第59話 水神の初陣

「派手に……」

「知っての通り、シレールは演習の名目で港から船を出しておる」


 ツァリはうなずいた。シレールの西側はデイトも接する内海に面しており、この海は東と違って凍ることはないので、かの国はしょっちゅう船をよこしてきていた。戦争にはなっていないものの、漁師がさらわれたとか装備が壊されたとか、よくない話はユトも聞いている。


「最近はフロム様の復活でなりを潜めていたと聞くが、先日偵察艦が知らせてきてな。身を隠されてしまったようだが、帰ってはいないはずだ」

「なんでまたこんな時に」

『シレール側もデイトに密偵の類いを送り込んでるはずだよ。どこに行ったかまでは把握できなくても、フロムの依代がいつもの町からいなくなったことくらいはつかんでるだろうね』

「それですぐ様子見か。素早いな」


 ユトはむっつりした顔をして言った。


 デイトにとってはまずい展開だ。大型艦隊を送り込まれてフロムが出てこなければ、不在を証明したようなものだからだ。だからこそ、ツァリの出現を強く相手に印象づけて、攻める手を緩めさせておかなかればならない。ガリクのことはちょっとムカつくが、言っていることは正しい。


「で、このまま進んで大丈夫なの? 艦隊が出そうなところにアタリつけてるんだろうけど、向こうも警戒してるのにそう簡単に見つかる?」


 ユトが矢継ぎ早に問うと、ガリクは笑った。


「奴らはこちらより大所帯。沖から姿を隠しつつ、安全にたどれる経路は知れとる。あまり海の男をナメるなよ」


 その言葉を一旦信じ、くすんだ空に目をやりながらしばし待っていると──水平線上に黒い影が現れた。それは、こちらに向かって進んでくる。


「おいでになったぞ! 総員、戦闘準備!」


 ガリクの号令がかかった。準備は進むが、その間にもどんどん艦隊が近付いてくる。次第にはっきりしてくる船影を見ながら、ユトはツァリに話しかけた。


『あと、頼む』

『任せて』


 一瞬の後、黒曜石の輝きを持つ瞳が進んでくる艦隊を見つめていた。船の多さに驚くこともなく、ただまっすぐに見つめるその瞳の下で、形の良い口が動く。


「……迷惑な連中だよ、全く」


 敵の艦隊が速度をあげ、味方隊列の真正面、横向けに陣取った。砲が全て、こちらを向いている。砲身がまさにツァリの方へ迫ろうとしたその時──突如海面に巨大な渦が出現した。


「なんだこれは!? さっきまで計器にはなんの異常もなかったぞ!?」


 人の耳ではとらえようもないが、ツァリには揺さぶられて悲鳴をあげるシレール兵の声が聞こえる。それでも前進の指示が撤回されないのを見てとると、ツァリは指を軽く持ち上げた。


 合図を受けて、水が天へ昇った。その水流に巻き込まれた巨大な艦の一隻が宙を踊る。水滴をまき散らし、周囲の僚艦も混乱に陥れたその後に、艦は水の支えを失った。


「ええええええ!?」


 兵が目を瞠るのをよそに、ツァリはすかさず動く。普通ならありえないすさまじい落下の衝撃が味方艦に及ばぬよう、障壁で守る。全ては一瞬のうちに行われ、終わった時には戦艦が海面に打ち付けられていた。


 船の落下が引き起こした余波がおさまったのを見て、ツァリは手を下げた。再度前に目をやると、立派だった大艦隊は見る影もない。いくつも壊れた船が見え、その残骸にしがみつきながら乗組員が波間に漂っている。


 運良く渦に巻き込まれず、残った船は仲間の救助も忘れた様子で逃げ出した。


「とっとと家に帰りやがれ、腰抜けが!」


 ツァリの周囲から歓声があがる。大騒ぎに耳をふさぎつつ、ツァリはため息をついた。


「あの一般兵たちはどうするの?」


 問われたガリクは、任せておけと言いたげに胸をたたいた。


「おい、あいつらほっといたら死ぬから救助に回れ。捕虜にして、後で色々聞き出そう」

「沿岸の町に応援頼んどきましょうか。手のかかる連中だ」


 どうやら見捨てるつもりではないと分かって、ツァリはほっとする。相手が無茶をするからといって、こちらも非道になっていいとは思っていなかった。


 しかし、その安堵は数秒後に虚しく砕け散ることになる。


「……なんだ?」


 決められた救助活動の手順をこなす兵たちの横で、ツァリは顔を歪めてつぶやいた。水の動きを敏感に察するツァリの体は、動きが妙な箇所があることを感じ取った。これは無機物ではなく、明らかに生物の起こすそれだ。


「何か変だ。何か来る」

「艦隊接近の報告はありませんが?」


 首を振って、ツァリは水を使い空中へ上がった。そして、海面を見た瞬間ぞっとする。


 急に、波間を漂っていた兵士たちが消えた。周辺に目をやっても見つからない。少なくとも数十人は視界に入っていたのに、彼らはどこへ行ってしまったのか。


「ん?」


 ツァリは奇妙なものを見つけた。海面が盛り上がって、その下に何か動く気配があった。魚のようで、人のようでもある不思議な、ほっそりした何かが。


「人間にしては動きが勝手すぎる。まさか、こいつら……!」


 ツァリが影を見分けた瞬間、風切り音が聞こえる。そしていきなり、ツァリの左腕に痛みが走った。倒れはしないが、膝まで衝撃が走る。依代の血が肌の上を流れる生暖かくて嫌な感触に、一瞬顔をしかめた。


『大丈夫か、ツァリ!?』


 中のユトが叫ぶ。問題ない、と言い返しながら、ツァリは近付いてきた何かが、水中へ飛び込む音を聞いた。


 痛みの割に傷は浅い。血の流れも徐々に弱くなってきた。うめく声をぐっとこらえて、ツァリは視線を下へやった。


 波間の間に、蒼白な顔の死体がいくつも浮かんできている。その下の水の中を、さっと黒い影が通るのが見えた。


「あいつらの仕業だな……」


 そちらに目をやるが、その時にはすでに対象は移動している。恐ろしく泳ぐ速度が速い。しかも、動き回っているのは一体だけでないことにツァリは気付いた。


『動物神か? いや、あれって確か物語の中で見た──人魚?』

「人魚も色々いるからね。どの種族かが問題なんだけど!」


 ユトに返事しながら、ツァリは考えた。


 空中に飛び上がって避けてもいいが、甲板の兵士たちを見捨ててもいけない。ツァリは結局、水をまとったまま甲板で待ち構える姿勢をとった。


「海中に人魚がいる。攻撃してくるから、甲板の縁には寄らないで!」


 ツァリが叫ぶと、ガリクたちが後ろに下がった。


「人魚、ですと? そんなものが本当に?」

「デイトの神憑きのように、シレールでは動物神や怪物の類いが復活してきてるみたいだね。神憑きより制御は難しいだろうけど、単純な攻撃力なら上だし、まず数が多いから」

「そんなものに手を出しおったか……」

「使える物はなんでも使うってことかな。だんだんシレールも、なりふり構わなくなってきたね」


 ツァリは言いながら、また海中で何かが動くのを感じ取っていた。


「気をつけて。また来るよ」


 甲板めがけて、人魚が突進してきた。ツァリは注意を払い、突進してきた個体をぎりぎりでかわす。体に水しぶきがかかったが、傷は負っていない。


 即座に、後ろに目をやった。出てきた何者かは、すぐそばにいる。


 甲板でばたつく人魚の姿を見て、すぐにツァリは叫んだ。


「これは、サールカ!!」


 ツァリの記憶の中に残っていた、海を埋め尽くす不気味な存在。人魚の一種であるサールカが特に恐れられたのには、理由があった。


 サールカは甲板で体液の飛沫を飛ばし、ばたなたと不格好に動き回っていたが、不意に起き上がった。


 気の弱い人間が見たら腰を抜かしそうな造形の生物と、ツァリはにらみ合う。上半身はまるでスプーンの尻の所のように、つるりと丸く銀色に光って作り物めいている。目も無ければ鼻も無く、口も無い。下半身だけは人魚めいて魚の下半身だが、その先に尾ひれはなく奇妙にすぼまっていた。


 サールカが頭を持ち上げた瞬間、ツァリは飛び退いた。丸かったサールカの頭部が静かに伸びて尖り、サーベルのような鋭い刀剣と化していたからだ。


「来る!」

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