頭を下げていて、表情はよく見えない。
だが、相手の感情だけは手に取るように伝わってきた。恐怖と悲しみ。細かく震える肩が、その証明だ。
大翔はさらに女性に近付いていく。背中側から近付く格好になるので、相変わらず顔は見えない。しかし、さっきより格段に情報量は増えた。
大翔の目の前にあるのは、痩せて頼りない背中だった。大地の神というのは、どっしりとして落ち着いているものというイメージが裏切られ、大翔は困惑する。
すすり泣いている声が、さらに強く聞こえるようになった。それにつられて、ミルカまで声をあげて泣き出した。
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