第48話 悪の影

 うなずき、そしてフロムは説明を始めた。


「現在、ツァリの依代になっているのはユトという子供だ。年齢は十二。リークという漁村で、両親と暮らしている」

「へえ。灯もそうだけど、依代になるのって子供が多いのかな」


 大翔ひろとが言うと、フロムはうなずいた。


「目に見えないもの、得体の知れないものに対する抵抗感が薄いのだろうな。古代でも、神憑きとして覚醒するのはほとんどが子供だった。大人はもし仮に神に声をかけられても、」

「なるほど……儂も一度神を宿してみたいとは思っていたが、もはやそれは叶わぬか。ちと残念だな」


 ガリクは興味深そうにそれを聞いている。


「さて、めでたく神憑きとして子供が覚醒すると、信心深い両親ならばまずは神殿に届け出る。そこで神の加護を得たことを確認すると、家族ともども神殿に保護されて寝食の面倒を見てもらえたからな」

「……でも今は、神殿ないんだろう? 確か、シレールの侵攻時に宗教関係がかなり変えられたって聞いたけど」


 大翔がおずおずと言う。フロムは気にした様子なく続けた。


「ああ。そのため、今では受け皿が軍に変わっている。軍ではさらに報奨金も用意されているため、昔より申告者が増えたくらいだ」

「報奨金目当ての嘘つき排除にも手間がかかってな」


 ガリクがため息をつく。


「しかし、ユトの両親は軍へ届け出ていない。強大な五大神の依代ともなれば、相当の金と生活が保障されるのにもかかわらず、ずっと隠していたんだ」

「もともと家が裕福で、息子は軍隊にやりたくないとかじゃないか?」


 大翔が問いかけると、フロムは首を横に振った。


「リークは貧しい村だ。ユトの家は、その中でもさらに貧しい。父親が虚弱、母は自然保護を訴えているため漁に参加できず、村の雑用をこなしてなんとか生き延びているような状態だ。他に、八歳の娘と五歳の息子がいる。長男が軍隊に行って生活が 保証されるなら、喜んで飛びついてもおかしくないと妾は考えている」

「……確かにそうですな。それをしない理由とはいったい?」

「ツァリがそれを話した。ユトの両親は、息子の得た力でこの世への復讐を行おうとしている。行き交う船に見境なく襲いかかってます沿岸部の経済と生活を壊滅させ、さらに川に沿って首都まで行こうとしているらしい」


 それを聞いて、軍人たちはぎょっと目を見開いた。


「なるほどな。今まで自分たちを冷遇してきた漁村の連中を困らせるには、まず漁ができなくするのが一番ってわけか。で、弱り切ったら殺して次の村へ向かうと」


 正直、この雑な計画で首都まで攻め上れるとはとても思えない。依代には必ず活動限界というものがあるし、目的がみみっちすぎて途中で有力な協力者が出る可能性が限りなく低いからだ。


 しかし、漁村をいくつか潰すには十分な戦力がある。きっとユトの両親は、やるだ

けやったら満足だと思っているのだろう。……巻き込まれる子供の人生を、いったい何だと考えているのかまでは大翔には分からないし、分かりたくもなかった。


 そこまで考えたところで、大翔ははたと膝を打った。


「今更なんだけどなあ、どうしてユトは両親に反抗しないんだ?」


 フロムがこちらを見たので、大翔はさらに続ける。


「だって両親はあくまで普通の人間なんだろう? ツァリ神が本気になったら、すぐにこてんぱんにできるはずじゃないか」


 別に殺す必要はない。動きを拘束できれば、その間に保護を求めてどこかに駆け込むことはできるはずだ。そうしたら、ユトは自由になれる。


「……そうだな。そやつだけは、助かるだろうな」

「え?」

「ユトの両親は、とある小さな宗教に属していてな。修行と称して、ユトの妹弟を家から引き離してしまった。もしユトが父母の計画に賛成しないと言えば、同士が子供たちを殺すとほのめかしている」

「そんな!」


 自分の希望を、子供の力を使って叶えようとする。そしてその子が反抗できないように、弟妹を人質に使う。現実にそんな親がいると、聞いただけで心が痛む。大翔の口の中に、苦いものが広がり始めた。


「だからユトとツァリは待ってたのか。妹弟の動向を気にしてたから、一人だけ助かるわけにはいかないから……自分の声が聞こえる誰かが来てくれるまで、ずっと」

「そうだな。もしかしたら、ユトは父母さえも助けたいと思っているのかもしれん。ツァリはそこまで口にはせんかったがな」


 見た目上は父母の言う通りにしているよう装って、村を荒らして軍艦とも戦う。でもその陰ではずっと、「助けてくれ」と彼らは叫んでいたのだ。


「……その宗教の奴らは、黙って子供を引き離したのか。両親のやってることを知ってるのか」

「知ってるどころか、狂った宗教もどきが全ての原因だ。そやつらは人間の狩猟、漁業、そしてそこから発展した文明を悪とみなし、過激な行為を繰り返し凶暴化していっている。間抜けは間抜け同士でつるみたがるということだ」


 フロムが吐き捨てる横で、ガリクがわずかに身じろぎした。それから胸を反らして茶を一気に飲み干すと、にわかに彼はフロムに厳しい視線を向ける。


「作り話ではないでしょうな、フロム神」

「貴様は嘘と本当の区別もつかぬ若輩者か」


 フロムが薄く笑みながら言う。それを聞いて、ガリクは立ち上がった。


「いいんですか? 少将、あの子供神は嫌いなんでしょう?」


 ガリクの側近らしき中年の男が聞いた。しかし、本気で止めるつもりは微塵もないのが、その口調から見て取れる。


「嫌いだ。だが、親や姉弟を慕う子供の情を利用して踏みにじり、ツァリ神の神威まで踏み荒らそうなど言語道断。クソガキであれなんであれ、その巨悪を見過ごしておけるものか!! 行くぞ、これからすぐにだ!!」

「はっ!!」


 鼻息を荒くしてガリクが叫ぶ。


「……暑苦しいが、ああいう男は嫌いではない」


 怒るガリクの背中を目にして、フロムが薄く笑った。




 いつからだっただろう。両親がユトに、こう言い聞かせるようになったのは。


「お前は選ばれたんだ。何でもできる、神様の分身なんだよ」

「村の連中はゴミだ。蹴散らして踏みつぶされて当然なんだよ」


 昔はそんな人たちではなかった。


「いいかいユト、父さんたちは漁に出られない。父さんは体が弱いし、母さんはお前の世話があるからな。それでも魚が食べられるのは、皆が分けてくれているからだ。だから、村の人には迷惑をかけるんじゃないぞ」


 そう言い聞かされていたし、父と母は実際誰にでもにこにことしていた。たまに意地悪な子供がこちらをからかってくることはあっても、明らかに貧乏な暮らしでも、ユトは十分に幸せだった。


 しかし両親にとってそうではなかったと知ったのは、ツァリと一緒に暮らすようになってすぐのことだった。


 ユトは村の子供にからかわれるので、滅多に海沿いへ遊びに行くことはなかった。しかしその日はなぜだか妙に胸騒ぎがして、どうしても海に行かなければならない気分になったのだった。


 自分の直感に従って海岸沿いを歩いて行くと、何故か他の子供には全く会わなかった。僥倖を喜びつつ海面に近付いていくと、不意にぼこっと海面に大きな泡が生じる。クラゲでもいるのか、とユトはそれを覗きこんだ。


 するとその中から、黒い瞳が見返していた。ユトは一瞬悲鳴をあげてのけぞったが、すぐに黒い闇のようなものに包まれ、宙にふわふわと体が浮いているような感覚を味わう。その中で、穏やかそうな少年が一緒に漂っているのが見えた。


「お前、誰だ?」


 呟いた言葉も籠もって聞こえた。少年は何も答えず、にっと白い歯を見せて笑う。それと同時に、周囲の温度がじわじわと上がっていった。ああ、なんだか温かくて気持ちいい──と思ったまま、ユトは目を閉じる。

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