第56話 必死の大宴会
「続報が入ったら連絡するよ。じゃ、これで」
ラシャたちが去った後、
「ああ、この間はどうも」
背後から声が聞こえて、大翔は振り返った。ユトが廊下の隅に立って、まっすぐこちらを見ている。
「体調は? 慣れないベッドで疲れたんじゃないか」
先に灯が口を開いた。ユトは照れくさそうに頭をかく。
「まあそれなりに。うちより大分豪華でびっくりはしたけど、久しぶりに三人並んで寝られたよ。ありがと」
すでに弟妹との別れも済ませ、また一人になったというのに、ユトは顔に出していない。声も気楽そうで、事情を知らない人が見たらあんなことがあったとは思わないだろう。強い奴だな、と大翔は感心した。
ユトがさらに近付いてきた。少し長かった髪を切ってさっぱりしている。本当に整った顔立ちなのだとより見えるようになり、灯と並ぶとこの上なく目立つ。
彼の服も様変わりしていた。この地方の子供の民族衣装で、丈が長めの上衣に下はパンツスタイル。肩から小さな鞄をかけていた。だぶだぶのローブをまとっているより、ずいぶん子供らしく見えるようになった。
「まあ、俺がツァリの神憑きだって、隠したって意味なくなったしな。いっつもローブばっかりだったけど、こっちの服の方が動きやすくていいや」
「今日は夕食が豪華なのは聞いてるよな? 一緒に食べよう」
大翔が誘うと、少年はおとなしくついてきた。一旦くだけた言い方をしたから、流れでそのままの口調だ。そう仲良くもない相手だが、ユトが異論を唱えなかったのでこの路線でいくことにする。
「兄ちゃん、夕飯って何をおごってくれんの?」
聞いてきたユトに大翔は微笑みかける。
「それは見てからのお楽しみ。軍の宿舎じゃなかなか食べられない、体に悪いものも作ったから……いっぱい食べろよ」
「うん」
「……灯に向けて言ったんじゃないからな」
幼なじみにつっこみを入れながら食堂に入ると、すでに卓について待ち構えている者が何人かいた。顔を知らない人間は、普段食堂を利用しない士官クラスだろう。金のモール刺繍が施された紺色の軍服に、重そうな勲章がいくつもついている。
「おう、飯はまだか?」
「心配しなくても、全部食ってやるぞ」
士官クラスの中でも別格の威圧感を放つ二人が、立ち上がり大翔に向かって手をあげた。嫌な予感がしたが無視するわけにもいかず、大翔は二人に近付いていく。
「よう、若造。俺が灯の指導教官のエミンだ。よろしくな」
エミン大佐は雲つくような、という表現がぴったりの大男だった。髭こそ生やしていないものの、くせの強い髪はもじゃもじゃとブロッコリーのように丸く茂り、身長をよりいっそう高くみせている。二メートルを越すのではという彼の体躯に、大翔はひたすら圧倒されていた。
「は、はあ。
握手をしただけで手がちぎれそうになりながら、大翔は頭を下げた。
「お、お前だな? ガリクがちょっかいかけてる若造ってのは。安心しな、料理の上手い奴をそうそう渡しはせんよ。陸軍の名にかけてな」
エミンが肩を揺すって笑う。逆に大翔は生きた心地がしなかった。
「それほどでも……」
「ふん、陸軍ごときがなんぼのもんだ」
大翔が言いよどんでいると、案の定ガリクが参戦してきた。
「暑苦しい顔を寄せるな、老人が。お前は広い外洋で魚の群れでも追いかけ回してればいいんだ」
「なんだと、同期のくせに生意気な。お前こそ猪でも狩ってろ。そっくりだから、向こうから寄ってくるだろうな」
「お前にそっくりな海獣よりはましだろうよ!!」
仲がいいのか悪いのか、言っていることがもはや大翔と関係なくなってめちゃくちゃになっても二人はまだ唾を飛ばし舌戦を続けていた。大騒ぎの現場をそっと離れ、大翔は台所に赴く。
「遅くなりました、厨房入ります」
「ありがたい。君のお祝いもあるのに悪いね」
額に汗を浮かべていた料理長が振り返った。
「作るの好きなんで、気にしないでください」
「大翔くん。追加できてるので、とりあえず食堂に持っていってください」
「くそー、引退したジジイって言うから楽できると思ったのによ! 馬か牛並みに食うじゃねえか!」
ニコルやイラク始め、大翔の知合いたちが総出で手伝ってくれたが、それでも厨房に余裕の欠片もない。これは早々にあの軍人たちを満腹にしないと明日の仕事に差し支えるな、と大翔は腕をまくった。
たっぷりのシチュー、タレの煮込み、そして異世界の唐揚げ風味と、様々な肉料理。そして炭水化物としては焼きたてのパンに麺類。デザートはチョコレート中心にいくつか用意した。野菜は申し訳程度、無礼講の時ならではの栄養バランスだ。
大翔がカートにたくさんの料理をのせて戻ってくると、ジジイ二人の喧嘩もぴたっと止まった。大翔は大皿を次々に卓へ移し替える。今日はコースではなく、元いた世界でいうバイキング形式での提供だ。
「……すげ」
食卓についたユトが初めて表情を変えた。大盛りになっている量に驚いたのかもしれないし、料理の種類に驚いたのかもしれない。どちらにしても、大翔にしてみたら嬉しい反応だった。
「ほれ、眺めてるとすぐなくなるぞ。士官の人たちに負けるな」
誰よりも元気にバリバリ食べていたのがガリクとエミンで、大翔は苦笑した。ちなみに二人の大好物は、バターをたっぷり使った鶏肉のクリーム煮込みとトマトソースパスタ。それにがぶがぶビールのような酒を飲むのだから、まったく胃が若い。
「美味いな! 前評判通りの腕だ。あ、ビールおかわり」
「……お気に召して何よりです」
補充しても補充しても料理が減っていくので、大翔は挨拶もそこそこに厨房に戻らなくてはならなかった。茹でたパスタに今度はオイルとニンニクを絡めて戻ってくると、二人の老軍人の間に黒い頭が増えている。
「灯、いつの間に!?」
驚く大翔をよそに、灯は手だけで「パスタの皿をよこせ」という意思表示をしてみせた。卓に皿を置くと、老人たちの手の間をかいくぐるようにして、器用に自分の皿に麺を移し取っていく。
「意地汚いなあ。こういうのは順番だろ」
身を乗り出してパスタを引き寄せる灯を見て、少年がため息をついた。
「うひゅさい、ひゃまひゅるな(うるさい、邪魔するな)」
口の中をいっぱいにし、それでも食べるのを止めもしない灯。彼女を見たユトは膝の上にナプキンを広げ、ちょっとがっかりしたように肩を落とす。
「兄ちゃんさあ、このズボラで意地悪な女のどこがいいわけ?」
「いや、ちゃんといいとこもあるんだって……食い意地は張ってるけど」
すぐに適当な言葉を言えなかった大翔は、間をおいて口の中でもごもごつぶやいた。
「ほら、牛肉のシチュー食べないか? 美味いぞ」
あからさまに話をそらした大翔をちょっとにらみつつ、ユトは目の前にあったパンをつかんだ。それでシチューのソースをぬぐって、口に放り込む。
「……すごいな。本当に美味しい」
「そうだろ? 野菜も肉も味が染みてるから、たくさん食べてくれ」
「なんでも食べないと背が伸びないぞ、チビ助」
灯が横から割り込んできた。さっき「ズボラ」と「意地悪」と言われたのを根に持っている様子である。
「誰がチビだ!?」
「目の前にいる奴以外に誰がいる」
「お前だって小さいじゃないか!!」
ユトの都合の悪い意見は聞き流して、灯はまた食べ始めた。あまりに大人げない。
「俺は早く背を伸ばして、追い抜いてやるからな。こんな勝手な奴に負けるか」
頭から湯気を噴きそうなユトは、あっという間にシチューを平らげてチキンに手を伸ばし始めた。
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