第57話 再びの密談
始まって一時間ほどたってもまだ皆がおかわりを欲しがるので、どんどん次を作っていく。途中材料が足りなくなって、一部メニューを変更するというハプニングもあった。
それでも、ずっと一人で両親の顔色をうかがってきた少年が、楽しそうに食事をしていると聞かされると、厨房の雰囲気は明るくなった。まだ完全に嫌な事件の傷が癒えたわけではないだろうが、今までとは違う表情になっているユトに向けて、色々な料理が提供される。
「忙しいな……」
『でも、嬉しいなあ』
子供のような声をしていると思ったら、知らぬ間にミルカの金色の光が、
皆が心ゆくまで料理を堪能した後、大翔は舐められたようにきれいな皿を回収してまわった。老人二人は眠そうに目をこすり、椅子の背もたれに体を預けている。
「あーあ、これ部屋に運ぶまで仕事終わらないんじゃね?」
「さすがに士官クラスの方の私室にお邪魔するわけにはいきませんよ。応援を呼びましょう」
士官たちが先に退出し、灯とユトはとりあえず大翔の部屋に運ばれた。疲れているニコルとイラクに、色々回ってもらうのも気の毒だと思ったからである。
しかしこの気遣いが裏目に出て、大翔は翌朝、二人の派手な喧嘩で起こされるハメになってしまった。
「邪魔だ、チビ。この最後のクッキーは、私に所有権がある」
「んなもん誰が決めたんだよ、強欲女。こういうのは年下に譲るもんだろ」
「……どっちが食っても別にいいから、自分の部屋でやれ」
あの歓迎会の日以来、なぜかちゃんと寝る場所があるはずの二人が自室でにらみ合うので、大翔は心底辟易していた。
「もらい!」
「あっ、卑怯だぞこの暴力女!」
ユトが大翔の声にわずかに気を取られた瞬間、灯が皿の上のクッキーをかすめ取った。誇らしげにそれを頬張る灯を見て、大翔はため息をつく。
「毎回毎回、なんか作ってやるたびに喧嘩するのやめろよなあ。そのうち、俺の手がなにもしたくないって言い出すかもしれんぞ」
最後通牒を出すと、食いしん坊二人はにわかに視線を合わせた。十数分の協議の後、今後は最後の一つは等分する、ただし次回だけは埋め合わせとしてユトがもらうという結論に達した。本気になったらさっさと妥協できる二人を見て、大翔は鼻を鳴らす。
その音に重なって、部屋の扉をノックする音が聞こえてきた。遅れて、ラシャの声がする。
「入っていいかな?」
「灯とユトがいますけど、それでもいい話なら」
大翔が答えると、ラシャが室内に入ってきた。心なしか、彼はぐったりしているように見える。
「お疲れですね。お茶でもどうですか?」
「いや、いい。怒らないで聞いてくれ。明日、もう一度サワラギと会うことになった。君たちにも、同行要請が出ている」
「ええ!?」
「あの話は難しいってことになったはずじゃ……」
「俺が協力するから、二人はヒノエに行かせてやれって言ったんだよ」
あわてる大翔たちに、ユトの方から話しかけてきた。
「なんでそんなこと知ってるんだよ!?」
「ツァリがフロムから全部聞いたって。この神、基本隠し事嫌いなんだよな」
「でも、ユトはまだ子供で……」
「忘れたわけじゃないだろ。俺、この年にして犯罪者なんだぞ。純粋な庇護対象と思ってもらえるわけないじゃんか」
ユトはため息をついた。
「兄ちゃんやそこのラシャ、ガリクっていうのは守ってくれるかもしれないけどさ。軍隊なんて何人も人が集まった組織だろ。決定権を持ってるやつがどう出るかなんてわかんないから、監視官や大量の軍人がついてきたり、牢に幽閉される前に先手を打ったんだよ。取引は結局、相手に得をさせてやるのが成立のコツだからさ」
ユトのいうことは、ひどく大人びていた。村人や親の間で微妙なバランスをとってきた過去がそうさせるのだろうか。
「お前みたいな子供が、本当にそんな提案を? 誰かに言わされてるんじゃないか」
「嘘ついてどうすんだよ。疑うならガリクっておっさんに直接聞いてみな」
灯が挑発しても、ユトは慌てた様子がない。灯も本当だと判断したようで、「命知らずな奴」と吐き捨てた。
「……まあ、それだけってわけでもないけど」
ユトが少し照れくさそうに頭をかいた。
「一日だけ、ミトとセトと一緒に過ごしたじゃん」
「ああ、そうだったな」
「その時二人が話してくれた。両親は大丈夫だとしか言わないけど、やっぱり家から離れて、知らない人ばかりのところは怖かったって。ああそうだなあ、と思って……それは神様も一緒なんじゃないかって、気付いた」
大翔の中にいるミルカが、息をのむ音が聞こえてきた。
「行ってやってよ。遠く離れた島国に長いこと一人きりなんて、かわいそうじゃんか。こっちは俺がなんとかするから」
大翔はユトの目をまじまじと見た。それからかがみこんで、視線を合わせる。
「なんだよ。無理だと思ってんのか」
「……ユトは俺より強いよ。できるとは思う。でも、絶対に無茶はしないでほしい。約束してくれるか?」
ユトはしばらく黙っていたが、やがてうなずく。
「分かった。約束する」
「じゃ、指切りだ」
「ユビキリ?」
「ああそっか、こっちにはないのか……俺たちの住んでた地域では、約束するときこうやるんだ」
大翔は自分からユトの小指に指をからめ、「指切りげんまん」をひとしきり歌ってきかせた。
「変わった歌だなあ。針を千本も飲んだら死ぬだろ」
「それくらい真面目に守りますってことだよ。お互い、生きてまた会おう」
大翔が言うと、ユトは自分の手を握りながらうなずいた。
一行の気分を象徴するようなどんよりと厚い雲がたれこめる中、前回と同じ場所でサワラギとの二度目の会談は開始された。サワラギは前回とはうってかわって上機嫌な様子である。
「有意義な結果になったようで、こっちもひと安心や。保留のまま本国と連絡し続けるのは、正直しんどかったからな」
「……前回から返事するまで、けっこう間があきましたよね。その間どこにいたんですか?」
「学生のふりして下宿におった。私生活を偽装するのなんか、スパイの基本や」
「その年で学生とは図々しい」
士官が声を尖らせるのを聞いて、サワラギは笑った。
「やな。俺もそう思うわ」
「……前置きはここまででよろしいでしょう。前回の会談からここまでで、ヒノエとシレールの関係に変化はあったのですか?」
埒があかないと判断したのか、情報部の士官の一人が口火を切った。サワラギは薄く笑う。
「正直に言うと、ますます悪化した。ヒノエが実質支配していた緩衝地帯の湾岸を、シレールが実力で取りおったからな。外交的な交渉も決裂、政府は非公式にシレールとの国交断絶を決定した。作戦の時期が早くなることはあっても、中止はありえんと言ってええと思う」
「なるほどな。で、実際どのくらいの戦力が揃った」
「総兵力はおよそ百万。歩兵百五十大隊、砲七百門」
「海軍は」
「戦艦六隻、巡洋艦七隻。あとは小型艦や補助艦ってとこやな」
「そうか……」
それを聞いて、明らかに士官たちの食いつきが悪くなった。灯がいぶかしげに眉を寄せるのを見て、サワラギが口を開く。
「シレールの陸軍総兵力は少なく見積もってもこの倍。歩兵は十倍、砲は二百倍、騎兵に至っては五百倍以上の差があると計算しとる奴もおる。……おおむね、それで正しいやろな」
サワラギはそう言って軽く肩を落とした。その横で、大翔と灯は驚きで開いた口がふさがらない。
「なんで喧嘩を売ろうと思ったんですか!?」
「共にやろうと言われても断る!」
「いやー、興味を持ってもらえて嬉しいわあ」
問いかけに対して、サワラギはしれっと鼻の先を掻いてみせた。
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