第32話 最終決戦へ

 フロムはそう言って、一際崩れている影を見て笑った。変わった男だ、と思う。所詮違う世界のこと、いつかはいなくなる場所と思って目をそらしていた方が楽なのに、この世界に混じろうとしている。痛みを受け入れようとしている。お節介な奴だ、と思ったが、そういう奴はフロムは嫌いではなかった。


「……ラシャには悪かったと思う。でも、みんな、それで潰れるほど弱くない。団結して、戦おうとしてる」


 そう言い放ったミルカの光が強くなってきている。人の信仰心が強くなっている賜物か、それともミルカ自身が高ぶっているのか──おそらく、その両方だろうとフロムは踏んだ。


「よ、依代が、フロムに戻ってきてほしがってる。もっと食事して、明日にまた変身できる体力をつけさせたいって。できる?」

「貴様が妾にそんな口をきける身分か。依代に引っ張られるのも大概にせい」

「ひいっ!」


 ミルカの光が空まで飛び上がった。やがて落下し木の上に陣取るが、いなくなる様子はない。フロムが依代の質問に、まだ答えていないからだろう。炎に近寄ることすら怖いくせに、今回は根性を見せている。


「今回ばかりは、甘やかしてやるか」

「え?」

「……好きではないが、食ってやる。少しはマシなものを用意しろと、伝えておけ」


 フロムがそう返事すると、ミルカの光は目をしばたく時のように何度か点滅し、そして消えた。


「全く」


 小さくつぶやいて、フロムは自分の口元が笑っていることに気付いた。




 その夜、シレール軍の司令部会議の会場は、大方の人間が想像した通り荒れていた。確実と思われた勝利を手にできず、敵陣もほとんど切り崩せていない。おまけに、見せしめとして元デイト領から大量の兵を引っ張ってきたことが災いして、兵糧も少なくなり始めていた。撤退し、一度体勢を立て直してはという声があがりはじめるのも、当然の流れだった。


 かろうじて喜色を見せていたのは、北部陣地の一部奪還に成功したコンスタンくらいのもの。一日目はしれっとしていたシューラでさえ、予想が外れたために少し落ち着かない様子だった。


「会議はまだ始まらぬのか……」

「ミハイロ殿が来ていないというのに、何が始まるというのですか」


 その横で苛立ちをあらわにしているのがキリルだ。ミハイロに名誉挽回の機会をもらったにも関わらず、南西部の敵陣地を切り崩すことができなかった。デイト兵を先に立たせたおかげで直属の部下たちは生き残ったものの、圧倒的に犠牲数が多いという事実は隠しようがない。内心、ミハイロにどう説明するか悩んでいるはずだ。


 それを見透かしていたシューラが、若い将軍にちょっかいをかけ始める。黙っていると、自分も不安で押しつぶされそうだからだ。


「……苛立ちで困惑を誤魔化そうとしても無駄なことですよ、キリル少将」

「なんだと」


 キリルはゆっくりとシューラに向き直った。シューラはわざとらしく肩をすくめてみせる。


「あなたの部隊がここまで壊滅的な被害を受けるというのは、かつてなかったこと。動揺しておられるのは分かりますが、戦場でそれは命取りになりますよ──と、忠告してさしあげているのです」

「問題ない。立て直す」

「そうでしょうか。好き好んで、あの陣地につっこもうという兵はかなり減ったはずでは? それで第一軍の役割が果たせますかな」

「……貴殿の方こそ、安い挑発は控えていただこう。そちらから兵を出して助けるというのならともかく、高みの見物を決め込んでいる人間に何を言われても私には響かない」

「挑発? 注意しただけなのに、そんな言い方をされるとは心外ですな」


 憎まれ口の応酬で室内の雰囲気が最悪になりかけた時、端に座っていた男が動いた。


「二人とも、つまらぬ喧嘩はやめておけ。司令官がみえるぞ」


 ヴラディが言うと同時に、足音が聞こえてきた。居並ぶ護衛兵たちが、壁際に下がり礼の姿勢をとる。


「相変わらずの地獄耳だな」


 シューラは一言皮肉ったものの、あっさりと元の席に戻った。キリルは苦虫を噛みつぶした様子で、しばらく彼の背中をにらんでいる。


「諸君、よく無事で集まってくれた。二日目の侵攻は一日目ほど順調というわけにはいかなかったが、まだ勝負は決していない。策を練れば、あの丘を陥落させることもできるだろう」


 ミハイロは大きな声で言った。その堂々とした様子に、室内の不信感が少し和らぐ。彼はそれを十分に確認してから、まずコンスタンに顔を向けた。


「しかしその前に悲しい事実を皆に告げねばならぬ。第二軍の損害、四千二百と一か。行方不明者も含めた数とはいえ、一日目とあわせてこれで隊の約三割を失った計算になるな」


 ミハイロは的確に情報を告げてみせた。さっきまであったコンスタンの喜色は消え失せ、また顔色が白く変わっていく。


「……だが、その奮戦の甲斐あって丘の一部を切り取れたのは素晴らしい。反攻の足がかりになるだろう。明日も陣地を維持するように。損耗が大きいため、攻めには出るなよ」

「はっ」


 予想より叱責が少なく済み、コンスタンは胸をなで下ろしていた。


「第四軍は当初の予定通り東へ向かえ。回り込む形で川を渡り、敵の防御が比較的薄い南東部に打撃を与えろ」

「了解しました。向こうの補給と通信を、せいぜいひっかき回してやりますよ」


 言われることを大体予測していたのか、ヴラディはあっさりと首を縦に振る。それを確認したミハイロは振り向き、今度はシューラに視線を向ける。


「そして、ここからが明日の作戦の最も肝心なところだ。第三軍から一万、それに私の近衛隊を含めた二千で突撃隊を結成する。突撃隊は大砲を携行し、全力の火力をもって敵陣中央を食い破ることを目的とする」


 ミハイロの発言で、陣内に衝撃が走った。この二日間で、敵が防御陣を築いていることは明らかだ。いくらシレールの精鋭といえど、その中央につっこんで無事でいられるはずがない。それに加えて肉の盾となるデイト軍の捕虜たちも、今日の戦いでかなり少なくなっている。


 しかし、ミハイロは将軍たちの狼狽など意に介した様子なく、シューラの方を振り返った。


「早々に作戦参加部隊を選別し、私に知らせよ。良いな」

「お、お待ちください。そんなに引き抜かれては、部隊の編成も何もあったものではありません」


 シューラは困惑した様子で言葉を重ねるが、ミハイロはやや苛立った様子でこう言い返す。


「かなり部隊を損なう前提であるのは認める。が、第一・第二軍は損害甚大、第四軍は奇襲という仕事がある。現実的に考えれば、頼れるのは第三軍しかなかろう。それとも、シューラ少将自ら部隊を指揮するのかな?」

「……それは閣下にお任せした方が安心ではございますが。さすがに防御の最も厚い敵陣中央への突撃というのはあまりに……」


 とうとうシューラは、誰もが思っていたことを口にした。内心快哉を叫んだ兵士もいただろうし、一部でも兵を出すキリルもそこは気にしていた。ただ、シューラの援護になりそうなのが嫌だったので口をつぐんでいただけだ。


「案ずるな。勝算はある」

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