第55話 赤き女神の脅し
「の……呪ってやる。ツァリの力などなくても、お前らなんか我が神がひとひねりに──」
顔をあげてまだぶつぶつ言う父親に、
「知ったことか。できるもんならやってみろ」
ユトの父親の方に向かった灯の周囲が、赤く燃え上がった。髪を、瞳を染めるのは真紅の炎。それに触れたらどうなるか、赤子でも瞬時に悟るであろう地獄の業火の申し子。軍神フロムが顕現し、薄暗い室内を照らしていた。
「あ……ああ……」
父親がぽかりと口を開けた。母親も歪んだ鼻を押さえ、怒りも忘れて顔色を真っ白にしている。その姿を見て、フロムは心底楽しそうにしていた。
「ひとひねりに出来ると信じる根拠はなんだ? そのカスのように弱い術返しの像か? だとしたら、めでたいと言うより他はないな」
「こ、これはユトの攻撃を弾いたんだ。この力を攻撃に転じればきっと──」
必死に食い下がる父親を見て、フロムの眉間に皺が刻まれた。
「頭の悪い貴様に真実を説明してやろう。この像にこめられた術とやらは非常に弱い。先のシレールが使ってきたものに比べればカスのようなものだ。おそらく、大したことのない術士が作ったのであろうな」
「そ、それは現に、ユトの水の力を弾いたじゃないか!?」
「結論は単純なことだ。妾には理解できんが、ユトとやらは貴様との戦いを辛いと感じておった。親だからという理由でな。だから攻撃も無意識に手加減したものになる。全く、くだらん。それに付き合うツァリもツァリだ」
苛立ったフロムはさらに続ける。
「そういうわけだから、貴様は本当に手強い状態の神の相手などしておらん。お前の戦術は、始まる前から大間違いの連続だ」
フロムは言うと、一気に炎の出力を上げた。
「喜べ。妾は本日、暇をしておる。どうしても信念にのっとり戦うと言うのなら、貴様の程度の低い術、妾に通じるかどうか……その身で試してみるが良い」
父親の目に驚愕が浮かび、やがて己が追い詰められた鼠でしかないことを悟った。勝負どころか喧嘩にすらならない相手が目の前にいて、自分はその怒りを買っている。その事実が、ユトの両親の額にじわりと汗をにじませた。
「……申し訳……ありませんでした」
「私たちは、辛い思いを分かってほしかっただけなんです」
ようやく、ここで両親は敗北を認めた。言葉遣いはがらりと丁寧になり、まるで被害者のような顔をして涙にくれているが、もちろん誰も同情などしなかった。
「いきなり殊勝な顔しやがって」
「こいつらにとって、礼儀正しい態度というのは、強い対象に嫌われないため、安全に生きていくための皮でしかないということじゃ。本人たちが気づいているかは知らんがな」
フロムが口元を歪めて言う。
自分がしたいから、正しいと思っているからそうするのではなく、ただ後ろ指さされないため、周囲から孤立しないために礼儀正しく振る舞う。大人の世界ではありふれたことで、もちろん周囲に迷惑をかけなければそれでもいいのだが、そういう人間がたまたま権力を得てしまうと──暴走する。
「なるほど。ツァリの力があるからその皮をとっても問題ないと判断して色々やらかして、見事に失敗したってわけか」
「そういうことじゃ、分かれば良い。つまらぬので妾はもう休むぞ」
「ありがとう、フロム」
灯が元の姿に戻るのを見計らって、大翔はツァリに声をかけた。
「ユトと一緒に、軍へ来てくれませんか? もうこのバカはお終いでしょう」
「でも、ミトとセトの行方が」
ツァリが言いよどむのを聞いて、隊長が無線機から顔を上げる。
「今、連絡が入った。この近辺の町で不審な動きをしていた連中を捕らえたと。なぜか、幼い姉弟を監禁していたので今きびしーく尋問しているところだ」
「それって……」
ユトから一気にツァリの気配が抜けて、普通の少年の顔になった。目尻から盛り上がった涙がこぼれ落ち、彼の頬をつたう。それに気付いた彼は、真っ赤になってあわてて顔をぬぐった。
泣くところを見られたくないという子供っぽい意地がかわいくて、大翔は少し笑いながら言う。
「許すか許さないかはお前が決めることだけど、お前も弟妹たちもこんな憂さ晴らしなんかに関わらず生きる権利がある。一旦、軍に身柄を保護してもらうっていうのも悪くないんじゃないか?」
大翔がわざとくだけた表現をしてみても、ユトは悲しみに満ちた表情を崩さない。それは夢が現実になった瞬間であり、もう二度と過去には戻れないと悟った瞬間でもある。
子供時代に誰もが経験することだが、彼の場合はあまりに残酷で、あまりに唐突だった。ただ、時間がかかってもユトはそれを受け入れるだろう。大翔はそう信じていた。
傍らで隊員の指揮を終えた隊長に、大翔は向き直る。
「すいません、なんかいろいろ先に言っちゃいましたけど……」
「もちろん責任持って保護する。そんなことは心配しなくていい」
大翔は心配という単語を聞いて、自分たちの身の振り方も気になってきた。
「あー、今回の件なんですが……報告する際は、事情も一緒にお伝えいただけると」
「もちろんそうしとくさ。たぶん、犯人が抵抗したって理由がつけば大しておとがめはないと思う。君らは協力者であって、正式に軍位があるわけじゃないしな」
ほっとしている大翔を見て、隊長はぽつりと言った。
「動いてくれてありがとう」
「別にそんな。自分の気持ちを優先しただけですよ。要は子供なんです、俺たち」
「……俺の気持ちはたぶん、お前たちより強いだろう。じゃあ、俺も子供だな」
隊長はそう言って白い歯を見せて笑った。
事件が解決した次の日は、珍しく昼まで寝てしまった。強くなった日射しが顔をうち、大翔はうめき声をあげながら起き上がる。昨日は色々聴取されたし、そこから料理の仕込みをしていたので、寝たのは結局深夜だったのだ。
ユトの様子でも見に行くかと玄関に行ってみると、そこで灯がすでにラシャをつかまえていた。今日はレイラも一緒だ。
「ユトたちはどうなりました?」
「弟妹は孤児院に入るから早めに出ていったけど、彼はしばらく軍宿舎に泊まるよ。着替えを置いてきたときはまだ眠ってた。そろそろ起きるんじゃないかな」
「俺たちの時もそう思いましたけど、面倒見いいですねー……」
大翔が感心して言うと、ラシャは笑った。
「ルタンおばさんに仕込まれたからね。放っておく方が仕事に手がつかないのさ。君だって、わざわざ彼の歓迎会を開こうだなんて優しいじゃないか」
「ま、俺が一次テストに合格したついでってやつです」
大翔は照れ隠しに言った。本当は、自分が合格しただけならそんな大仰にするつもりなどなかった。あくまで取り組み自体を評価されただけで、これから長期の保存試験を突破できなければ正式配属はない。それでも宴会の理由に己の合格をつけ加えたのは、その方がユトが遠慮することなく参加できると思ったからである。
「ちょっとでも、あのヨアネのお眼鏡に適うなんてすごいわね」
「ありがとうございます。手放しで喜ぶ状況じゃないんですけど」
「どうしてそう思うの?」
「俺たちがヒノエの方に行くかって問題、ユトが見つかって再燃したんじゃないですか?」
戦力が薄くなる、特に五大神の一人であるフロムが抜けることが最大の懸念だったのに、それに匹敵する存在が見つかってしまった。ならばテルースも、という話になっても、少しも不思議ではない。
「上層部の中では、ユトに一人で戦ってもらう流れにでもなってるんですか?」
聞かれたラシャは腕を組み、苦々しい吐息を漏らした。
「正直に言うと、そういう話がないことはない。ただし、それは難しいね。君たちと違って彼はまだ十二歳だ。成人してないから正式に軍に配属はできないし、過剰に頼れないだろう」
レイラも厳しい顔つきで言う。
「両親の裁判もまだ終わっていないしね。彼が犯罪に手を貸していたのは事実だし、弟妹の元にはすぐに帰さず、監察官の指揮下に入るかもしれないわ。もちろん、罰というよりは教育のためだけど」
「そうですか……」
大翔はあれだけ必死にテルースに会いたがっていたミルカがちょっと気の毒になったが、当然のことだと思い飲みこんだ。結局、返事は否のまま。サワラギとはあれっきり別れることになりそうだ。
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