第39話 犬猿の仲

 感心するあかりの横で、大翔ひろとは食堂の設備を見渡していた。机と椅子は一般家庭でもよく使われている木製のもの。卓上には調味料セットと紙ナプキンが置いてあるだけで、さっぱりしている。


 机の周りにはカウンターが並んでいるから、おそらく料理は各自でとっていくバイキングスタイルなのだろう。


 大翔がそう聞くと、イラクは首を横に振った。


「パンと飲み物はそうだけど、主食と副菜の量はきっちり決まってるぜ。栄養量を計算して、過不足がないようにしてるからな。ほれ、アレ見てみろ」


 イラクの指さす先には、食事に使っている食材や栄養量を記した紙が貼ってある、大翔がちらりと見ると、昼食が一番栄養も量もたっぷりになるように計算されているのが分かった。


「普通の隊員はまともに見てねーけど、俺たちも色々苦労してんのよ。献立を決めるのは料理長だけどな」


 イラクは食堂の奥を見やって、料理長に紹介するからついてこい、と言った。まだ大翔は張り紙を見終わっていなかったが、大人しく彼の言うことに従う。


「料理長、明日から来る新人連れてきましたよ。こっちの女の子はその友達」

「よろしくお願いします」


 大翔と灯はそろって頭を下げる。だいたい二人並ぶと、衆人の注目は美少女の灯に集まるのだが──たっぷりと肥え、顎髭をたくわえた料理長は大翔の方に関心を示していた。


「ああ、ミルカ様の。腐った食材でも瞬時に新品にしてしまうんだって? 頼もしい限りですな」

「事実に結構な尾ひれがついてますね……」


 大翔が呆れて訂正すると、その横でイラクが口を尖らせた。


「俺はちゃんと伝えたって。人がしゃべってるうちに話が変化してくのまでは知らねーよ」

「本当かな」


 大翔はいぶかしく思ったが、ひとまずそこは追求しないようにした。料理長は本当のことを知っても気落ちした様子なく、厨房の調理設備を一通り見せてくれる。


 包丁を使って材料を切るための裁断場、パンを焼く窯、大きな鍋、そして油をたっぷり四角い容器に満たした揚げ場。これといって突飛なものはないが、どれもこれも通常よりはるかに大きいのが特徴だった。


「で、ここが洗い場。皆が食べ終わった食器が集められるから、食事の後はここが一番ごったがえすね」

「よく分かりました。ありがとうございます」


 礼を言う大翔の後方で、灯が何か言いたげにしていた。大翔は許可を得て、灯に発言を求める。


「……たいしたことじゃない。今日の食事は残ってないかな、と思ってただけだ」

「どこまでも食い意地が張ってるなあ」


 あれだけグラタン食べたくせに、という大翔を灯は無視した。その様子を見て、料理長が笑う。


「今日の分はもう食べ尽くされてしまったからね。覗くなら明日だな」


 それを聞いて、灯はちょっとしょんぼりしていた。なんでも、献立表に肉カツがあるのを大きな瞳で目ざとく見つけ、楽しみにしていたのだという。それを聞いて、料理長とイラクも笑っていた。


「これで一通り見て回ったな。なんか質問あるか?」

「いえ、大丈夫です。明日からよろしくお願いします」


 頭を下げる大翔に、料理長はああ、と明るい声をかけてきた。



 翌日、灯は大翔が眠っている間に出かけているらしく、部屋の入り口に「先に出る」と書き置きが残っていた。


 身支度をした大翔が自分の職場に出勤すると、目が回るほどの忙しさだった。野菜の下処理だけでも二千人分となると大変な量だったし、揚げたり煮たりし始めると冬なのに体から汗が噴き出してくる。それに、せっかく作っても隊員たちのアンケートでボロクソに言われることもあった。


 それでも大翔は食堂の仕事は決して嫌いではなかったし、手際がいいと手放しで褒めてもらえるのは気持ちがいい。それに、美味しそうに食べる隊員たちの顔を見るのは楽しかった。


 懸念はたった一つ。一ヶ月近く頑張っても、ザザから事態が進展したという報告がちっともないことだった。


「どうして開発班長は、お前の加入に反対なんだろうなあ」


 料理長がたまに口にするその言葉を聞くと、大翔の胸がわずかに痛くなる。くすぶっている、大翔自身が誰より聞きたい質問。それを己の中に押し込めていくのが、なかなか大変になってきていた。


「まあ、焦るな。私たち、他になんのコネもないんだから」


 かえって灯に慰められるくらいで、大翔は恥ずかしくもなってきていた。


 そんなある日、食堂に行ってみると異常な人垣ができていた。大翔がなんとか前に進み出ると、その人垣の中心に若い男性が立っていた。見たところ、二十代後半から三十代前半といったところか。


 モデルのように背が高くて顔が小さく、髪は濃い青。真っ白な肌をしているが、軍の制服をぴしりと着こなしていた。両耳だけがやけに大きく左右に長いため、ゲームでよく出てくるエルフのように見える。


「……誰?」


 固まる大翔の服の袖を、後ろから誰かがしきりに引いてきた。振り返ってみると、それは青い顔をした料理長だった。


「なんですか」

「あの人だよ、開発班長──ヨアネ・ケルティックは。君に会いにきたんじゃないか?」


 大翔の全身がにわかに緊張してきた。それを見透かしたように、ヨアネは厨房を見渡してかぶりを振った。


「相変わらず下品な連中だ。少しは黙っていられんのか」


 冗談ではなく、本当に嫌っているような口ぶりと顔つきだった。これに大翔は腹が立つ。料理人や隊員は確かに声は大きいし、みんな汗をかいているが、仕事上必要あってのことだ。いくら開発班長でも、ふらっときた男にそこまで言われる筋合いはない。


「お言葉ですが、ここはもともとそういう場所です。ご不快なら退出ください、誰も止めませんから」


 大翔が言い返すと、ヨアネはわずかに目をすがめた。そして、笑いをこらえているような表情を作る。


「反論してくる根性がある奴は久しぶりだな。お前、名は?」

中村大翔なかむら ひろとです。ザザ少佐から、お話がいっているかと思いますが」


 大翔が名乗ると、ヨアネの顔からさっと笑みが引いた。


「まさか、お前が『神憑き』か?」

「はい。お望みなら、ミルカと会話でもしてみますか」


 大翔がミルカの名前を出した途端、ヨアネが飛びかかってきた。


「……貴様。二度と呼び捨てで呼ぶんじゃない」

「別にあなたのことは呼んでませんが」


 いきなり近付いてきた相手に少し驚きつつも、大翔はつっこむ。するとヨアネは、ますます顔を怖くして近づけてきた。


「ミルカ神様のことだ。食事に関わる人間にとってはまさに神聖なる存在、神秘の具現!! それが貴様ごときに入っているだけで気に入らないというのに、呼び捨てにするには何事か!!」

 ヨアネが大翔の胸ぐらを揺さぶる。大翔は首をぐらんぐらんさせながらただ流されていた。


「返事はッ!!」

「……はーい」


 つくづく変な人だな、と大翔は思った。ミルカの名前を出したとき、ニコルやイラクはここまで極端な反応をみせなかった。単にヨアネが熱狂的な信仰者なだけだろう。これから付き合っていくとしたら疲れる相手だ。


「あの、ヨアネ様。こちらにはどのような用事で? この大翔は、糧食開発に興味があるとザザ様から伝わっているはずですが、もしかして……」


 料理長が助け船を出してくれた。しかしヨアネは、面白くなさそうに鼻を鳴らす。


「ついでに様子を見に来ただけだ。確かにそこそこ役には立つようだが、重要な仕事を任せられる人材とは思えん」


 ヨアネはにべもなかった。その様子を見て、イラクが後ろで舌打ちする音が聞こえる。そして、かすかにつぶやく声も聞こえてきた。


「マズい糧食しか作れねーくせに、偉そうに」

「今何か言ったか?」


 そばにいた大翔でさえかすかにしか聞こえない声だったが、ヨアネは驚くべきことにそれを耳に入れたようだ。イラクも一瞬たじろいでいたが、気を取り直して胸を張る。


「ああ、言ったね。あんなマズい糧食、よく出せたもんだ。餓死寸前の奴だって食わないよ。ホントに俺たちのこと考えてるのか?」


 イラクの挑発を聞いて、ヨアネは額にみしりと深い溝を刻んだ。明らかに今の一言が地雷にかかったらしい。



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