第54話 怒りの鉄槌

「お、お前。その力をこんなところで……」

「ここで力を使ったら、君たちが捕まるかな。それがなんだ。嘘をつかれるのはもう真っ平なんだよ」

「ユト!?」


 思わぬ反撃をくらって、ユトの父親の目が泳ぐ。その様子を、ツァリは黙って見つめていた。


「お? どうした? 元気がなくなってきたな」


 あかりも楽しそうに跳ねている。大翔ひろとはその隣で、小さくため息をついた。


「どうしても抵抗するっていうなら、僕が君たちを攻撃する。悪いけど、この千載一遇の機会を逃す気は無い。ユトはこんなバカみたいな両親に、これ以上縛られてちゃいけないんだ」

「ひどい。ユトはそんなこと言う子供じゃなかったわ!」


 母親が声を震わせるも、ツァリは覚悟を決めたらしく固い表情のままだ。泣き落としは効かないと悟った彼女は、憎々しげな視線をツァリに向ける。


 父親の方は少しツァリから離れ、数メートルほどあいた地点──ちょうど卓の上に置いた金の像の付近──でぴたりと足を止める。頭に血が昇っているのか、顔が真っ赤だ。


「……そうか。ミトとユトがどうなってもいいんだな?」

「森に向かって、何か連絡を飛ばすつもりか」


 素早く父親の目的を察知した灯だったが、それより先にツァリが動いた。蛇のようにうねる水が家の隙間から染みだし、真っ直ぐに父親に向かう。並みの人間ならなぎ倒されて終わり、のはずだった。


 しかし、手当たり次第に水は攻撃するも、父親の手前で何故か霧散してまた土の中へ戻ってしまう。その度に父親の傍らにある像が薄く光っているのが、水越しにもちらりと見えた。


「あの像、何か意味があったのか?」


 大翔は見覚えのないものだったので、眉をひそめる。傍らの隊長が、少し目をすがめた。


「……もしかして、術返しかも」

「なんですかそれ」

「一言で言うと、神憑きの攻撃を無効化する術です。過去の神官たちの間に伝わっていたのですが、使える者がここにもいたのですね」


 レベルの高い術返しは、フロムの攻撃すらはじくことがある。そのことを灯から聞いていた大翔は、緊張した面持ちでユトの父を見つめた。


「ほう、知っておられる方がいるのであれば話が早い。我が教団の指導者はもともと神官の家系でね。デイトの間違った神から信徒を守るため、術式の宿った像を貸し出してくださることもあるのですよ」


 父親がまた落ち着きを取り戻しつつあった。それとは反対に、ツァリは何か熱いものにでも触れたような顔で前方をにらんでいる。素早く隊長が銃で像を撃ったが、像は銃弾を跳ね返して天井へ突き刺した。


「発砲はダメだ。跳弾して誰に当たるか分かったものじゃない」

「なんとかして解けないんですか?」

「難しいな。我々は、あれに対してはなんの対策もしてない。くそ、ここまで来て!」


 ツァリの手がまた震え始めた。そして肩も落ちる。決まっていた気持ちが、術返しの存在によって少し揺らいだのだ。弟妹に危険が及ぶ可能性が頭をよぎったこともあるだろう。


 そしてあの父親は、この揺らぎを決して見逃さない。大翔は不吉な予感がしたが、それは当たってしまった。


「覚えてるか? ユト。お前が今よりもっと小さかった頃、父さんはよく肩車をしたり、かけっこをしたりしたな。そして怪我をすると助け起こし、速く走れる方法を教えてやった」


 質問が始まると、ツァリの動揺が目に見えて大きくなった。


「美味しい食事を作ってくれたのは母さんだ。洗濯、掃除、細々した仕事は全部やってくれたな。お前は母さんの後を、ずっとついて歩いていた」


 何年も前の思い出を持ち出される。それこそがユトの精神に一番ダメージを与えることを知っていて、わざとやっている。


「どうだ。それでも父さんと母さんを攻撃できるか? お前は二人がいないと、今まで生きてこられなかったのに」 


 ツァリの視線が下がる。黒い髪の中に白が混じって、どんどんその割合が増えていった。まずい流れを感じ取った灯が、小さく舌打ちする。


「お前は父さんと母さんが嫌いになったんじゃない。ちょっといつもと違うことが起きて、混乱しただけだ。これからもずーっと家族で一緒に居るんだもんな?」


 子供を脅して望み通りに動かす。そのことに何も感じていないような父親の顔を見て、大翔の心臓が一瞬激しく脈をうつ。怒りが脳を埋め尽くし、驚いたことにどんどん考えがクリアになってきた。


 そして一つ、あの父親の鼻を明かせるかもしれない方法を思いつく。灯に目配せすると、驚いたことに彼女もうなずいてきた。


「軍属の方々。失礼ながら、ここを探ってもなにも出てきませんよ。家族の問題に首をつっこんでいないで、治安維持活動に戻られてはいかがですか。特に、シレールとの国境はきなくさいと聞きますし」


 顔を撫でながら勝ち誇る父親の顔を見て、隊員たちが歯ぎしりする。その間に、大翔は隊長に近付き、そっとささやいた。


「上手い手を思いついたんで、ちょっと俺たちに任せてもらえませんか。軍属の方々は、後で問題になると思うんで」

「援護は」

「必要ありません。待っていてください」


 それ以上は何も口に出すことなく、大翔は前に進み出た。そして一気に距離をつめ、目の前にいるユトの父の胸ぐらをつかむ。あまりしたことのない動作も、怒りのためかスムーズにできた。


「うるせえよ、卑怯者」


 言うと同時に、拳を握る。そしてユトの父親の顔を、全身全霊の力をこめてぶん殴った。頬に直撃を食らった父親が床に倒れ、派手な音をたてる。


 手袋はしていたが、大翔の拳がみしっと軋む。本来なら痛みが走るはずなのに、大して感じないのは怒りの限界に達していたからか。


 そしれその境地に至っていたのは大翔だけではなかった。隣の灯が腕を伸ばした、と思ったと同時に何かが潰れる音がし、ユトの母親が吹き飛んだ。


「お前も同罪だ、クソババア」


 ちゃんと戦闘訓練を受けた灯の一撃は大翔のものよりよほど強力だったらしく、転んだ母親の鼻が変な方向に曲がっている。すぐには起きられないようだが、一応呼吸はしてるから生きてるだろう。灯も確認のためか、げしげし母親を蹴って追い打ちをかけていた。


「あー、さっぱりした」


 気持ちよさそうに灯が顔を上げる。その顔は本当に晴れ晴れしていて、思わず大翔は笑ってしまった。


「こ、攻撃が効いた。術返しは?」


 隊員たちの間にざわめきが広がる。大翔は苦笑しながら言った。


「あれは神の術にしか効かないので、人間が普通に殴ったら無効化されるんじゃないかなーと思って試してみました」


 本当はミルカに聞いてからにすればよかったのだが、あまりに深刻なバカを目の当たりにして思わず体の方が先に動いていた。結果的にうまくいったから良しとしよう、と大翔は自分を慰める。


「でも銃が効かなかったぞ?」


 大翔はその問いに苦笑した。


「あれはきっと、像だけを守るためのものですよ。像本体にしてみりゃ、保有者なんてどうでもいいんでしょうね。たぶん銃で撃ったら、普通に当たってましたよ」


 ガリクは激怒していたが、理性を失っていたわけではなかった。両親は危機的な状況にならない限り、必ず生かして連れてこい、生き地獄を見せてやると部下に厳命したのだ。その命令を大切に思っていたから、彼らはまず銃を向けるという発想がなかったと大翔は思う。


「間抜けだったな」

「いえ、こっちが命令慣れしてないだけですよ。軍属なら間違った判断でしょうし」


 大翔が笑っていると、ユトが口を開けてこちらを見ている。彼になんと声をかけようかと大翔が迷っていると、地面から低い唸りが聞こえてきた。


「……間違い。そうだ、お前らが存在していることこそが間違いなんだ。正しいのは私と、私の神だ」


 父親がよろよろしながら立ち上がって、切れた口元をぬぐっている。殴られた衝撃から、ようやく立ち直ったようだ。

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