第34話 順調な滑り出し
「……昨晩は遅くに眠られたようで、まだぐっすりとお休みです。今日は動けないと思っておいた方がいいでしょう」
「だろうな。昨日、あれだけ助けていただいたのだ。彼女が目覚めたら戦勝を報告できるよう、励むとするか。他に何か気になることはあったか?」
ザザが聞くと、ラシャが嘆息する。
「はあ、一部の者が妙にそっけない様子ではありましたが……ぎこちない者も、目元が赤い者もいましたし……私は何かしたのでしょうか」
ラシャは首をかしげる。自分が昨日やったことは、部下たちには関係がない。いつもと変わらず部下に接していたのだから、何も変わったことはないはずだ。そう考えていたのだが、周りの様子がおかしいとラシャは気付いた。
「そっけないというか、緊張しているのだろう。なんでもないから、今日の目的に集中していれば良い」
ザザが強めに言うと、ラシャは素直に引き下がった。装備の確認をしてくる、という彼の後ろ姿を見ながら、ザザは密かに苦笑を漏らす。
「……やれやれ、内緒にしておくというのもなかなか大変だな」
ザザがそうつぶやいたところに、北側の敵が動き出したと報告が入った。
「戦場の状況はどうだ」
「北の丘で戦闘が始まってるみたいだ。でも補給もちゃんとしたし、こっちが取り返せそうだって聞いたぞ」
「それは何時間前の話だ?」
「おい、どこへ行くつもりだ」
「通信司令部だ。最新の情報に接してないと、気付いた時には全てが終わってる」
すでに足下がふらついている灯を支えながら、大翔は嘆息した。
「別にそれでいいだろう。お前の役目はもう終わったんだよ」
「……メドーが死んでない」
乱れたざんばら髪の間から見える灯の瞳には、熱がこもっていた。気圧される大翔に、灯はさらに続ける。
「あいつを放っておいちゃダメだ。暴れ出したら、フロムじゃないと立ち向かえない」
メドーは熊の神だという。ただの熊でさえ、本気で暴れ出したら人間はとても止められないのは事実だ。
手を伸ばしてきた灯は、必死に大翔の服の袖を引く。それ以上止めても、彼女が言うことをきかないことくらい分かっている。ならば、頑なに拒むよりも大翔がすべきことはあった。
「一緒に行くよ、しょうがないな」
複雑な思いを残しつつも、大翔は立ち上がった。軽い灯の体と一緒に移動しながら、ふと聞いてみる。
「フロムはどうなんだよ」
「当然乗り気だ。戦えるものなら外に出ることを希望している」
「一食とっただけなんだから、あんま無茶すんなよ」
釘を刺してから一緒に天幕を出て、丘の中央へ向かう。そこに司令部があり、通信室が真横に設置されていた。
大翔たちが許可を得て天幕内に踏み込むと、通信機器が並べられていた。映画の中でたまに見るような信号受信機が主だが、中には文字を印字できるような高性能タイプも混じっている。それでも、まだ音声でリアルタイムに報告できるようなシステムはなさそうだった。
「……フロムがこんなものか、って言ってる」
「そりゃまあ、なあ。神様だったら遠くまで見通せるのかもしれないけど、この技術だって結構すごいんだぞ」
大翔が言い返すと、灯がじっとこちらを見つめてきた。
「お前がやってみろって。今のフロムは力の消費を避けたいみたい」
「何を?」
「神の目を使えって。とてもこの通信機器だけじゃ信用できないから」
仕事をしている通信兵がちょっと嫌そうな顔をしたが、フロムはそんなことはお構いなしである。大翔はため息をついた。
「ミルカ、できるか?」
ややあって、小さな声で諾と返事があった。大翔の眼球がびくびくと動きだし、視界が一瞬真っ白に染まる。その中に人影のようなものがぼんやりと浮かび始め、そう待たないうちに視界が鮮明になってきた。
前方に土煙があがっている。百を超える互いの砲門が、唸り声をあげているからだ。主に使われているのは砲身に大きな車輪がついた野砲で、一発撃つ度に射手が射撃位置を元に戻している。
あちこちから響く音が重なって聞こえ、ミルカの目を通じたフィルターがかかっていなければ、耳を悪くしてしまいそうだ。
デイトにもシレールにも、思い思いの方へ逃げている兵が見かけられた。残った兵は敗残者を気にした様子もなく、互いに撃ち続けている。
その砲撃が、ある時点からぴたりとやんだ。しかも、デイト側だけである。大翔はこめかみを押さえて唸った。
「どうした」
問うた灯に、今見たものをそのまま説明する。彼女は顔をしかめた。
「この状態で攻撃中止だと? 弾がなくなったのか?」
「いえ、もともと想定した事態になったので、中止の指示が出たんです。……敵はそんなこと、知らないでしょうがね」
傍らで聞いていた通信兵は薄い笑みを浮かべて言った。
「見えるのなら、覗いてみてください。で、どんな状況か教えてもらえると嬉しいですね」
彼に促されるまま、大翔は意識を戦場に戻す。土煙の中、黒い影がデイト軍の陣地に向かって押し寄せるのが見えた。
「数、およそ一万強……」
ミルカがつぶやく。その人数が一気に向かってくるのなら、さすがに石壁の防御も耐えきれない。しかしそれを待っていたと言わんばかりに、デイト軍の大砲がうなりをあげ始めた。
「撃った!」
本当に弾切れではなかったのだ、と大翔は安堵する。つまり、弾切れと見せかけてつっこんできた敵を砲撃で一掃する作戦だったのだ。シレールは見事にひっかかったことになる。
「でも高い──」
大砲から吐き出された弾は、シレール兵の頭上を通過していくかのように見えた。しかし次の瞬間、空中で弾が爆発する。衝撃波とともに小さなものが無数に飛んでいき、それが当たったシレール兵が血飛沫をあげながら倒れた。何が起こったか分からず、大翔は目を見開く。
「散弾か……まさか大砲でもあるとはな」
大翔はようやく気付いた。巨大な外殻の中に小さな弾が詰まっていて、爆発と同時に下に向かって弾を飛ばすように設計されていたのだ。こちらは高所をとっているが、角度があって直接敵を狙えない。そのために、この弾が準備してあったのだと気付く。
「最初はあえて普通の弾だけ使って、大砲の弾は当たらないと錯覚させていたか。なかなか策士だな」
話を聞いた灯が言うと、通信兵たちは今度は大きめににやりと笑った。
「向こうが卑怯な手を使うなら、こっちだって多少は許してもらわないとね。今日は同胞もいないようだし、思い切りやれますよ」
「格の違いを思い知ったか、馬鹿め」
威勢のいい声が飛び始める。しかしその中でも灯は、眉間に皺を寄せてじっと前方を見つめていた。
「向こうの司令官が、黙ってこの事態を見てるとは思えない……」
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