第33話 渦巻く思惑

 ミハイロがそう言って腕を広げると、外套の下から黒い影のようなものが出てきて地面を這う。それが獲物を探すように動き回るのを見て、兵がとっさに銃を構えた。


「……ふむ、やはり消耗が激しいか。案ずるな、味方だ」


 ミハイロの言葉に応じるように、影が一瞬熊の頭のような形に変化する。その場にいた将軍たちも、そろって兵と同じように息をのんだ。


「これは、もしかしてメドー……?」


 コンスタンが小さくつぶやく。ミハイロはうなずいた。


「私が本当の主ではないから、回復も遅いがな。明日の突撃には、こいつも参加させる。今日もフロム神とまともに打ち合ったのだ、一般の兵など何するものぞ」


 メドーの名は空間に染み渡るように広がり、徐々に興奮が場を満たし始めた。


「確かにあの町の防衛軍は強い。だが、ここを打ち破ればデイトの残軍の戦意をくじくことができる。ゆえに私は徹底的な攻めを選んだ。反論があるなら申してみよ」


 ぐうの音も出なくなったシューラは、ミハイロの言葉に黙ってうなずくしかなかった。それを確認してから、ミハイロはキリルに向き直る。


「また、デイト軍の人数に余裕がある場合、第一軍の側面をついてくる可能性は十分にあり得る。奇襲に備えて行動せよ。良いな」

「……お言葉ですが、私は同じ配置のままで良いのですか? 早期攻撃は不可能ですが、移動し奴らを迎え撃った方が」


 キリルが意を決した様子で言い返すと、ミハイロは眉間に皺を寄せた。


「第一軍が崩れれば、中央一斉攻撃の隊の側面を守る者がいなくなる。防御を固め、中央を守ることを第一の任務とせよ。良いな」

「はっ」


 何とか攻撃に出て良いところを見せたいキリルだったが、その望みは叶わなかった。忌々しげに空をにらむが、ここはこれ以上評判を落とさないことが肝心と考えて発言を控えている。


「では、明日に備えて今日は休め。早朝から戦闘が予想される。特に第二軍は注意を怠るなよ」


 ミハイロの鶴の一声で、会議は終わった。司令官がさっさと天幕を出ていったので、残りの面々も早々に引き上げる。しかしその中でキリルだけが、割り切れない様子でゆっくりと支度をしていた。


「どうした、若いの」


 上官のヴラディに声をかけられて、キリルは思わず本音をこぼした。


「あの指示はミハイロ殿らしくない。いくらメドーの助けがあるとはいえ、隊がボロボロになるのは容易に予測できることです。やはりもう一度確認を」

「しつこい男は嫌われるぜ」


 真剣な顔で悩むキリルの横で、ミハイロは肩をすくめた。


「ま、ミハイロ殿に任せておきな。知りたがっても今は教えちゃくれないが、後でああ流石だったなって思うだろうから」

「ですが……」


 まだ困惑しているキリルに軽く手を振って、ヴラディは夜闇の中へ消えていった。




 地平線が白くなっていき、夜明けが訪れる。運命の三日目を迎え、デイト軍では作戦の最終確認が行われていた。


 徐々に強くなっていく光の中を、ザザとラシャは連れだって歩いていた。


「まずは北の丘の奪還が急務だ。ここに精鋭をぶつけ、早々に取り返す。その後、西側の防衛線を中心に戦闘を継続。……ここまでは問題ないかね」


 ラシャはうなずいた。丘の東側は川になっているし、劣勢の軍が急に尾根から陣を移すとも考えにくい。問題は、必死に作ってきた防衛陣地がどのくらい機能するかということだ。


「陣地の出来はどうですか。せめて、狙撃兵や砲を隠せるくらいに出来上がっていると嬉しいのですが……」


 分かっている、と言わんばかりにザザはうなずき、ラシャを現地へ導いた。目前に広がる光景を見て、ラシャは息をのむ。


「これは……」


 低い石壁が何重にも並び、荒野を区切っている。石はしっかりと重ねられ、壁には厚みがあった。ところどころに塹壕も見える。この布陣なら、つっこんできた敵を分断することができるだろう。作戦の遂行に重要な砲台も守ることができるはずだ。


 ラシャはわずか数日前の様子を思い出す。あの時はどうなることかと心配していたが、立派な陣地ができたものだ。


「皆が頑張ってくれた。南西部の壊れた陣地も、できる範囲で補強してある」

「かなり体力を使ったでしょう。疲れていただろうに……」

「皆、やる気に溢れていたよ。それに調理班が遅くまで炊事を頑張ってくれてね。美味しい料理のおかげで、皆が最後まで集中を切らさず作業してくれた。感謝しないといけないな」


 調理、と聞いてラシャの頭に大翔の顔がよぎった。では、彼も努力してくれたということか。神を宿した、不思議な少年。突然戦場に連れてきて慣れないことだらけだろうに、必死にできることを探してくれている。


「ありがたいことですね……」


 ラシャは本心からそうつぶやいた。


 すでに石垣の後ろには二列編成の銃撃隊が並び、敵が近くにさしかかったところで一斉射撃をあびせられるように待機している。さらにその後ろには援護用の大砲が準備されており、今すぐ集まってきた敵を吹き飛ばすことも可能になっていた。


「急斜面がある東方面には用意してあったあの秘密兵器を多めに配置する。レイラはそちらに配備する予定だが、構わんか」

「作戦指揮上、必要であれば如何様にも」


 斜面がきつすぎると、普通の大砲はあてにできない。砲身を下に向けすぎると、転がり落ちる危険性があるからだ。だが、歩兵に当てればいいというのであれば、やりようはある。


「野砲九十門はあるが、昨日のように歩兵突撃があった場合に備えて弾は残しておく。そろそろ向こうも砲弾・銃弾が切れる頃だからな。ある程度打ち合って、こちらも弾が切れたと錯覚させよう」

「弾切れと読んで向こうから接近してくれれば、大砲で一掃できますからね」


 シレール側の誤算は、想像より早く防衛軍が到着し、テルウの町とその近辺の武器庫から十分な接収ができなかったことだ。速度重視で進んできたシレール軍は、補給ができなければたちまち攻撃手段に困る。


 砲撃開始時間は慎重に見計らう必要があるが、一斉攻撃を当てることはそう難しくないように思えた。


「あとは防壁の隙間を抜けられないように注意することと……騎馬隊から目を離さないことでしょうか」

「ああ。騎兵が来るとすれば、我々の横手をつく形になるだろうから──迂回して南東方向から襲ってくるのが最もありそうだな」


 シレールは常に逆転の機会をうかがっている。騎兵隊がまだ無事である以上、いつでも襲いかかってくると考えた方がよかった。


「こちらも慌てないよう、迎撃部隊を待機させておきましょう。幸い、昨日の戦いで馬を守り切れたので、騎馬部隊が動けます。逆に向こうの横手をつくことも可能かもしれません」


 意気込むラシャを見て、ザザは苦笑いした。


「腕は信頼できると思うが、向こうが防御を固めている可能性は多分にある。対処を誤らぬようにな」

「はい」


 機動部隊は本陣から外れて活動するため、万が一のことになっても助けに行きようがない。相手の防御が硬ければ早めに撤退するよう言い含めておかなければ、とラシャは思った。


「さて、私たちはこんなところか。フロム様の様子はどうだ?」

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