第45話 男からのナンパはいらない

「おい、起きろー。腹減ったのか?」


 頬をむいっとつねってやると、ようやく彼女は我に返った様子だった。


「あ……ああ、大丈夫だ。ちょっと考え事してただけ」

「お前にしては珍しいな」

「殴るぞ」


 拳を振り上げるポーズをするあかりの後ろからラシャに移動を促され、大翔ひろとはうなずいた。それで結局、灯が何を考えていたかはうやむやになってしまった。




 天気は悪化し、細かい雨が降り始めていた。車に戻ってしばらく海岸沿いを走ると、軍艦が泊まっているのを見つけた。灯が大はしゃぎで駆けていくので、大翔はあわてて後を追う。


 近くで見ると、横に長く引き延ばされたように見える濃灰色の船体に、薄い色のペンキで艦名が記されている。そして一際高く目を引くマストの横には、太い煙突が四本そびえ立っていた。


「うわ、デカっ」

「いや、これ駆逐艦に近いな。たぶん、軍の船の中だと小さい方だ」


 一度本物の軍艦を見に行ったことがある大翔がそう言うと、灯は目を丸くしていた。


「よく知ってるね。あれは主砲一門、機銃五門、あとは雷撃発射管を備えた小型艇。基本的には夜に敵に接近して、魚雷で敵船を迎撃するのが目的の船なんだ」


 ラシャが前方を見つめながら言う。


「なんだ、もっと大きいの連れてくればいいのに」


 がっかりした様子で口を尖らせる灯を見て、ラシャは苦笑した。


「そうはいかないよ。テラウ近隣は国境付近にあるから、大きな艦を持ってきたら戦争の準備をしていると他国に警戒される。今回の駆逐艦二隻だって、古い艦の整備点検のためと理由をつけてなんとか引っ張ってきたんだから」

「ふーん。神様との戦いって知らしめといた方が、周りへの威嚇になると思ったんだけどな」


 灯の言うことにも一理ある。しかしそれは、ツァリが確実にデイトを守ってくれるという確証が得られたらの場合だ。デイト領内を荒らし回っている五大神がいるなどと広まってしまえば、シレールにはこの上ない追い風だ。大翔がそれを指摘すると、灯は手をうった。


「お話の途中失礼します。ベリーエフ中尉、灯様、大翔様。乗艦時間となりましたので、こちらへいらしてください」


 ラシャとは違う白色の制服を着た青年将校が、こちらを見つめていた。彼に従って軍艦のすぐ脇を歩いていくと、海軍の軍人らしき人の群れが見えた。その中に一人、明らかに感じの違う初老の男が立っている。


 大翔は青年将校に聞いてみた。


「……あの人は?」

「ガリク・アリエフ少将です。今回の作戦の司令官ですので、失礼のないように」


 その声に気付いたのか、ガリク少将がこちらに顔を向けてきた。視線だけで射殺されそうな目力の強さに、大翔は圧倒される。口元にぴんと張った一文字の髭があるから、一層彼の顔がいかめしく見えた。どう挨拶するか大翔が困っていると、不意に灯が進み出る。


「会うのは初めてだな。私は天馬灯てんま あかり。エミン大佐がボロクソ言うから、どんな奴かと思ってた」

「ほう、エミンの知り合いか。若い娘が珍しい」


 しゃべると声がかすれている。近寄るとぷんと煙草の匂いがして、こりゃ相当なヘビースモーカーだなと大翔は閉口した。


「それにしても儂にそんな口をきくとは、いい度胸だ。新人か?」

「そうだよ。灯、友達じゃないんだからもうちょっとだな……」


 灯はだいぶ気さくに話しかけているが、大翔は気になって仕方がない。すると、灯はこともなげに笑った。


「いいんだよ。大佐がこのくらい言わないとガリクは分からないって言うから」


 エミン大佐の話のままに受け取ったのだろう。叱られるかもという恐れが微塵もないのはさすがだ。こういうところも軍で鍛えられたのだろうか、と大翔はちょっと灯を見直した。


「はっはっは、確かにエミンならそのくらいのことは吹き込むかもな。フロム様の依代に適当なことを言うとは、奴の方が恐れ多い」

「よく分かったな」

「見抜けずしてどうする。いやまったく、お主の気性はフロム様によくなじむであろうよ」


 ガリクは本当に楽しげに笑った。反面、灯はちょっと複雑そうだったのが面白い。


「そっちの男が噂の二人目か?」

「はい、ミルカ神と一緒にいます、中村大翔なかむら ひろとです」

「そうかそうかあ。おい、お前らこっち来い」


 ガリクの号令がかかってからの海兵たちの動きは素早かった。戸惑っているうちにいかつい男たちに取り囲まれて、大翔は悲鳴をあげる。


「ななな、なんですか。俺たち完全に初対面ですよね!?」

「だが噂は聞いている。大変美味い飯を作れる逸材を、陸軍が囲い込んでいるとな。実にけしからん」


 顎に手をあてているガリクが、大翔を見ながら言った。


「別に囲い込まれてるわけじゃなく、糧食開発班に入るための試験中なんです!」

「どうでもいい! お前、海軍に入って儂らの船に乗れ!」


 必死の反論も虚しく、大翔はガリクに強く肩をつかまれた。真正面から目力の強い男ににらまれて、大翔は気圧される。


「……なんで?」

「ああ、君は知らなかったか」


 大翔が聞くと、一緒に囲まれて呆れ顔のラシャが言った。


「海軍というのは、陸軍と違って調理する兵が決まってるんだよ。だから、調理兵の腕がその艦で出てくる食事のレベルに直結する。長い航海で食事はほぼ唯一といっていい娯楽だから、料理が上手い人間は奪い合いになるんだ」


 大翔は目を丸くした。


「その通り! 我ら、飯が美味いと噂になった艦のことは忘れない!!」

「現在、我が艦の料理チーフが負傷したからといってひがんでいるわけでは決してなく!!」


 周りの海兵たちが言うので、大翔はそれでだいたいの状況を理解した。気の毒だとは思った上で、それでも改めて言う。


「拒否します!」

「拒否権はない!! うんと言うまで追い回すからそう思え!!」

「発想が海軍じゃなくて海賊寄りだぞジジイィィィ!!」


 結局最後には大翔も灯に負けず劣らずの暴言を吐いたわけだが、これだけ拒否しても「任務時間になったから話は後で」とうやむやにされてしまった。


 船に押し込まれ、海上に出てからようやく大翔はぼやく。


「……厄介そうな人に目をつけられたなあ」

「まさか、陸軍と海軍でシステムが違うとはな。私も知らなかったぞ」


 上着を着込んでもこもこになった灯が、大翔の隣に立った。


「時間があれば、軍艦の台所も見せてもらいたかったんだけどな」

「あの様子じゃ、台所に入ったが最後、一生出してもらえなさそうだ」

「不吉なことを言うなよ!」


 むきになって反論する大翔に、灯は双眼鏡を差し出してきた。


「ま、そのことは一旦忘れて。今はツァリ捜索に専念しろ」


 それもそうだと思い直して、大翔は周囲を確認した。顔を切りそうなほど強い海風が吹き付けてくるが、依然として海上には何も無い。


 雨で濡れて額に張り付いた髪をなでつけながら、何度か見る場所を変えてみる。しかし双眼鏡越しに冬の暗い海が見えるばかりで、何も感じられない。


「奇妙だな。今のところ、何も見当たらないが……」

「海の生物もおとなしいもんですな。観察する限り、凶暴なやつがいる様子もないし」


 皆が首をかしげたが、他にどうしようもない。水質調査のために各所で水をくんだり、生物の痕跡がないか探し回るといった、地味な作業がしばらく続いた。


 その横でガリクはぷかぷか煙草をふかしながら、じっと海面を見つめていた。普通軍人は任務時間は吸わないと思っていた大翔はいぶかしんだが、他の部下が咎める様子もないからいつものことなのだろう。


 そのガリクのくわえた煙草の煙がゆらりと揺らいだ時、地鳴りのような音がした。下から衝撃がつきあげてきて、船体が震えている。大翔は精一杯の力をこめて踏みとどまったが、頬や耳に海水が降りかかってきた。


「下になにかいるぞ!」

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